彼と彼らの日常。19






あの日…小石川の変化に気付いた日からずっと、考えていた。こうなってしまった切欠は、何だったのだろうって。


小石川の態度が変わったのは、文化祭が終わってから。文化祭前は屋上で、一緒に飯食べたり話したりしていたから。
そういう“関わり”が消えたのは…小石川が俺たちに嘘を吐いてまで屋上に来なくなったのは、文化祭が終わってから…あの劇が、終わってから。

それを思い出した俺は、机の引き出しにしっかりと仕舞っておいた、小春お手製の台本を取り出し、ページをめくる。この練習を始めた頃から、小石川とは少し距離が出来ていた。しかし今の様に明確な壁があったのではなく、小石川だって俺たちに協力を、してくれていた。一番傍で応援をしてくれていた。
ぱらぱらと、何度も読んだのだからすっかり覚えてしまっている内容を、当時のことを思い出しながら読み進める。


と、ひとつの言葉が、目に飛び込んだ。




―――血が繋がっとれば、家族なんか?一緒に暮らしとれば、家族なんか?



それまでは何とも思っていなかった台詞。だが石田さんから小石川の事情を聞いた時から、その言葉はもつ意味を変えていく。



―――家族て、お互いに想いやることが出来て、支え合うことが出来るもんやないんかな。家族て、無条件で頼ることが出来る存在なんや、ないんかな。



これは家族だけじゃない。友達にだって、言えることだ。初めてこの台詞を読んだとき俺は、そう思った。そしてそう思える相手が…友達がもう、俺にはたくさん出来たことにも、気付いた。


小石川は、この言葉を聞いたときに何を思ったのだろうか。俺は小石川じゃないから、小石川の気持ちなんて分からない。分かりたい、そう思っても完全に理解することなんて、出来ない。

だけど、少しだけでも近づくことは出来るんじゃないか?




「俺、お前んこともっと知りたい…ちゃんと分かりたいんや」



もう一度目を拭うとその手も、掴んでいる胸元に沿える。傍から見たら祈っているようだろう。ある意味それは、間違いではない。俺は、小石川のことをもっと知りたい、分かりたい。それを、願っているのだから。



「っ!勝手なこと、言うなや!…俺は、俺は自分とはちゃうんや!自分みたいに、自分自身のことなん、信じられん。自分みたいに、変わろうなん思えん。自分みたいに…自分みたいに、笑うことも、出来んのや!…そんな資格、俺にはない」



胸倉を掴んでいた手を、思い切り払われる。勢いよく紡がれた言葉は段々とそのスピードと強さを減らしていき。それまではしっかりとこちらに向けられていた顔は、逸らされる。それによってその表情を見ることは出来なくなってしまったが、小刻みに揺れる肩から彼が、感情を抑え込もうと必死になっていることが分かる。


もう、いいんだ。我慢なんてしなくて、いいから。



「…もう、我慢せんでえぇんやで…俺には言いたいこと、言うて欲しいねん…やって俺ら、“友達”やろ?」

「…俺は、自分とはちゃうんや…自分みたいになる資格なん…ないんや」

「阿呆!」



バチンっと、小気味よい音が空気を切り裂く。
震えが収まるようにと肩へと伸ばしかけた俺の手は、思い切り小石川の顔を、張り倒していた。



「何が資格や!言いたいこと言うんに、資格なんてあるんか!?友達になるんに、資格なんてあるんか!?」



呆然と、ほんのり赤みがさす右頬を抑えながら再びこちらを見る小石川の胸倉を、今度は両手でしっかりと掴む。



「ちゃうやろ?そないなもん、いらんやろ?…俺がお前と、小石川健二郎と友達になりたいて思うた。小石川健二郎の傍に知りたいて思うた。小石川健二郎のこと、もっと分かりたいて思うた。それだけで十分やろうが!違うんか!?」



一旦は収まっていた涙がまた、溢れだす。拭うことをせずにただ零れるそれは頬を伝い落ちて、制服を濡らしていく。ぼろぼろ、ぼろぼろと、流れ続ける。
そんな…はっきり言わなくてもかなりみっともない姿で叫ぶように噛みつく俺を、小石川はしっかりと両の目で捉えていて。



「俺は…俺はお前と、小石川健二郎と一緒におりたいねん!」



あぁ、やっと言えた。
伝えたかった俺の気持ちの一つを、やっと伝えることが出来た。



「…めろ、やめろや…俺は…俺は自分と一緒におることなん、出来ん。そないなこと、願ったらアカンのや!」

「こいしか、わ…」

「そないなこと言うて、また俺んこと、置いていくつもりなんやろ?どうせ俺んことなん、いれんのやろ?」

「な、何言うとるんや?」



俺の中で小さな達成感が芽生えた瞬間。小石川は頭を抱え屈むと、肩を…今度は大きく震わせて、ぶつぶつと呟き始める。何が起こっているのか、皆目見当もつかない俺はせめてその表情を窺おうと、震える肩に手を伸ばした。



「っめろや!」



しかしその手は彼の肩に触れた瞬間、さっき俺が彼の頬を叩いた時以上に大きな音を立てて、払い除けられる。同時に上げられた小石川の顔は感情が昂ぶっているからか、真っ赤に染まり。怒っているようにも泣いているようにも、見えた。

そのまま肩で息をしながら立ち上がり、俺に背中を向けるとゆっくり、ベランダの淵を囲む柵の方へと、歩き出す。そんな彼に、今度は俺が呆然とさせられる番だった。何が起こっているのか。彼が何を言っているのか。分からなかったから。


ガシャンと、鈍い金属の音がする。その音に俺は、ようやく我を取り戻す。ここにいる意味を、思い出す。


目を向けると、小石川は低い柵の向こう側に、立っていた。まっすぐに背中を伸ばして、空に向かい手を伸ばすその姿は、とても眩しかった。



「…わかりたい?知りたい?…そんなん、無理や。やってホンマにここで、お別れやからな…もっと早うに、こうしとればよかったんや。そうすれば期待なんすることも、希望なんもつことも、なかってん」



口角だけを上げて、小さく笑顔を作る。しかしその顔は、泣いているようにしか見えない。まるで迷子の子どもが必死に親を探し求めているような、そんな様子にしか、見えなかった。


なぁ、何が一体お前を、そんなにも追い詰めているんだ?何でお前はそんなに、寂しそうな顔をしているんだ?
俺がいるじゃないか。俺たちが、いるじゃないか。期待することの、何が悪い。希望をもつことの、何が悪いというんだ。


そう言いたいのに、声帯は震えてくれない。たった一言が、届けられない。




「…白石、おおきにな。俺なんかのこと、気に掛けてくれて…他の皆にも、言うといてや…じゃあな」



頭で考えるよりも先に脚は、コンクリートを蹴りあげていた。もつれそうになりながらも、必死に動かし続ける。小石川に、届くようにと。
途中まで脚の動きを助けるように振られていた腕も、少しずつ視界から消えて行く小石川を求めるように、これでもかという程に伸ばされた。



まだ、まだ全部は言えていないんだ。
俺が君に伝えたい言葉が、まだ届けきれていないんだ。





「こ、いしかわぁ!」





まだこの手が、届くというのなら。
俺は精一杯、この手を伸ばすよ。














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