砂糖菓子のように甘いきみを罰する

※「きみのあざとさは罪だ」と同主人公で後日談みたいな。




「ごちそうさまでした」


 先日のあーん事件から葦木場くんとお昼ご飯を食べるのがお決まりになっている。窓際一番後ろの席で机を合わせて一緒にいただきますとごちそうさまをする。やっぱり給食の時間を思い出すのはわたしだけだろうか。ちらりと葦木場くんに視線を投げてもその表情は至極穏やかで照れも何も浮かんでいない。意識をしているのはわたしだけで、それがすこし、かなり悔しい。

 葦木場くんは結構おしゃべりだと思う。口にものを入れたままなんてお行儀の悪いことはしないけれど、黒田くんに泉田くんや後輩の真波くんのこと、最近よく聴いている音楽のこと、朝練の途中に見かけた野良猫のことなどご飯を食べながらたくさんのことを話してくれる。そのせいでだいたい葦木場くんのほうが食べ終わるのが遅くなるのだけれど、ごちそうさまと手を合わせて言うのは一緒にしている。


 すでにお弁当をバンダナで包み終えているわたしは大きな手で大きなお弁当箱を包もうと奮闘している葦木場くんを横目に、ポーチからリップクリームと小さな手鏡を取り出した。もう梅雨は明けたから空気はからりとしている、乾燥しているほどではないけれどなんとなく気になってしまうからリップはいつも携帯している。ドラッグストアで買ったはちみつの匂いがする甘いやつ、薬用のものと迷ったがテスターの甘い香りに惹かれて思わず買ってしまった。思ったよりもしっとりしているし使いやすいからリピートしようかなあとぼんやり考えているところだ。


 相変わらず鏡がないとリップクリームでさえ満足に塗れない。色付きではないから少しくらいはみ出したってたいして目立たないけれど恥ずかしいからいつも手鏡を使う。メイクの上手な手慣れた友人のようにはなれないし、なるつもりもない。花の高校生だというのに面倒がってほぼノーメイクなのだからお察しの女子力である。女子力単品で見たら目の前の葦木場くんのほうが高いかもしれない。れっきとした男の子なのだけれど、ふとした仕草とかお人好しなまでの優しさとか選ぶ言葉の柔らかさとか羨ましいような気もする天然さとか、葦木場くんはそこいらの女子高生よりも丁寧で繊細でかわいい。やっぱり、なんとなくじゃなく負けている気がする。

 手鏡とにらめっこをしながらはみ出さないように慎重にリップを塗っていく、途中鼻先をかすめるふんわりとした甘い匂いに自然と唇が弧を描いた。じっと葦木場くんの視線が集まるのを感じて真剣なそれが少しだけ居心地が悪い、真っ直ぐな瞳が唇を見ているからなおさら。見つめ返すなんてとうてい出来なくて微妙に視線を逸らしていると葦木場くんが机に手を突いて、机ひとつぶんの距離をやすやすと埋めてしまった。顔が近い、額に触れた体温がぶり返したような気がして顔が熱くなる。なんとか平静を保とうとしても目と鼻の先にあるハートのかたちをしたほくろとか、くるんとした髪とかがあって、とてもじゃないけれど落ち着いてなんかいられない。



「譲ちゃん、いい匂いがする」
「この前、買ったリップ、なの。はちみつの匂いのやつ。……葦木場くんも、」



 塗ってみる? と冗談めかして言おうとした唇は柔らかいなにかにふさがれて、先の言葉を呑み込まれてしまった。息がうまく出来ない、距離が近すぎて目の前のものがぼやけて見える。ばくばくと内側から急き立てる心臓が破裂しそうだ、そのせいで昼休みの教室の喧噪ですらもう気にかからない。

 ――はちみつのように甘い瞳が、触れそうなほど近くに。




「今まで気づかなかったけど譲ちゃんってまつげ、すごく長いね。ほっぺたも白くて柔らかくてすべすべ、オレとは全然違うや」



 ふわりと柔らかに笑った葦木場くんがなんてことないように頬に指をすべらせた。そのままふにふにと優しく触れられてもうパンクしそうだ。言葉なんて喉の奥に封じ込められてしまってただ無意味に唇を震わせるばかり。目の前できれいなカーブを描く葦木場くんのそれが触れたと思うと恥ずかしくて熱くて仕方なくなる。



「リップクリームも丁寧に塗ってて、譲ちゃん女の子だ、かわいい」



 いい子いい子、と甘やかすように頭を撫でられてうつむこうとする顔をそうっと持ち上げられる。とろけそうなほど甘い笑顔と言葉だ。やんわりと視線を逸らすことを阻止されて真っ赤になっているだろう顔も隠せない。


 羞恥心やら何やらと葛藤しているうちに再び顔が近づいて唇が触れ合う。二度目だからといって当然慣れるはずもなく必死に息を止めて、苦しさと恥ずかしさと格闘しながら身体を固くして葦木場くんが満足して離れるのをひたすら待つ。待つ、けれど先ほどよりもなんだか、その、長い。酸欠でくらくらしてくるなかで、生あたたかく柔らかななにかがぺろりと唇を這った。驚きと衝撃で肩が跳ね上がりきつくつむっていた瞼を思わず開けてしまう。離れていく葦木場くんの顔にはやはり照れも何もなくて、突然のことに慌て混乱し顔を赤らめているのがばかみたいだと思った。




「ん、匂いほど甘くない、っていうかあんまり味しないんだね」
「あっ味、って、」
「はちみつのおいしそうな匂いがするから、甘いのかと思った。でも違ったね。ああでも、」柔らかくてマシュマロみたいで、オレはすき。



 ふふ、と至近距離で笑うのはずいぶんと毒なのだと初めて知った、糖分過多にもほどがある。

 いい匂いがしたから、甘いのかと思ったから、葦木場くんを動かしたのはそんな理由ばかりでそれが悔しいだけでほんの少しも嫌じゃなかったのが驚きだ、初めてだったのに。そこまで考えて分からないほど鈍くはない、でもどうしようどうすればと悩む暇もなかった。




 譲ちゃん、ひそめられた囁くような声に無意識に逸らしていた視線を上げる。頬の柔らかさを確かめるように触れていた大きな手のひらはいつの間にかわたしの顎をとらえていて、徐々に近づく困り眉にそうっと自分から目をつむった。ふわふわとした感触、触れた先から全身へと熱が広がっていく。どこか遠くから音が聞こえる、だんだんと近づいてきている気がするけれどわたしは息が保たないことにいっぱいいっぱいで他のことに気をやってる余裕は微塵もない。一度離れて、葦木場くんが少し首を傾け角度を変えてもう一度、触れ合うだけのそれが丁寧に重ねられる。短い合間に許された呼吸が熱っぽくて、脈打つ心臓が痛くなる。唇が離れて囁き声に名前を呼ばれて、まだ足りないとばかりに再び近づいたとき、教室の後ろのほうのドアが結構な勢いで開けられた。




「テメー葦木場ァ! 今日の昼休み! 部室でミーティングっつった、ろ……」
「えっそうだったっけ? ごめんユキちゃん、忘れてた」


 大きな音と大きな声、自然とそこに視線が集まる、もちろん名前を呼ばれた葦木場くんにも。葦木場くんが窮屈そうに折り曲げていた身体をきちんと伸ばして、葦木場くんを呼びに来た自転車競技部のチームメイトでわたしの元クラスメイトかつ同じ委員会だった黒田くんに向き直った。わたしはというと、葦木場くんの思ったよりしっかりとした腹筋あたりに顔を埋めて、黒田くんと話を続けながらもゆるゆると髪の間を通っていくしなやかな指の感覚に息を詰めて耐えていた。



「え、は、ハアッ?! あし、葦木場……そ、れ、白崎……だよな?」
「ん? うん、譲ちゃんだよ。それがどうかしたのユキちゃん」



 ばっちり見られているし見事に動揺されている。それもそうだろう、当事者のわたしだって未だ混乱の最中なのだ。偶然見てしまったチームメイトと元クラスメイトの、その、そういう場面なんて戸惑わないほうがおかしいのだ。それも人目を一切気にかけていない昼休みの教室の隅でなんて考えられないだろう、わたしもそう思う。だから余計に熱を持った顔を上げられない。半ば抱きしめられるような体勢も恥ずかしいけれど、笑えないくらい真っ赤な顔を晒すよりマシだと思えた。


「と、っりあえず! 塔一郎も待ってっから部室行くぞ!」
「分かった。譲ちゃん、オレちょっと行ってくるから、だから、」「あとでね」




 ……あとでね、とは果たしてどういう意味だろうか。葦木場くんのことだから深い意味を考えなくてもよさそうだとこれまでなら思っただろうが今回はそうともいかない。葦木場くんは困り果てたわたしを、まるで小さな子どもをあやすように前髪のあたりをさらさらと撫でつけて背を向ける。そこでちょうどこちらを向いていた黒田くんと目が合った。途端に頬に朱が差す、気まずそうに目を逸らされてでも窺うようにちらりと一瞥される。それにわたしのほうが耐えきれなくって目を逸らした。からからとずいぶん静かなスライドドアの音を器用に拾ってしまう自分の耳がにくい。


 はあぁ、と深く長く息を吐き出して机にぺたりと頬をつける。そわそわと落ち着きないクラスメイトの視線を多数感じたけれど全部無視した。木製の机の冷たさが火照った頬には気持ちよくて、それだけ自分が熱を持っていると思うとその熱の原因を思い出して羞恥で死にたくなる。思わず隠すように唇に触れるとリップクリームを塗ったあとのべたべた感は残っておらず、ただ柔らかくしっとりしていた。譲ちゃん、と甘く何度も鼓膜を揺らした声がまだ響いているような気がして、全くもって性質が悪い。はあ、たまらず漏らした溜め息はきっと天然で無自覚なあの子には届かないのだろう。



 顔も声も指先も仕草も行動も跳ねた髪もハートのほくろも大きな背丈も、ぜんぶがお砂糖を固めて出来たようなひとだ。わたしには甘すぎて、過剰摂取は身体に毒だ。でもやわらかく触れられるのは、いやじゃない。ふわふわと舞い上がりそうな気持ちを抑えて、ほんの少しだけあとでねの言葉を期待して、いつ好きだと伝えようかと考えながらそうっと目をつむった。




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教室でちゅーしちゃう葦木場くん。甘ったるくて胸焼けしそう。

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