ひかりのとけた日曜日




 本当はいけないこと、初めてしたときはものすごくどきどきした。だって悪いことだもの、普段はそれなりに守っている規則をこんなにも大胆に破るのにはわたしにはなかなか勇気がいることだった。けれど、それも三年目となれば慣れたものだ。

 突然の呼び出しも珍しいことじゃない。部活がオフのときは普段構ってくれないぶん甘やかしてくれる。課題が溜まってるときは勉強会になったりもするけれど、テスト前でもないし何も持ってこなくていいとのことなので一緒に部屋でだらけたいだけなのだろう。

 女子寮とほとんど同じ造りをしているから、部屋の場所さえ押さえておけば迷うことはない。問題は人に、特に寮監に見つからないかだが事前にこの時間は出払ってると知らされているから安心だ。それに、みんなおおっぴらに言わないだけで結構女の子を連れ込んでる。



「靖友ー?」


 控えめにノックをしたのに返事が返ってこないとはこれいかに。人目を気にしてきょろきょろと周りを見回すけれど、廊下に人気はない。どうしようもなくなってゆっくりドアノブに手を伸ばす、回る。え、と思ったときには既に遅く、わたしは無遠慮な腕に掴まれ部屋に引っ張りこまれていた。


「わ、わ、ちょっと……靖友」
「……ンだヨ、譲チャン」
「どしたの、珍しいね」
「別にィ? 何でもねェけどォ」


 嘘つきというか意地っ張りというか、相変わらず素直じゃない。くすくすとこらえきれなかった笑いを漏らせば、ウッセと回された腕の力が強くなる。少し苦しいけれど久しぶりの抱擁に、恋人の体温に嬉しくならないわけがない。背中に腕を回して応えれば、安心感で胸が満たされた。素直じゃない恋人に甘えられるのは正直嬉しい。あまり弱いところを見せたがらないひとだから、気を許されてるんだと思うと自然と口元が緩んでしまう。

 それにしても、こんなふうに露骨に甘えた態度を見せるなんて、もしかしたら初めてかもしれない。今までも部屋に来ればそれなりに触れ合うことはあったけれど、切羽詰まったような顔をして腕を引かれるなんて痛いくらいに抱きしめられるなんて、靖友のそんな姿は見たことない。……何かあったのだろうか。顔を覗き込みたいけれど後頭部に回された手がさせてくれない。こてん、と頭の上に何かが乗る。あまり重くないそれ、呼吸の音が近くに聞こえる。



「譲チャン」
「なに、」
「なんかうまそうな、イイ匂いする」
「……そう?」


 髪に顔を埋めているのか間近から声が伝わってくるのが変な感じだ。靖友が話すたびに吐き出された息が地肌に触れる。これ、は、付き合っていても、なかなか慣れない。ちゃんとお風呂は入ってるしケアも念入りに行っているつもりだけれど、いつまでたっても慣れないし恥ずかしい。うまそうなイイ匂い、と靖友は言うけれど、それって喜んでいいものなのだろうか。



「譲チャン……譲、」
「やすとも?」
「……すっげェ安心する、」


 誰だこいつ。悪態ばかり吐き出す口から紡がれたとは思えない、とんでもない殺し文句に顔が熱くなるのを感じる。抱きしめられてどきどきはしていたけど、また違ったときめきが心臓をもっともっとと急き立てる。わたしのことを殺す気なのだろうか、そう疑いたくなるほど今日の靖友は甘えたがりだ。顔を見られない体勢でよかったと先ほどと矛盾したことを考えていると、頭を撫でていた手が頬まですべりおりてきて顎をとらえる。促されるままに顔を上げれば口付けが降ってきた。がっつくような性急なものではない。はじめは触れ合うだけで何回か角度を変えたあとに一度離され呼吸を許される。


「は、やすとも、」
「譲、口、開けてェ?」


 素直に唇を開けばすぐさま舌が侵入してくる、触れた舌先はあつい。やっぱり、いつもより優しい。いつもなら了解なんて取らずに舌が唇をこじ開け好き勝手に暴れ回る、のに。ゆるゆる表面をこすり合わせるだけのそれに、耐えきれず靖友のTシャツにすがった。引き寄せられた腰のせいで自然とつま先立ちになる。


「ふ、やす、……きゃあっ」
「ウッセ、ちっとは黙ってろ」
「だ、だってびっくりしたんだもん……」



 唇が離れたかと思ったらすぐに身体を引っ張られ、靖友と一緒にベッドに倒れ込まされた。しかも向き合っていたはずなのに靖友はわたしを後ろから抱き込んでいて、その手際の良さに目を瞬かせる。細いわりに筋肉質な腕は丁寧にわたしのおなかの前でクロスしていて身動きが取れない。うなじのあたりに唇が押し付けられていて、靖友の呼吸のたびに生あたたかい息が掛かって背筋がぞわりとする。靖友は無言でわたしを抱きしめ、匂いを嗅いだりうなじに鼻を擦りよせたりと好き放題だ。

 べつに、沈黙が息苦しいわけではない。靖友の部屋でだらだらとするときに無言になることだってたびたびあった。横たわる沈黙のなか、付かず離れずの位置にある互いの体温を感じていた。でも、これは何というか、息苦しいというより気恥ずかしさで居たたまれない。



「や、靖友さーん……く、すぐったいん、です、けど」
「だから何ィ?」
「ちょっと、その、離れよ?」
「ヤァダ」



 わたしの懇願をいとも簡単にはねのけ、靖友はぎゅうと腹を締め付けた。痛くも苦しくもないけれど、密着する身体も服越しに伝わる体温もわたしの熱を高めるばかりだ。早鐘を打つ心臓に気づかれたくないのに、こんなにくっついたら気づかれてしまうかもしれない。




「部屋来たときから思ってたンだけどサァ、譲チャン、ちょっと無防備過ぎるンじゃナァイ?」


 耳元で聞こえた言葉に振り返ろうとすると腹部に巻き付いていた手がするすると移動し、Tシャツの襟を引っ張った。


「白かヨ……もうちょっと色気あるやつ持ってねェの?」
「なっ、ちょっと、靖友!」


 開いた襟ぐりから中を覗き込むだけじゃ飽きたらず、指を引っかけ器用にずり下げて左肩を剥き出しにし甘く歯を立てる。思わず声を上げそうになるのを口元を手で覆ってこらえた。


「上も緩りィけど、下もちょっと短けェし……」


 肩に噛みつきながら空いた片手で太腿を撫でる。完全にセクハラだが言っても聞かないのが靖友である。それに、靖友が言うほど無防備な格好はしていない。普通にしてれば鎖骨が見える程度の少し襟ぐりの広いTシャツと、裾の膨らんだ太腿半ばのショートパンツ。それをわざわざ指で引っ張り肩を出させ、裾をたくし上げてるのは誰だ。


「靖友に会うだけなんだから、べ、別にふつ、んっ」
「ンないつ食われてもおかしくねェ格好で男子寮まで来たンだろォ?」
「……考えすぎ、」


 心配してくれるのは素直に嬉しいけれど、わたしに手を出そうとする物好きなんて靖友くらいしかいない。そんな心配はいらないという意味を込めて、不穏な動きをする不届き者の腕を軽く叩いた。そうするとうなじに柔らかく唇が触れて、歯が押し当てられる。ちゅ、と可愛らしい音を立てるわりにわたしに優しくはない。くすぐったさと恥ずかしさに身をよじるけれど、しっかりと腹に回された腕の拘束は緩まない。




「……譲チャン、何これェ?」


 ワントーン落ちた声と注がれる鋭い視線に、ひくりと頬が引きつった。たくし上げられて露わになった太腿、左脚の外側の一部が青黒く変色している。周りの部分をくるくるとなぞる指。抑えてはいるけれど声には確かな怒気が含まれていて、見えない表情が怖かった。


「こ、このまえ自転車で……」
「転んだのォ?」
「いや、その……うん、」
「ンっとに鈍くせーな譲チャン」
「いっ、あ、痛い! 靖友痛いってば、ぁっ!」


 ぐっと指が太腿に食い込む。痛みに悲鳴を上げて抵抗すると背後から大人しくしてろ、と低く耳元に囁き込まれた。出来るわけないだろう、涙が滲むほど痛いのだから。靖友がぐりぐりと押している太腿には大きな痣がある。先日自転車で転んで強かに太腿を打ち付けたのだ。数日もすれば消えるから大丈夫だろう服で見えないし、と高を括っていたのに、まさかわざわざまくって見られるとは思わなかった。



「ッぅ、や、靖友いたい、」
「もうちっと気ィつけて生活できねーワケェ?」
「わたしこれでも精いっぱい……」
「へーェ?」


 鈍い痛みが走って視界が滲む、出来たばかりの痣をいじめる指は容赦がない。腹周りを締め付ける手に爪を立ててもびくともしない。靖友にとっては何ともない抵抗を続けていると左肩にぬるりと濡れた感触、短く上がった悲鳴なんてお構いなしだ。震えて逃げようとする身体を腕のなかに収められてすっぽりと包まれる。痣をいじめていた手はいつの間にか太腿を這っていて、皮肉を生み出す口もいまは肩に甘い痛みを残していくだけで普段よりかは幾分大人しい。ん、ん、と唇の隙間から漏れた吐息混じりの声を抑えようとしても口を覆う手に力が入らない。吐き出す息にこもった熱に靖友が気づいてないわけがない。今日はやだ、その意味を込めて首を振るけれどいやらしく肌を撫でる手も痕を残す唇も止まる兆しはなかった。



「やす、やッ……き、今日はだめ、やだぁっ」
「ハッ譲それ、抵抗のつもりィ?」


 かーわいいネェ、呟かれて悔しさと恥ずかしさで顔が熱くなる。必死に身をよじって爪を立ててなんとか逃げ出そうとしても男女の差かびくともしない。今日はいやだ、何の準備もしてないし誰に聞かれるかも分からない寮でなんて絶対出来ない。



「靖友、っや、やだ! お願い待って……靖友待て! ね、いい子だから、はうす!」
「わあったから、大人しくしてろ譲。あとオレはアキちゃんじゃねーからやめろ」



 最後にちゅっとわざとらしいリップノイズを立てて自分で肌蹴させた服をしっかり肩口まで戻す靖友。まだ心臓がどきどきしてる、本当にするのかと思ってわりと本気で抵抗したのに、そこまで考えて慌てて頭を振って続きを打ち消した。後ろから膝を割られて靖友の脚がわたしの脚の間に割り込んでくる、そしてわたしの片脚を挟むようにして絡められた。素肌から体温がダイレクトに伝わってきて、皮膚のなめらかさだとか太腿の筋肉のかたさだとかをやけに意識してしまう。一分の隙間もないほど身体を密着させられ、自然と身体がかたくなり靖友に言われた通り大人しくなる。ベッドの軋む音も唇が皮膚に触れるときに立てられるいやらしい音もない部屋はひどく静かで、触れた部分から靖友の鼓動が伝わってくるのが唯一の音だった。そうっと耳たぶを甘噛みして吐息とともに鼓膜を震わせる、じわりと熱に侵される感覚に思わず目を閉じた。





「……勝手に傷なんて作ってンじゃねェヨボケナス」



 耳元に小さく落とし込まれた悪態に胸をくすぐられてたまらない気持ちになった。きゅうんと心臓が縮こまるような甘いくるしさ。そういうのずるい、反則だ。変に入っていた力が抜け、強張っていた身体を完全に靖友に預ける形になる。大きく息を吐き出しても顔に溜まった熱は逃げてくれない。



「靖友はずるい」
「ハァ?」
「ずるいよ、全部ずるい」



 そこで赤くなったわたしの顔か耳に気づいたのだろう靖友が納得したようにくつくつと喉の奥で笑った。かわいい、からかうような声色だと分かっているのに恥ずかしがってそういう甘い言葉を言いたがらない靖友の唇から紡がれた言葉だと思うといやでも反応してしまう。本当にずるいやつ、それでも好きだと思うのだからもうどうしようもない。



 熱を持った頬に手を押しつけて必死で冷ましているとぐりぐりと後頭部のあたりにおそらく靖友の額が押しつけられる、これは靖友が眠たいときにする仕草だ。振り返ろうと身体をよじると拒むようにしがみつかれて押さえられる、眠たいときの靖友はいつにもまして甘えたでわたしはこれにめっぽう弱い。おなかに回された腕が収まりのよい位置を探して動く、靖友自身も寝やすいようにか何度か身じろぎを繰り返している。これは抱き枕にされるな。


「やすとも、寝るの?」
「ンー、」
「……おやすみ、靖友」


 しばらくすると背後から規則正しい寝息が聞こえてきてそっと息をつく。わたしは向かい合って顔が見えるように寝たいのだけれど靖友は寝顔を見られるのが嫌みたいで、眠るときはだいたい後ろから抱き込まれるようにされる。寝てる間くらいは好き勝手にさせてくれたっていいのにね、あとは寝てるときくらい眉間に皺が寄っていないかもきちんと確かめたいところだ。まあしっかり抱きしめられるのも、このあたたかさも決して嫌いではないんだけれど。

 ゆるりともたげた好奇心のままに、気配に敏感な靖友を起こさないように慎重に首だけで振り返る。眉間に皺の刻まれていない、情けなく口元の緩んだ幸せそうな寝顔が間近にあって反射的に口を手で覆った。叫びだしてしまいそうな衝動をこらえたわたしを褒めてほしい。かわいいのはどっちだばか、小さく呟いてそろそろと重くなってきた瞼を下ろした。



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荒北さんと部屋でだらだらおうちデート。

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