ミス




「ンなところにいたのかヨ鉄仮面! 今日のノルマもう終わったンだけどォ?!」


 突然聞こえてきた怒鳴るような声と荒々しいドアの開閉音に、細い肩が大げさなほど跳ね上がる。振り返って見れば、ついこの間までとんがりコーンのようだった髪を短くし、強がってはいるものの汗だくになった元ヤンがいた。そんなに粗雑にドアを開け閉めするなと注意をしようとしたところ、何やら様子がおかしいことに気づく。小さな黒目はさらに小さく丸くなり、歯ぐきの目立つ大きな口は間抜けにもぽっかり開いて、ブスに拍車がかかっていた。



「っンで、こんなとこに姉貴がいんだよ!」
「……ふっ、福富くんと委員会が同じで! その、福富くん苗字でわたしが親族じゃないかって思ったみたいで、わたしに話しかけてくれて。やすくんとのお話を聞かせてもらったり、やすくんが部活に入ったの教えてもらったり、してて……その、」

「荒北、オレが先輩に話をしたんだ。彼女を責めるな」
「本当は、あ、会うつもりはなかったの! 今日ももう帰るつもりで……ごめん。ごめんね、やすくん」



 姉貴? やすくん? きょうだい、この二人が血のつながった姉弟? こんな可愛らしいひとが荒北と? ……嘘だろ、似ていないどころの話じゃない。共通点と言えば黒髪とまつげの長さくらいだ。何だブス北、おまえ突然変異の末にその顔になったのか。というか「やすくん」って呼ばれてるのか、可愛すぎて似合わんな。

 まさかの仮説が見事的中してしまったが全くもって嬉しくない。唖然とするオレと新開を放っておいて、似ても似つかない姉弟の話は進む。荒北が彼女に詰め寄るがすぐ近くに並んでみても赤の他人にしか見えない。




「福富くんから見学に誘ってもらって、やすくんが嫌がるかなって思ったけど我慢ができなかったの。……余計なことしてごめんなさい、やすくんが嫌ならもう見学にも来ない、から、」



 荒北の顔がぎょっとなって目に見えてうろたえたかと思ったら、彼女がぽろぽろと泣き出していた。滲むことはあっても決して溢れぬようこらえた涙が、やわらかそうな白い頬を伝い落ちていく。先ほど泣きそうだった彼女に何も出来なかったオレたちに、何かが出来るわけがない。荒北が乱暴に彼女の目元を拭うが一度溢れ出したそれは止まらない。拭ったそばからこぼれ落ちては頬を濡らしていく。





「かん、関係ない、のに、泣いてごめん、ね」




 しゃくりあげながら彼女が伝えた悲痛な言葉に、荒北がぴくりと反応した。それに彼女は気づくことなく、嗚咽で詰まりながらも必死に荒北に思いを伝えようとする姿は健気で、そして少し怖いもの知らずだと思った。


「でもね、わたしすごく嬉しかったの、やすくんがまた夢中になれるものが見つけられたんだって。……ほんとに安心したの、いいお友だちもたくさん出来たみたいだし、」



 荒北のまとう空気が徐々に怒りのものに変わっていくのを、まるで似てない姉弟から一歩引いたところで見る。こういうのには他人が立ち入ってはならないものだろう、というのは半分建て前で、彼女には悪いが単純にキレた荒北のとばっちりを受けたくなかった。フクがどうかは分からんが新開が口を挟まないのはおそらくオレと同じ理由だろうと容易に想像がついた。



「ごめんね、やすくん。……会わないって決めてたけどね、会えてよかった。やすくんが元気そうで本当によ、」
「姉貴さァ、」



 涙を拭う手とは逆の手が彼女の華奢な肩を掴んだ。すぐさまゆがんだ彼女の顔に一瞬止めに入ろうかと思ったが、フクに腕で制されて大人しく引き下がる。いくら姉弟の仲とはいえ女性に乱暴するのはいただけない。元ヤンだが暴力に手を染めるようなやつではないだろう。



「関係ないって、ナニ」
「え?」
「姉貴とオレで、関係ないってナニ」



 疑問の声を上げたのは質問を投げかけられた先輩だが、オレも声が出そうになって慌てて口を押さえた。口から手を離し、そっと顔を上げるとフクも新開もオレを見ていて図らずも顔を見合わせることになった。無言で視線を交わし頷きあう、首を傾げたのは自分だけではないようで安心する。荒北、おまえそれ怒るところずれてやしないか。



「だ、ってやすくんが怪我したときも野球出来なくて悩んでるときも荒れちゃったときも何も出来なかったし、やすくんが不良ぶったのやめたのだって福富くんのおかげだし……やすくん、わ、わたしのこと嫌ってる、し、」
「ハァッ?!」
「ち、違うの? だって、やすくん話しかけても無視するし、いらいらしていろんなものに当たり散らしたりわたしに舌打ちしたりするし、昔はお姉ちゃんお姉ちゃんって頼ってわたしのあと追いかけてくれたのに、何も言ってくれなくなったし……」


 だんだんと声は勢いをなくして尻すぼみになっていく。涙がじんわりと瞳に膜をつくって彼女の瞬きとともに頬に伝う。言われたことに身に覚えがあるのかばつが悪そうに顔をゆがめて余計に人相を悪くする荒北に、彼女は細い肩を嗚咽で上下させながら苦しげに言葉を吐き出した。





「いつからか、もう、お姉ちゃんって呼んでくれなくなった、から……てっきり、嫌われてるんだと思ってた」



 荒れていた時期とはいえ実の弟にそこまでされれば嫌われたと思っても仕方ない。彼女の口振りからすると姉弟仲はかなりよかっただろうことが窺える。だからこそショックも大きいしつらかったのだろう。両の目からこぼれる涙は湧き出る泉のように際限を知らず、ひとつ言葉を紡ぐたびに頬を伝い落ちていった。オレならばこんな心優しい姉がいれば心から慕うに違いないのに、事情こそあれどそんなふうに蔑ろに扱うなんて考えられない。だが、荒北もそのことを後悔しているのだろう。苦虫を噛み潰したような苦渋の表情にいつも以上に深く刻まれた眉間の皺、うつむいた彼女にはどれも見えることはない。



「……ンなこと、言った覚えないンだけどォ」
「でも、」
「でももだってもねェヨ……ね、姉チャン」



 オレたちにもぎりぎり届くかどうか、それほどかすかな声。彼女はそれをしっかり聞きとめたようで溢れた涙で頬を濡らしながら、本当にほんとうに嬉しそうにわらった。荒北の言葉で箍が外れたのか、彼女は元々近い距離にいた荒北に抱きつきその胸元に顔を押しつけた。ずいぶんと可愛らしい姉で羨ましいとか思ってないぞちくしょうめ。



「ッ、いちいち大袈裟なんだヨ」
「だって……仲直りできたの、嬉しくて」
「っつーか、そもそもケンカなんかしてねェだろ」
「やすくんに冷たくされたの悲しかったし、本当に嫌だったんだもん。……だから、嫌われてないことももう一回お姉ちゃんって呼んでくれたことも、すごく、うれしいよ」



 荒北の手はごく自然に彼女の背に添えられて空いた片方はぎこちなく頭を撫でている。こうしていると身長差もあってか、姉弟よりも兄妹、あるいは恋人のようにも見える。……家族とはいえ、こんなふうに泣いてくれる女の子がいるのがどれだけ幸せなことか、果たして荒北は分かっているのだろうか。



「あとね、やすくんがまた本気になれるものが見つけられて、本当によかった」



 ゆっくりと荒北の胸元から顔を上げ、赤くなった目許をふんわり細めて笑う彼女。不意打ちだ、不覚にもどきりとした、危うく撃ち抜かれるかと思った。新開もサイクルジャージの胸のあたりをつかんでうつむいている。いまの微笑みの破壊力は凄まじかった、やかましいほどバクバクと心臓が早鐘を打っている。フクもだが新開も結構小さくて可愛いものが好きだ、だからいまのはかなりキたんだろう。





「福富くん、本当にありがとう。福富くんのおかげでやすくんも更正できたし、無事仲直りできました」


 どこか名残惜しそうにしながらも荒北から離れ、しっかりとフクに向き直って笑う彼女の表情は晴れ晴れとしていてほっと胸を撫で下ろした。涙をこらえる姿や沈痛な面持ちよりもやはり笑っているほうがいい。



「いや、オレは大したことは、」
「福富くんにとっては大したことじゃなくても、わたしはとっても助かったから。だからありがとう」



 それからオレと新開の前まで歩み寄り、どこか居心地悪げに視線をさまよわせたあとにゆっくり視線が合わさる。赤い目尻を少し擦り気恥ずかしそうにはにかんだ。



「ええと、その、大変お騒がせしました。部活のあとで疲れてるのに巻き込んでしまってごめんなさい。これからもやすく、靖友をよろしくお願いします。ちょっと口が悪いけど、よければ仲良くしてくださいね」


 福富くん、東堂くん、新開くんとひとりひとりの名前を呼んで深く頭を下げた。優しい姉の表情を浮かべた彼女にいつものように自信満々の笑みを見せる、そして白くて小さな手を取りそっと包み込んだ。


「荒北のことはこの箱根の山神・東堂尽八にお任せください!」


 ぱちりと長いまつげが音を立てそうに瞬きを繰り返す、丸くなった瞳がゆるゆると弧を描いた。小さな手がきゅっと包んだ俺の手のひらに力を入れる、自然と上がる口角を隠すことなく柔らかなそれをそうっと握り返した。心臓のあたりを押さえていた新開もようやく復活したのか、荒北の登場で聞けずじまいだった彼女の名前を尋ねた。


「そうだ先輩、聞きそびれてたんだ。お名前、教えてもらえますか」
「ああ、大変申し遅れました。改めまして荒北靖友の姉の、荒北譲です」


 譲さん、譲さんとおっしゃるのか。改めて上から下まで、不躾だと分かっていながらしげしげと眺め見てしまう。このひとが、荒北の実姉。何度見てもやはり血のつながりがあるなど到底信じられない。優しくて弟思いで可愛らしい譲さん、泣いたせいか少し赤くなった目が余計にあどけなさを感じさせる。



 不機嫌をあらわに新開にきゃんきゃんと噛みついてる荒北をどこか嬉しそうに見ている譲さんが視線に気づいたのかオレのほうを向いた。くいっと未だ握ったままの手を引かれて傾く身体、耳元に何かが掠めてこそばゆい。


「さっきの、ありがとう。やすくんをよろしくね東堂くん」


 ふふ、とこぼれる穏やかな笑い声に近づいた距離、つま先立ちをしてもまだ足りない身長差も小声で交わされた言葉もくすぐったくて、たまらなくなって叫んだ。


「こんな素敵な姉君は、労らねばならんよ荒北!」


 おまえは本当に幸せ者だばかやろう、と思ったけれど口には出さずにそっと仕舞い込んだ。代わりに見せつけるようにつないだ手を上げてやると分かりやすく荒北の顔がゆがんだ。


「そうだぜ靖友、こんな可愛くて優しい姉ちゃん大切にしないとだめだぞ」
「てめッ新開昨日までフッツーに苗字呼びだったろ! つーか東堂! いつまで姉チャンの手ェ握ってんだ離せ!」
「なんだ嫉妬か荒北、心が狭いな!」
「ンだとこのデコッパチィ!」
「荒北、東堂、ケンカはやめろ」


 この男をおちょくるのは存外楽しいことは最近覚えた、いちいち反応するからオレにも新開にもからかわれることを荒北は気づいていない。そして今日、新たにからかうネタが増えた。譲さんの手を取ったままフクの背に隠れれば荒北は何も出来なくなる。ぐっと歯噛みすると荒々しく舌打ちをする、ワッハッハ! 悔しかったらフクの目の前で啖呵でも切ってみろ。ふふ、と真横から聞こえる鈴の転がるような耳心地のよい笑い声、それに荒北もしかめていた顔を和らげる。



「姉チャン?」
「ううん、思ったより馴染めてるみたいで安心したなって思って」


 するりとオレの手をほどき、先ほどまで威嚇をしていた荒北の頭を慣れた手つきで撫でる。またちょっと足りない高さは荒北が自発的に頭を傾けて補っていて、その図に危うく吹き出しそうになったがこらえた。美形がするような行為ではないのはもとより荒北に本気で蹴られるのはごめんだ、ただ黒髪の隙間から覗く真っ赤な顔はしっかりと見た。可能ならば記念写真でも撮りたいところだが部活後に荒北との追いかけっこはさすがに骨が折れるから今回は止めておいた。

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