「…ちゅーか、授業出たところで何も分からへんし」



昨日蔵ノ介が持ってきてくれたプリントに示されとった時間は、放課後のもんで。せやのに朝から幼馴染と一緒に学校に来てしもうたことに、早くも後悔。
久しぶりに入った教室では、何や奇妙なモンでも見るようなクラスメートしかおらんで。俺が学校休んでんのが原因やろうけど、やけど何ちゅーか、居心地が悪うて。

唯一仲良うしてたヤツも、何や知らんが今日はおらん。こんな時、蔵ノ介と同じクラスやったらって思うけど。こればっかりはしゃーないこと。多分今頃、真面目に授業を受けとる蔵ノ介に悪い思いながら、俺は屋上へと続く扉を開けた。


途端広がったんは、眩しすぎて目が痛なるんやないかってくらいの、青空。


考えてみると、ここん所ずっと締め切りや打ち合わせや言うて、ゆっくり外の空気吸ったこと、なかってん。強く駆け抜ける風を、胸いっぱいに吸い込むと。俺は大の字になってそんな空を、見上げた。



「んー?珍しかね?こぎゃん時間に、誰かおるーて」



どれくらいそうしとったやろか。間延びした声に身体を起こすと、そこにおったんは俺より十センチ以上は高いであろう、長身の男。
同じ色のネクタイを絞めとることから、同級生なんやってことは分かったけど。そない学校来とらん俺には、こいつが誰かなんて、分からんで。



「…誰や?」



思わず低い声が出てもうた。表情も強張っとるんが、自分でも分かる。授業が始まっとるこの時間帯に、こないな場所におるっちゅーことは、こいつもサボりなんやってことは、理解出来た。せやけどその風体のせいか何や、身構えてしもうて。

さっき俺を迎えたクラスメートたちの冷たい視線が、蘇る。何でおんねんって顔、まるで異質なモンでも見るような目。

きっとこいつも、いつもやったら自分一人でおられる場所に俺がおったこと、奇妙に思うとるんやろう。そしてまた俺は、あの目を向けられるんや。



「あー悪かったとねー俺、千歳千里言うばい。こん辺りば越して来たの、最近ばってん…知らなかでも当然ったい…そういう自分は、何て言うと?」


それなのにこいつ…千歳千里は何でもないように、笑ってみせて。それは今日初めて向けられた他人からの、笑顔で。



「お…忍足、謙也」

「ん、謙也言うとねーこれも何かの縁ばい。よろしくな」



呆然とまだ座ったままの俺に、手を差し伸べた。
俺のんよりも大きなその掌を躊躇いながらも、握ると。



「うっわ!」

「こぎゃんとこでぼさっとしとるなん、勿体なかよ!ほれ、動くったい」



その手を思いきり引かれて、俺の身体は自然と立ち上がってしまう。そのまま引っ張られた腕を追いかけるように、俺の脚は動く。


青空の下を、こんな風に誰かに手を引かれて走るなん、何年ぶりやろう。否、そもそも走ったことすら、久しぶりや。昔はこうやって…そん時俺の手を引っ張るんは一人やのうて、二人やったけど…手を繋いで思いきり、走り回っとったことも、よぉあったんに。



不意に、懐かしいて感覚が、襲ってきた。それと空耳みたいに聞こえた、懐かしい声。
もうそないな風に俺を呼ぶことのない、失くしてしまった声。



―――謙也兄ちゃん!



そう呼んでくれたあの子は、もうおらんのに。






「…あーすっきりしたー…謙也も、ちょこっとは気ぃ、晴れたと?」


それからどんくらい、同じ場所ばっか走っとったやろ。引き籠りがちの身体はとっくに根を上げてしもうて。手が離された途端止まってしもうた足。両膝に手を置いて息を整えとると聞こえたんは、笑い声と一緒に紡がれた言葉。

伏せとった顔を上げると、千歳は最初に見せてくれたんよりもずっと楽しそうに、笑っとって。
そないな顔見とったら、俺まで何や、面白い気分に、なってしもうて。



「あーこない走ったん、久しぶりや!ん、すっきりしたわ!」



ここに来た時に感じとったもやもやが、消えとることにも気付いた俺にも、自然と笑顔が浮かんだ。
それと同時に、蔵ノ介以外の前で笑うたんも久しぶりやなって、思うた。

それはよかったばい。そう言ってまた笑う千歳は、ホンマに楽しそうで、そして幸せそうで。


俺はこないな風に笑える千歳が、羨ましいて思うた。そしてこないな風に笑えとった頃の自分を思い出して。ちょっと、切のうなった。




あの頃は“幸せ”なんてもん、ちっとも意識したことなかったけど。今思うとあの頃が俺にとって、いっちゃん“幸せ”な時期やったんやなって、思うんや。


目の前に立ち笑う千歳は、ホンマに幸せそうやった。
それに釣られて笑っとる俺は、全然幸せなんかやない。





そうやって俺はずっと、俺んことを可哀想なヤツやって決めつけとった。
俺以上に辛い目に遭っとる奴がおることにも、こんな俺んことをずっと考えてくれとる人がおることにも。気付かんでいた。




「…謙也?どぎゃんしたと?」

「…なんでもないわ…ちょお、走り疲れただけやねん…ちゅーか自分、変なやっちゃな」

「よく言われっとーばってん、これが俺ばい、今更変えられんとよ」



さっき初めて会ったばかりの人間である俺に、臆面なくそう言い切る千歳を。
自由に走り回ることが出来とる、千歳のことを。



やっぱり羨ましいて、思うことしかできんかった俺は。せやなと、小さく返すんがやっとやった。









03 Ascent



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