小石川が去った後、ずっと呼び出せなかった番号を表示し、ずっと押せなかった通話ボタンを、簡単に押す。数コール後に、聴こえたのは懐かしい声。 あの海で、待っとるから。 そう一言告げると俺は相手の返事を確認することなく、携帯の電源を、落とした。 ―――忍足。自分一体、何がしたいんや?白石に千歳とのことは関係ない言うたと思うたら、千歳と約束放ってまで白石の前に現れて…ホンマ、何がしたいん?…違うな、何がしたいん、やない。千歳と白石と、どっちが欲しいんや? 海へと向かう道を、走りながらさっき小石川に言われた言葉を思い出す。俺はその言葉に、何て答えたんやっけ?…あぁそうや、何を言うとるんかわからんくって、何も答えること、出来んかったんや。 ―――…自分がそない、優柔不断な奴やなん、思わんかったわ…ぶっちゃけ、見損なった。 ホンマはわかっとった。小石川が何を言うとったんか。 俺は欲張りやから。きっと蔵ノ介も千歳も、両方が欲しかったんや、両方共傍に、居って欲しかったんや。 昔は蔵ノ介と光、両方が欲しかった。やから両方にいい顔をしとった。両方に好かれるようにしとった。 蔵ノ介と一緒に居った時、光が後を追いかけて来とったんも、光が俺らのすぐ後ろで車に轢かれとったんも、知っとったんに。あの時の俺は、蔵ノ介を選んだ。やってそれまでずっと、光と一緒におったから。ここで光を選んでしもうたら、蔵ノ介が俺の元を離れてまうと思うたからや。 結果、俺は光を失った。光だけやない、蔵ノ介も失ってしもうてたんかもしれん。 あの頃の、キラキラしとった蔵ノ介は、もう俺の横には居らん。蔵ノ介は気付いとらんかもしれんけど、彼は弟と一緒に居る時が、何だかんだ言うて一番、楽しそうやったから。光もそれは同じ。俺と二人で居る時より、蔵ノ介と居る時のんが、何倍も楽しそうやったんや。 結局俺は、一人にされるんが怖かったんや。どんなに頑張っても俺は、彼らの“きょうだい”にはなれん。やったら互いから一番愛されたいと、思うたんや。そうすればずっと、彼らと一緒におられると、思うとったんや。 海に着くともう、千歳はそこに居った。否、ずっとそこに居ったんかもしれん。俺が約束を破った、あの日からずっと。ここで俺が来るんを、待っとったんかもしれん。 「…聞かせてくれんか。自分が、求めとるモンを」 立ち止まった途端何の前振りもなくそう言うた俺に、千歳は面食らった顔をしとったけど。やけど小さく頷くと、穏やかな表情で語り始めた。自分の過去を、そして彼が、求めとるモンを。 千歳千里という男は、幼い頃に両親に妹ともども捨てられたそうや。 母方の祖父母は妹のことだけを引き取り、千歳のことまでは面倒見きれんと、施設に入れたんやが、その頃は完全に見捨てられとったわけやなかったそうで、祖父母と妹はよく、千歳に会いに来とった。ホンマに経済的な理由っちゅーやつで、幼い妹の方を手元に置くことを選んだらしい。 やけど、その祖父母が立て続けに亡くなり、今度は父方の伯父一家に彼らは引き取られた。その際に住み慣れとった九州からここ、大阪に引っ越してきたんやと。伯父一家は、千歳ら兄妹のことを僅かな遺産だけしか持たへん厄介者としてしか、見とらんかった。妹さんを全寮制の学校に入れてまうと、千歳には何一つ構うことはせんかった。食事を摂る場所も別、その食事すらここ最近は、出されなんようになっとったそうだ。 そして今、これは小石川から聞いたことやが伯父一家は千歳が姿を眩ませているにも関わらず、警察に届け出とらん。千歳を探そうとも、しとらん。 そないな状況で、過ごして来たんだ、生きてきたんだ。千歳千里という男は。 俺なんかには到底想像出来んような…そんな世界に居ったんや、千歳千里という男は。 留守電に残されとったメッセージの意味が、そないな過去を聞いたことで、わかった気がした。やけどきっと、わかった気になっとるだけなんやろう。俺なんかに千歳が背負ってきたもんが、わかるはずもない。わかるはずないねん。俺に、こいつのことが。こいつの求めとるモンが。 「…前に謙也、俺が転校ばしてきた訳、聞いたとね?」 「あ、あぁ…運命の人を探しに来た…ちゅーヤツやろ」 「…本当は、俺を一緒にいてくれる人を、俺を一番傍に置いてくれる人を、探しとったとよ…俺が求めとるんは、ずっと俺の、傍にいてくれる人……謙也は、俺を一番傍に、置いてくれっと?こんな俺やけん、一緒にいて、くれっと?…いて、ください」 重かった。 ぶっちゃけんでも、千歳の過去は俺には重かった、重過ぎた。そして、千歳が求めとるモンも。 俺にそないなこと、出来るわけない。 俺にそないなこと、出来るはずない。 真っ直ぐに瞳を向けて来よる千歳をそれ以上見てられんくて、それ以上見られたらおかしなってまいそうで、俺は顔ごと目を逸らし、千歳から逃げた。 「ごめん。ごめんね、謙也。謙也の重りになってしもて、ごめん…好きになってしもて、ごめんなさい…」 いつものように柔らかく笑いながらも、目から一筋涙を流した千歳を置いて。 俺は彼の言葉に答えることもせんで、走り出した。今度はホンマに、千歳から逃げ出したんや。 真っ赤な夕日が嘲笑うように俺を照らす。そないな夕日を、何も言わんモンを睨みつけるしか、俺には出来んかった。 欲しいものは、仰山あった。 それを全部欲しがっとるうちに、自分でも一番大切なモンが何なんか。一番欲しいモンが何なんか。 わからんように、なってもうたんや。 15 Desire |