「…誰や?自分…」 「ひ、かる?何、言うとるん?冗談やろ?」 お邪魔しますと、小さく断ってから恐る恐る入った家。広い廊下を真っ直ぐ進むと、リビングなんやろ、テレビとソファーが置いてある部屋があって。 そこに光はおった。やけど、その光は。 「…ホンマに誰なん?勝手に人んち上がって…一体、何モンなんや」 ワイの知っとる、光やのうなって、いた。 それが事実やって示すように、ワイを見るその目は疑いと戸惑いしかない。いつもみたいな暖かい色は、全くない。 全身で拒絶されとる、それが分かった。 背中を冷たい汗が、流れる。暑くなんないんに、額と掌にはべっとりと、汗をかいとる。 気持ち悪い。気持ち悪い、気持ち悪い! そんなワイをソファーの上で身をちっこく固めた光は、ものすごく嫌そうな目ぇして見とる。何やこいつて顔して、見とる。 そないな目で、見んなて、叫びたなる。そないな顔、すんなやて、言いたなる。 やけど喉は貼り付いてしもたように、一向に声を発してくれへん。 緊張なんかやない、恐怖?絶望?何や分からんけど、マイナスな感覚やってことは分かる。 そないな感覚が、全身を支配する。 嫌や、嫌や嫌や嫌や!そう叫んでまいたい。そう叫んでまえば、いくらか楽になれる気がしたから。 それなんにワイの身体はいっこも動かへん。声はいっこも出ぇへん。 光は相変わらず、そんなワイをじっと見とる。早ういなくなれ、とでも言いたげに、見とる。 一体どんくらい、そうやって押し黙ったまんま対峙しとったやろう。 「おー待たせたな…っと、悪い悪い。その子な、俺の客やねん」 「先生…どこ行ってたん?」 煙草片手にようやく戻って来たお兄さんの声がした途端、光の纏っとったオーラが変わる。ワイとおった時みたいな、安心しきった顔をして。未だに動けんワイの横を、こっちをちっとも見んですり抜けると、お兄さんの方へと駆け寄る。 ワイに向ける表情は変わってもうたんに、すれ違い様に漂ってきた匂いは変わらんで。 何だか泣きそうになった。 「光。俺ちょおこの子と話あるから。部屋行ってなさい」 「…はーい」 時計を見てみると、ワイがこの家に入ってから…光と対面してからまだ、五分も経ってへんことが分かった。それなんに酷く長く、そして光と一緒におったんに、酷く辛い時間やった。 「…わかったやろ。光はもう、キミのこと覚えとらんのや。綺麗さっぱり、忘れてもうたんや」 ぱたぱたと階段を駆け上る音がして、光が二階へ行ったことを音で確かめてから。渡邊オサムと名乗ったお兄さんは真剣な目をして、言うた。それが事実やって、ワイにも分かっとった。分かっとったけど。 「う…そや、嘘や、嘘や!ひかるがワイのこと、忘れるはずあらへん!毎日寝る前に思い出してくれてるて、そうやって忘れんようにしてくれてるて、そう言っとったもん!そんな…そんなひかるが、ワイのこと…一緒におった時間のこと、忘れるわけ、ないやろ!」 否定することしか、出来んかった。 認めたなかった、光がワイのことを忘れてもうたなんて。 やって、つい何日か前には、一緒に学校行ったやないか。またなって、笑うとったやないか。 それなんに、何で…何でワイのこと、忘れてしもうたんや? そんなこと、あってたまるか。あっていいはず、ないやろ。 「…自分『また明日』て、言うたんやろ?光にとってその言葉が、どない大きな意味持っとるか、知らんかったとは、言わせんで?」 渡邊さんのその言葉に、ハッとする。 そうや、あの日ワイは光が言うたんや。“また明日”て。“また”っちゅー言葉が、光にとってめっちゃ重いっちゅーか、大切な言葉やってことも。忘れてまう光にとって“また”っちゅーたった2文字が、拠り所になっとることも、分かっとった。分かっとったんに、ワイはあの日その言葉を、言うたんや。 ワイにとっては簡単に口に出来る言葉。やけど光にとってはとても大切な意味をもつ言葉。 それをワイは、自分のちっぽけな自尊心満たす為に、言うてしもうた。 ワイがいっちゃん光のこと、分かっとる気に、なって。 「あいつは…光はあの大雨ん中、ずっと自分のこと、待っとったんや。自分が『また明日』なん、簡単に言うたせいで…そのせいであいつ、熱出して三日間寝込んだ。あいつの記憶が十三時間しかもたんこと、知っとるやろ?」 十三時間しかもたんから。やから光は寝る前に一日にあったこと思いかえして。忘れたらアカンことをちゃんと、思いかえして。 やけどもし、寝込んでしもうたらそないなこと、出来ん。 「全部、忘れてしもうたんや。事故に遭うてから後のこと、全部…勿論、自分のことも綺麗さっぱり、な」 目の前が真っ暗になった。 光のこと責めるんは、お門違いや。全部全部、ワイのせいなんや。 光が言うとったんに。日記読んでも思い出せん人がおるて、その度に悲しなるて。 その顔見た時に、こないな顔させたないて、思うたんに。 今光にその思いをさせとるんは…ワイや。 「ようやくその混乱も収まったとこやねん。そんな時にいきなり現れよってからに…一体、何のつもりなんや?」 何も言い返せんワイに、容赦なく言葉の刃が降り注ぐ。聞きたない、やけど聞かなアカン。そんな言葉が次々に、降ってくる。 「…お前にあいつんことが、守れるんか?あいつが背負っとるもん、一緒に背負えるんか?」 先ほどまで責めるような色しか含んどらんかった渡邊さんの声が、色を変えた。 その変化に一縷の希望が見えた気がしてワイは、伏せたまんまやった顔を上げる。 さっきまで光が座っとった場所に座る渡邊さんは、めっちゃ辛そうな顔しとった。 こん時分かった。この人にとっても光は、大事な存在なんやって。守らなアカン存在なんやって。 やけどその気持ちはワイかて負けとらん。負けたらアカンのや。 「わからへん…やけど、背負いたい。ひかるが少しでも笑うてくれるように。ひかると少しでも長く、一緒におるために」 ワイがしてもうたことを、償うためにも。それも結局ワイの、自己満足なんかもしれんし。全てを忘れてもうた光にとっては、迷惑なだけかもしれん。ワイなんかよりも、事故に遭う前から接点があったんやろう、渡邊さんのんがそれは適任に決まっとる。 やけど、やけど。 「ワイは、これからもずっと、ひかると一緒に、いたいです」 ワイは光のことが、大好きやから。 例え光がワイのことを忘れてもうても、ワイは光のことが大好きやから。 ずっと、ずっと一緒におりたいねん。ワイの傍に、いて欲しいねん。 「…その言葉、信じたで…自分やったらあいつみたいに、手放したりせんて。信じさせろや」 「…よう分からんけど…やけど、信じてください!ワイはもう、二度とひかるの手、離したりせん。絶対に、離したりせんから!」 もう一度、光と友達になりたいんや! その言葉に渡邊さんは、満足そうに頷いた。 渡邊さんが言う“あいつ”言うんが誰だかなんて、関係あらへん。 ワイはワイに出来ること。ワイがやりたいことを、するだけや。 なぁ光、まだお前が許してくれるんやったら。 もう一遍、ワイと友達になってください。 そんでもってあの約束を、果たさせてください。 もう一遍、ワイの前で笑うてください。 もう二度と、悲しい想いはさせへんから。 絶対に、守ってみせるから。 その日からワイは、学校が終わると真っ直ぐに光と渡邊さんが暮らす家に、通うようになる。 それを光がどう思うとるなん、考えずに。 ただただ光とまた友達になろうと、必死になっとった。 もう一遍光の笑顔を見ることに、必死になっとった。 09 Live a lie |