きみのあざとさは罪だ




 授業終了を告げるチャイムが鳴って日直のやる気のない号令に合わせて立ち上がる。船を漕いでいたひとも完全に机に突っ伏していたひとも寝ぼけながら立ち上がって一拍遅れて挨拶をした。眠りはしなかったけれど眠かったのも本当だ。口元を両手で隠しながらふわあとあくびをする。古典は好きだし面白いと思うけれど先生の声はとても眠気を誘う。そのせいで昼休みを迎えた教室だというのに、賑やかさよりもどこか間延びしたようなのんびりとした空気をしている。これもまた嫌いじゃないけれどなんとなく気が抜けてしまう。教科書とノートを机にしまいながら何気なく窓の外を見る。窓際一番後ろの特等席から見える空は青くて雲も高くて、夏が近いのだとぼんやり思った。そのまま空を眺めていると先ほどのわたしのような、ふわあと大きなあくびが聞こえてきた。振り返ると口元を隠しながら眠そうに目許をこする葦木場くんがいて、わたしの視線に気づくとえへへと小さく照れ笑いをする。


「譲ちゃんのが移っちゃった」


 恥ずかしそうにしながら笑う葦木場くんは正直二メートルを超えた高校生男子とは思えないくらい可愛い。口に出してしまうとそんなことないよオレ可愛くないよときりっとした顔で主張してくる。それもまた可愛くてちょっとだけ女として負けているなあと感じる。

 譲ちゃん、と呼びかけられるのが少しくすぐったい。その声も、呼び方も。まさか高校生にもなってクラスの男の子から名前にちゃん付けで呼ばれるとは思わなかった。葦木場くんだから全然いいんだけれどやっぱりちょっと恥ずかしかったりもする。他意がないのは分かっていてもなんというか、妙に、甘い感じがして照れてしまう。素でやってのけている彼に気づかれたくないから隠してはいるけれど。


「譲ちゃん、一緒にご飯食べよう」


 公平なはずの席替えくじ引きは葦木場くんだけには不公平だ。前の席を引いても葦木場くんの後ろの席の子が黒板が見えなくなってしまうから、葦木場くんはくじを引いても結局最後列を行ったり来たりしている。女子の平均身長程度のわたしからすれば羨ましい限りなのだけれど、毎回それだとつまらないらしい。でも今回は自分でわたしの隣、窓際から二番目の一番後ろの席を引き当てたから誰にも文句は言えない。後ろばっかりは飽きちゃったけど譲ちゃんの隣は嬉しいなあ、と毒気を抜かれる笑顔で言われたときはあまりの羞恥に葦木場くんを直視出来なかった覚えがある。素直すぎるのも心臓に悪いから考え物だ。


 がたがたと机をくっつけて向かい合って座る。なんだか給食の時間を思い出すのはわたしだけだろうか。葦木場くんは嬉しそうにスクールバッグから身体の大きさに見合ったお弁当箱を取り出してゆっくりと包みをほどいていく。それにならってわたしも目の前の彼のものに比べればずいぶんと小さなお弁当箱の包みをほどいた。


「ずっと思ってたんだけど、譲ちゃんのお弁当ちっちゃくない? もっとちゃんと食べなきゃだめだよ」


 これは去年同じクラスで同じ図書委員をしていた黒田くんにもよく言われたことだ。白崎弁当小さすぎだろもっと食え、親切心で差し出されたプチトマトはおいしく頂戴したけれど、たぶんわたしの基準は普通のはずだ。自転車乗りはすごくお腹が空くらしい、加えて葦木場くんは身体が大きいからたくさん食べないとスタミナ切れを起こしてしまうという。帰宅部のわたしからすればわたしのお弁当箱は一般的なサイズだし、これ以上食べると逆にカロリーオーバーで太ってしまう。そう何度説明しても黒田くんには身体細ぇんだから倒れねえように食っとけ、なんて言われて口元にブロッコリーを押し付けられた。いま思うと野菜を押し付けられていただけじゃないのかと思わなくもない。体力が必要な部活をしているんだからわたしよりも自分のことを気遣うべきなのに、自転車競技部には優しいひとが多いみたいだ。黒田くんと幼なじみだという泉田くんも、数学の先生にノートを運ぶよう言われてよたよたと運んでいる最中に手伝いを申し出てくれた紳士だ。はんぶん以上を持ってくれたにもかかわらず、だいじょうぶか重くないかとやたらと心配してくれた。申し訳なさから大丈夫だと言い張ったが、実はちょっと重かったのは内緒だ。

 そして、目の前で眉を下げわたしの心配をしてくれる葦木場くんも例に漏れず優しい。初めて会ったときはその大きな体躯に圧倒されて、目立った身長だけを見て怖いひとなのかもしれない、なんて思ったけれど全然そんなことはないしそう思ってたのが申し訳ないくらいのいい子だ。背がとっても高くて自覚のない天然でマイペース、クラッシック音楽の好きな笑顔のかわいい優しい男の子、葦木場拓斗くん。



「心配してくれてありがと、でもわたしにとってはこのサイズでぴったりだから大丈夫」
「本当に? 無理してダイエットとか、我慢するとかだめだよ?」


 譲ちゃんはじゅうぶん細いんだからもっと食べなきゃ、そう言って口元に差し出された冷めてもおいしそうな唐揚げ、しかも冷凍じゃなくてちゃんと作ったやつだ。いくら好意とはいえ男子高校生のお弁当から貴重なタンパク質をもらうわけにはいかない、と丁重に断ろうとしたけれど眉をへにょりと下げた子犬のような表情を見てるとどうにも断りきれずに大人しく口を開けてしまった。ぱあっと一気に華やぐ表情が可愛い、そして唐揚げもおいしい。かわりと言ってはなんだが卵焼きをふたつ、葦木場くんのお弁当の蓋に置く、これならもらってばかりではなくおかずの交換になる。


「えっオレふたつももらえないよ、譲ちゃんのほうこそ食べなきゃなのに」
「葦木場くんの唐揚げひとつは、わたしの卵焼きふたつに相当するの」


 ええー、なんて言って唇を尖らせる葦木場くんは結構頑固で、このままだとせっかくのわたしの気持ちが押し返されそうな気がした。それは嫌だし困るのでお弁当の蓋に乗せた卵焼きを再度つまみ上げる。一瞬やっぱりわたしが食べてくれるのか期待した顔には申し訳ないけれど、そのまま葦木場くんの尖った口元に運ぶ。さらに困ったように下がるハの字の眉、別に葦木場くんを困らせたいわけじゃないんだけどなぁ。


「葦木場くん、はいあーん」


 これで食べてもらえなかったらしょうがないから自分で食べようと思っていたけれど、先に折れてくれたのは葦木場くんのほうだった。大きな口に急に小さくなったように見える卵焼きがふたつ吸い込まれていく。


「ん、おいしい。これ譲ちゃんが作ったの?」
「えっ? や、ううん、お母さんが作ってくれたの。一応他は自分で作ったやつだけど卵焼きはお母さんのほうが上手だから」


 お母さんのおいしいでしょ、とちょっとだけ誇らしい気持ちになりながら言えば葦木場くんはおいしいけど、と歯切れ悪く言って、どこか腑に落ちないような顔をした。




「……もしかして、あんまり好きじゃなかったかな」


 葦木場くんの煮え切らない態度にやっぱり迷惑だったろうかと今さらながら申し訳なさが込み上げて視線が自然と落ちていく。





「ううん、そうじゃなくって。どうせなら譲ちゃんが作ったおかずが食べたいなーって思って」


 だめ? と小首を傾げながらうつむいたわたしの顔を下から覗き込むようにして見上げる。きっとなにも考えてない可愛い仕草と殺し文句に胸がきゅうんとあまく高鳴る。この天然くんはこういうのをさらっと言っちゃうからたちが悪い。わたしばかりが照れてしまって本人は何のこともないような顔をしているのだから腹立たしい。その上、譲ちゃんどうしたの顔赤いよ風邪引いちゃった? なんて素っ頓狂なことを言いながら額を合わせてきたりするものだから心臓がいくつあっても足りない。




「だ、めじゃない、よ」



 なんとか声が震えないように努めたけれど果たしてその努力が実ったかは分からない。恥ずかしさをごまかすように小さなお弁当箱をずずいと彼の前に突き出してそっぽを向く。夏前のからりとした空気は当然冷たくはなくて、頬の火照りを取ってはくれなかった。何度か深呼吸をして速まった鼓動を落ち着かせる。まだ多少あつさは残っていたけれど顔が見られないほどひどくなくなったあたりできちんと彼に向き合う。すると既に食べられているだろうと思ったおかずは未だお弁当箱のなかに鎮座していて、葦木場くんは口を開けて期待した目でわたしを見ていた。



「さっきみたいに食べさせてくれないの?」



 なにを言い出すのだ、と驚くと同時に先ほど自分はなんてことをしてしまったんだと膝から崩れ落ちて頭を抱えたくなった。付き合ってもいないクラスの男の子に、いやでも葦木場くんだから、と頭のなかで無意味な言葉が浮かんでは消えていく。純粋にわたしを見つめてくる瞳に耐えきれず、恥を忍んであーんと開かれている口にアスパラガスのベーコン巻きを放り込んだ。そのあとは顔に集まった熱を紛らわすように残りのおかずをかき込んだ。少しだけ咽せて涙が滲んだけれど葦木場くんに気づかれる前にお茶を飲んでまたごまかした。


「ごちそうさまでした」


 大きなお弁当をきれいに平らげた葦木場くんはいつものふんわりと癒される笑顔を浮かべながら、大きな手のひらを合わせてお行儀よくごちそうさまをした。わたしはと言うと葦木場くんよりずいぶん早く食べ終わっていたがとてもじゃないけれど葦木場くんの顔を見られる状態ではなく、腕を交差させてそこに顔を埋めていた。やけっぱちのように小さくお粗末さま、と呟くとおいしかったよ、とご機嫌な声で言われて髪を梳かすように撫でられる。だいぶ収まったはずの熱がまたぶり返してきて呼吸も苦しくなって、少しでも熱を逃がそうと手で顔に風を送ると不意に影が差した。



「譲ちゃんどうしたの、顔赤いよ。風邪引いちゃった?」


 こつりと額が合わさる、端整な顔立ちが触れそうな近さにある。吐息が唇をかすめて痛いくらい脈打つ鼓動がうるさかった。わたしの想像通りの心配をしてくれた優しい男の子に、隠しきれない照れ隠しを呟いた。



「……ぜんぶきみのせいだよ」





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明治さん主催の素敵企画:チェルシーさんへの提出作品。

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