ひとさじでお腹いっぱい




 事の始まりは何だったか正直あまり覚えていないが、まあたぶんくだらない理由だったんだろう。確かアイツのことだったし、そんなもんだ。

 今日も今日とて派手な赤い頭をして明日になれば忘れてしまいそうな話をでかい声で延々と小野田に話す鳴子、いつも通りだ。そしてそれにいちいち丁寧に相槌を打つ小野田、これもいつも通りのことだ。その日は練習が終わったあとにポジション同士の軽いミーティングみたいなものがあって、自主練をする普段よりかは早い時間に終わったが今から自主練をするとなるとだいぶ遅くなるからやらなかった。みんなほどほどに着替え終わって少し空いた時間をふわふわと持て余していた、ような気がする。確かそんなときだった。



「せやろせやろ小野田くんもそう思うやろ! あっせや、オカー、ン……」


 おかーん? 鳴子のでかい声に顔を上げると首から上を真っ赤にした鳴子と、その視線の先、巻島さんの隣で日誌を書く手を止めてきょとんとしているマネージャーの白崎さんがいた。白崎さんは確かにふたつ年上で金城さんたちと同い年のはずなのにどこか幼く見えるひとで、目を丸くしているといっそう可愛らしく見える。鳴子の顔色と白崎さんとオカンでぴんときた、つまりは単なる呼び間違いだ。教師をお母さんと呼び間違えるようにマネージャーの白崎さんをオカンと呼んでしまったのだ。部室内が微妙に笑い声をこらえるなか当事者の白崎さんはにっこり笑って、いつにもまして首から上が赤い鳴子に近づきその頭を撫でた。



「なあに、章吉」


 ふふ、と柔らかく笑ってさらさらと赤い髪を撫でつける。いつもは鳴子くんと苗字で呼ぶはずなのに、白崎さんの突然の呼び捨てに驚いたが俺以上に驚いている人が二人ばかりいた。呼ばれた本人の赤頭と、への字の口を間抜けにあんぐり開けた玉虫色のクライマー。



「なッ、ひ、ひどいっスわ譲さん! ボケ殺しや! そこは鳴子くん何言ってるのーでツッコんでくださいよ!」
「ふふ、ごめんね? 呼び間違えて真っ赤になる鳴子くんが可愛かったから、つい」



 別に鳴子はボケたつもりはないのだろうけど、それに白崎さんがノったのも意外だった。まあ後輩大好きで可愛がりたがり構いたがりなひとだから、今回もまたそれなんだろう。隣でくすくすと小さく笑う寒咲が「なんか譲さんがと鳴子くん並んでると親子みたいですね」とまだ何かを言っている鳴子の頭を撫でている白崎さんに向けて呟いた。あまり大きな声ではないそれに反応して、白崎さんが嬉しそうに頬を緩ませる。



「それ素敵だね。鳴子くん子供にほしいなぁ。毎日賑やかで楽しそう」



 俺から見れば鳴子も小野田も同じくらい小さいけれど、白崎さんはもっと小さいし細っこくて折れそうだ。たぶんスキンシップのつもりなんだろうなんとも心臓に悪いハグを、あろうことか部員が全員いる部室でかました。彼氏もいるのにお構いなしに、だ。見るからに上機嫌な白崎さんはさっきから小声でうるさい巻島さんにたぶん気づいてない。気づいた上でやってるんだったらだいぶ悪女だ。露骨に嫌そうな顔をしながらも止めに入らなかった巻島さんが、無防備すぎる彼女にさすがに堪忍袋の緒が切れたのかようやく動いた。






「オレは鳴子みてーなうるせえの嫌っショ」


 おいちょっと待て、ツッコミどころが違くないかそれ。当たり前のようにそう言った巻島さんを思わず凝視するとそう思ったのは俺だけじゃなかったらしく、二年の先輩も三年の先輩も巻島さんを見ていた。唯一小野田だけはよく分かっていなさそうな顔で首を傾げていたけど、お前はもうそのままでいいと思う。



「ええー、可愛いよう絶対」
「ぜってーヤダ」



 背後に立ってる巻島さんにようやく気づいたのか鳴子が白崎さんの腕から抜け出そうとするが下手な抵抗をしようものなら白崎さんが怪我でもしそうで、もぞもぞ動くだけで結局何も出来ないでいる。白崎さんは穏やかに笑っていて周囲に花でも飛んでそうな勢いだが、対する巻島さんはやはりいつもより眉間の皺が深い。睨みつける先は燃えるような赤髪だ。それでも無理に離すように言わないのは人目があるからなのか独占欲を彼女に見せるのが嫌なのか、俺には判断がつかない。





「巻ちゃんは女の子のほうがいい?」


 ちょっと待ってくれ白崎さんそういうの場所をわきまえてくれ。……それってつまり、その、そういうことなんだよ、な。無言のアイコンタクトを交わす。まさかこんなことで部員との絆が試されるとは思いも寄らなかった。小さく重々しく頷いた金城さんに、苦笑に近いような笑みを浮かべてあの二人だからと口パクをする手嶋さん。盛大に溜め息を吐きたい気分だった。別に嫌なわけではないけれど、のろけなら余所でやってくれと思うのが普通じゃないだろうか。





「……子供は苦手っショ」
「じゃあ巻ちゃんは、子供、いらない? ……ほしく、ない?」



 いつの間にか鳴子を解放していたのか自由な身体をくるりと反転させ、なんとも不安そうに巻島さんを見上げる白崎さんの瞳が、どうしてだか小動物のつぶらなそれと重なって見えた。う、と言葉に詰まって見るからにうろたえる巻島さんが視線をあっちこっちへと泳がせ、何とも言い難い声を出しながら眉間に皺を寄せる。やがて視線に耐えきれなくなったのかガシガシと荒っぽく玉虫の髪を掻き上げて、白崎さんを真っ直ぐ見下ろした。白崎さんの瞳はどこか潤んでいるように見えて、不安定にゆらゆらと揺れている。催促をするように小さな手が黄色いジャージの裾を握った。はあ、と巻島さんが大きく息を吐く。いつもより時間に余裕があり和やかだったはずの部室の空気はいつの間にか張り詰めていて、視線は自然と二人に釘づけになって息をするのも窮屈に感じた。





「……その、別にいらねェわけじゃねえ、し、譲がほしいんだったら、その、別にいい……ショ」
「っほんとう!?」




 先ほどまで沈んでいた表情が嘘のように頬を赤らめ嬉しそうな表情をする白崎さんと、言っている途中から顔だけでなく首筋や耳まで赤くした巻島さんにこちらまで照れがうつってきた。首筋あたりが火照って熱を持っているのが分かる。ここまできてようやく小野田も状況を呑み込めたようで、赤くなりながらあわあわと両手を意味もなく上下させ慌てている。「おめでとうございます巻島さん! 譲さん!」と小野田が眩しいほどの笑顔で言い放ち、それにつられて田所さんが「ガハハハ巻島と白崎の式はいつだ!」と大声で言いながら、未だ赤くなっている巻島さんの背を叩いた。想像以上に凄まじい音がして、巻島さんがよろけて数歩前に押し出される。そこで両腕を広げて待ち構えていた白崎さんが抱きとめるようにして巻島さんに抱き着いた。もともと充分赤かったのに、瞬間発火したように巻島さんが真っ赤になる。ふふ、となんとも幸せそうに白崎さんが笑った。


 ああもうホント、どっか余所でやってくれバカップルめ!



-------------------------------------
巻ちゃん前提総北。ツッコミが追いつかない今泉くん。
たぶん一番の被害者は巻き込まれた発端の鳴子くん。

[ 24/40 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -