うつくしいと呼ばせてくれ



「うつくしいな」


 いつものような明朗快活のそれではなく、そうっと確かめるように呟かれた声に日誌に落としていた視線を上げる。そうすると視界の端で長く伸ばした黒髪が揺れる。眼前の彼は首を傾げるわたしを放って満足そうな顔をしていた。彼自慢のかんばせのことかと思ったが、彼はいま美しいなと言ったのだ。鏡があるわけでもないのに、わたしを真っ直ぐ見て。


「なにが?」


 彼の真意が掴みきれず、ぐるぐると思考を巡らせてみても分からないものは分からない。ならば素直に聞いてしまったほうが楽だと思い尋ねてみたはいいけれど、逆にきょとんと虚を衝かれたような顔をされてしまって先ほどよりも困り果てた。わたしが何かおかしいことを言ったわけでもないのに、何を言ってるんだみたいな顔をするのはやめていただきたい。


「何がだ?」
「いや、わたしのほうこそ東堂くんに聞きたいよ」
「だから、何がだ?」
「……東堂くんは、いま何に対して美しいなって言ったのかなって」


 なぜこんなに噛み砕いて言わねばならないのだろうか、そんなに伝わりづらいように言った覚えはないと言うのに。東堂くんはわたしの言葉にひとつ頷くと、ああすまんね、と眉尻を下げた。あまりお目にかかることの少ないその表情にわたしは少しだけ目を見開く。こういう言い方は失礼かもしれないが、いつだって自信満々できれいに背筋を伸ばしている印象が強かったから、そんな表情もするのかと意外だったのだ。東堂くんだって普通の男子高校生だと言うのに、ファンクラブやら自転車競技部のレギュラーやらでちょっと敷居が高いようなイメージを勝手に持ってしまっていた。まったくの偏見で申し訳ない限りなのだけれど。


「いや、白崎さんの髪が、とてもうつくしいと思ってな」
「へ?」


 なんだかとんでもない言葉を聞いた気がする。わたしの髪がどうして彼のお眼鏡にかなったのか甚だ疑問だ。聞き間違いじゃないのかと勘ぐるが東堂くんはいたって真面目な顔をしていて、その羨ましいほど長いまつげにうっかり見惚れそうになったが頭を振って意識を現実に引き戻した。


「その、えっと、ありがとう? でも、東堂くんの髪だってきれいだと思うよ、自転車競技って屋外スポーツなのに全然傷んでなさそう」


 そうか? と首を傾げる東堂くんにそうだよ、とひとつ頷いて返す。いくらヘルメットをかぶるといっても長時間陽射しを浴びるのだからもう少しダメージがありそうなものの、東堂くんの黒髪はくっきりと天使の輪が分かるほどに艶があるし彼が動くたびにさらりと軽やかに揺れて存在を主張する。美形を自称するに相応しい美しい髪をしていると思う。


「いや、白崎さんの髪はまさに緑の黒髪というか……本当に、地毛が烏の濡れ羽色のようだ」


 東堂くんって天然たらしなんだろうか、嬉しいけれど顔が上げられなくて困る。髪を伸ばしていてよかったと思った。うつむいてしまえば長い髪がカーテンの役割をしてその奥を隠してくれる。真剣な瞳で真っ直ぐ見据えられ、そんな言葉を投げられたら勘違いしてしまいそうになるからやめてほしい。東堂くんは自分にも他人にも素直で、嘘を言うようなひとではないと知っている。だからこそ恥ずかしくてたまらないのだ。はあっと息を吐き出しても溜まった熱は簡単には逃げてくれないし、手のひらで包んだ頬はやはり熱くて単純な心臓もばかみたいにうるさい。


「わたし、染めてもきっと似合わない、から」
「染めるだなんてもったいない! そのままのほうがオレは好きだぞ!」
「そ、そうかな」


 そうだ! と力強く肯定する東堂くんに思わず頭を抱えたくなった。どうにかこうにか褒め殺しから逃れようとしたのにこれでは逆効果だ。とどめに男の子の、それも東堂くんの耳慣れない「好き」なんていう単語ひとつに過剰反応してしまい、うつむいた顔をますます上げられなくなる。顔も首も、皮膚に触れる空気すべてが冷たい。



「……随分と、伸ばしているのだな」


 それが少しだけ残念そうな、どこかトーンの落ちた声色だと気づき、そういえばとぼんやりした記憶をたぐり寄せる。緩くパーマの当てられた赤茶色の髪を人差し指にくるくると巻き付けていた彼と似たような会話をした。そのとき教えてもらったことも思い出して端整な顔を髪の隙間から上目にそっと見る。


「ん? どうかしたのか?」
「ううん、何でも」


 ない、と言い切る前に本当か、と覗き込まれるととても困る。きれいな顔が触れられそうなほど近くにある。わたしの心臓のためにも今後の生活のためにも離れてほしいけれど、わたしの唇は固く結ばれるばかりでやかましい鼓動のひとつさえ伝えられない。心配そうにわたしを見るそれを突っぱねられるはずもなく、ごまかすように優しく押しのけるように柔らかな黒髪を撫でつけた。驚いたように瞬きを数度繰り返し、上機嫌な猫のように目を細める。かわいい、けれどちょっといじわるそうな、男の子の顔だ。


「オレも、触ってもいいだろうか?」


 あまりにも自然な口ぶりで言うものだから、というのは言い訳だ。自分でまいた種でもあるから、きらきらとした瞳に断りきれずに小さく頭を縦に揺らしてしまった。羞恥で殺されそうになるのはわたしだというのに。



 書きかけの日誌の一番下、備考欄が埋まっていない。東堂くんの今日のカチューシャはシンプルな白。そんな関係のないことを次々思い浮かべてなければこのまま爆発してしまいそうだった。思ったよりもしっかりとした、男のひとの手が毛先をつまみ、後頭部のあたりを撫でつけ、時折頭皮をくすぐる。


「やわらかいな」


 いたずらな指は黒のカーテンをよけて隠した赤をあらわにする。唯一の予防線を丁寧に耳に掛けられそのまま軟骨の感触を確かめるように触れられる。彼の頭に伸ばしていたはずの手は満足に艶やかな髪の感触を楽しむことなど出来るわけもなく、前髪のあたりで固まっている。もう片方の手は机の上で大人しく丸まって与えられるくすぐったさと恥ずかしさに耐えていた。まめの出来た硬い指先でふにふにと耳たぶを触り、空いた片手で背にかかる髪を梳かしていく。


「すごいな、一度も引っかからない」


 髪の間を指がすべり抜けていく。彼の言うとおり一度も引っかかることはない。友だちからもよく羨まれるそれを彼は初めて与えられたおもちゃのように触れて、何度も何度も飽きずに遊んでいる。さらさらと背中に髪がぶつかる軽い感覚、頭のてっぺんから背中のなかほどまで撫でた手のひらが腰のあたりで止まった。


「もう少しで腰に届きそうだな」


 感嘆か、それともまた別のものか。先ほどよりは明るい声に楽しげに上がった口角。普段教室で見るようなものとも部活で見せるようなものとも少し違った笑顔に心臓が騒ぎ出す。嬉しくてくるしい、そしてちょっとだけさみしい。




「……でもこれ、東堂くんの好みとは違うんでしょう?」
「は?」
「前に、新開くんに聞いたことがあるの。去年同じクラスだったときに『白崎、おめさん髪長いな』って新開くんから話しかけてきてね。そのときに東堂くんはショートヘアの女の子が好きなんだって、新開くんが言ってた」かわいいよねショートヘア、わたしはあんまり似合わないんだけれど。



 果たしてうまく笑えているだろうか、自分ではよく分からない。いつもより目尻がすこし下がっている気がする、口元がなんだかぎこちない。苦笑に似た表情なんて、彼に見せたくないし悟らせたくないのにな。


「ち、違うぞ! いやっ違くはないが、その、」


 ひどく焦った声にわたわたと何かをごまかすようにばたつく両手、黒目の大きな瞳は見開かれていてうっすらと涙の膜が張っている。見るからにうろたえた様子の東堂くんに何か失言でもしただろうか、やはり先ほどの浅ましい言葉で気づかれてしまったか、とわたしまで不安になる。


 健康的に日焼けした頬が徐々に赤く色づく。東堂くんの力強い視線の先、その瞳のなかにただ一人映り込んでいるわたしの姿に臆病な心臓が跳ねる。東堂くんの指が毛先のあたりをすくって持ち上げる。そして机の上で丸まっていた手をほどかれ指が手のひらのなかに包み込まれた。視線が交じり合って逸らせない、真剣な色を宿したそれに捕らわれて一瞬たりとも意識を他に向けられない。



「白崎さんは長いほうが似合う、し、オレはそっちのほうがす、すきだ」


 つめの先がこつり、白いカチューシャにぶつかる。惜しみなく晒された額の赤さ、指先から伝う熱。おそらく、先ほどとは意味合いの違う「すき」。照れくさそうに、けれどきれいに笑う東堂くん。締めつけられるような甘い痛みをどうにかしてほしい。



 いっそのことこのまま死んでしまいたい、と思った。勘違いでもいいから確かめられないまま、幸せに浸ってゆっくり呼吸を止めていたい。けれど、そんなことを目の前の彼は許してくれないのだろう。

 繋ぎ止めるように包まれた手のひらのなかでただ縮こまっていた指にゆるゆると力を入れてみる。顕著なほどに跳ね上がる肩、驚きに彩られた見開かれた瞳、目尻のあたりまで染まった頬。これは少しくらいなら期待をしてもバチは当たらなさそうだ、と考えながら、握られた指をほどいてそうっと絡めてみせた。



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東堂さんとロングヘア少女、両片想い風味。
好みのタイプと好きになるひとが必ずしも一致するわけじゃない。

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