「着いたばい。ここっちゃ」 「ここ、は…」 千歳に手を引かれたまま辿り着いたんは、海。 子どもん頃は家族とよぉ来とった場所やけど、ここ数年は訪れることなん、なかった場所。 秋を過ぎとるからか、その場におるんは俺らだけで。目の前一杯に広がる海も砂浜も、全部が俺らだけのもんに、なっとって。 「…なんや、でっかいなー…」 「そうっちゃろ?ここにおっと、悩み事なん、ちっぽけなもんて、思えっとよ」 引かれとった手が離された思うと、どかっと千歳は砂浜に、腰を下ろす。制服汚れるで、と言う声も聞かんでそのまま、背中まで砂に着けてもうて。 「謙也もこうしてみっとよかよー気持ちばよく、なるっちゃ」 見上げるように、笑みを浮かべたまんまこっちを見た。 その言葉に、素直に従って。そもそも制服なん、着ることも数えるほどやろうしえぇか、思うて。 千歳の隣に横になれば、目に飛び込んできたんは、鮮やかな青。そこを気持ちよさそうに、雲が泳いどる。自由に泳ぐ雲を見とると、ホンマに自分が、ちっぽけなもんに、思えてきた。 そのまま暫く、そうやって横になっとって。その間、俺らん間には何も会話なん、なかったけど。 やけど妙に、心地えぇ時間やった。 「…そう言えば、千歳って最近転校してきたんやろ?何でまた、こない中途半端な時期に…」 ただ寝転がっとるんにも、飽きた頃。蔵ノ介に聞いて、ちょっとやけど疑問に思うとったことを、聞く。顔だけ隣に向けてみると、千歳はその顔を、空に向けたまま。 「…俺がこの街ば来たんは、運命の人を、探す為っちゃ…謙也にもおるっちゃよ。大切な大切な、運命の相手が」 そう言うとゆっくりと長い腕を空に向かって、伸ばした。その手がこいつの言う、運命の人に届くんかは、わからへんけど。 やけど俺と違うて、ちゃんとその腕を伸ばそうと、そして掴もうとしとるこいつはやっぱり。 俺よりも、幸せなんやろう。 それが出来るっちゅーこと自体が、幸せなんやろう。 千歳の言葉には答えずに俺は、もう一遍空を見た。 相変わらず眩し過ぎるくらいの青が、そこには広がっとった。 千歳の真似をして腕を伸ばしてみよう思うたけど。 美し過ぎるそこに腕を伸ばすなんてこと、やっぱり俺には出来んかった。 俺なんかが腕を伸ばしてまうことで、俺なんかが触れてまうことで、 それを壊してまうんが、怖かったんや。 *** 「…原稿、落とした?」 「あー…まぁ、な」 「何で!?この前聞いた時は、余裕やって言うとったやないか」 「しゃーないやん、描けんかったもんは、描けんかったんやから」 部活の引き継ぎやら勉強やらで忙しいて、二・三日謙也の所に来れん日が続いとった。その間に、一つあったはずの、原稿の締め切り。それを謙也は、守れんかったって言うんか?それがどないな意味をもっとるんかは、謙也が一番良ぅ分かっとるはずや。なんに謙也は、妙にすっきりしたような顔、しよって。 「…まぁ、描けん描けんて悩んでたって、しゃーないねんな。原稿は落としてもうたけど、次頑張れば、えぇねんから」 “次”があるんか、分からんのに。そないなことを、言いよった。 謙也みたいな駆けだしの漫画家に、そう簡単に仕事が舞い込んでくるわけがない。それなんに、締め切りを守らへん漫画家、なんてレッテルでも貼られてもうたら、余計に仕事なん、来ないように、なってまうんに。 ふと、あの日一緒に学校に行った日のまま、クローゼットに収められることなく放り出されとった制服の位置が変わっとることに、気付いた。それと、スラックスが少しやけど、汚れとることにも。 「…なぁ謙也。自分、学校にでも行ったんか?」 「ん?あぁ、気分転換にーって行ったんやけどなぁ…気分転換にはなったんやけど、原稿は描けんままだったわ」 少し力なく笑う謙也を、俺はそれ以上問い詰めることは、出来んかった。 「そう言えばこの前、忍足、あの転入生と一緒におったで?また呼び出されでも、したんか?」 「あの、転入生て…」 「あいつや、あいつ。千歳千里。あないでっかい奴、他におらんからな。一目で分かったわ」 翌日。謙也と俺が幼馴染やってことを知っとる奴から、もたらされた情報。 『蔵ノ介ー千歳千里って、どんな奴?』 『は?なんでまた…』 『あぁ、こないな時期に転入して来るなん、気になっただけや』 千歳千里。俺はつい数日前、謙也にその名の持ち主について尋ねられた、ばかりや。 そん時は適当に、部活の仲間やクラスメートから聞いた“千歳千里”の話を、言うたっただけやった。大したことやないて、思うとった。 やけどもしあの日、謙也が千歳と会うとったんなら? もし締め切りの前に、謙也が千歳と会うとったんなら? 千歳が謙也の事情なん考えんで、謙也を呼び出したんなら? 謙也が自分の意思で、千歳に会いに行ったのやったら? そないなこと、許さへん。 そないなこと、絶対に許さへん。 やって、やって謙也は俺のやもん。俺だけの、もんなんやもん。 窓の外を見ると、周りよりも頭一つ大きな人影が見えた。 なぁ千歳、自分、どないなつもりで謙也に、近づいとるん?もし自分が俺と同じ気持ちで、謙也に近づいとるんやったら。俺はお前んこと…… 「白石?どないしたん、ぼさっとしよって…」 「ん、あぁ、何でもあらへん。ちょお、考え事しとっただけや」 もう一度、窓の外を見る。もうあの姿は、そこにはなかった。 同じように俺たちの世界からも消えてしまえばえぇんに。そう考えてまう、こんな醜い感情を謙也には見せるわけにはいかんなって、思うた。 06 Important |