彼と彼らの日常。19 「けんじろーはずっと、仲間が欲しかったんやろな」 そんなもん、とっくにいるって、彼に伝えなくちゃ。 「ワシは…健二郎のことを、ホンマの息子やと、思うとるんやけど…な」 君はもう大勢の人に愛されているんだってこと、彼に伝えなくちゃ。 第十九話 白石蔵ノ介の疾走 「来てくれる、思うたわ」 「……千歳と忍足に、お前んこと欠席扱いにさせる気かて、どやされてん」 真っ青な空を、いわし雲が気持ちよさそうに泳いでいる。昔はあの雲に乗っかって、どこまでも飛んでいけるんじゃないかって、思ったこともあった。 だけど歳を重ねるにつれて、そんなことを考えられなくなって。…違う、考えても、誰かになんて言えなくなっていたんだ。 だって俺は“いい子”だったから。周りのお手本になるような子でなくてはならなかったから。 それを俺が、望んでいたのだから。 小石川が本当の俺を見つけてくれて、そして本当の俺を受け入れてくれるまで。ずっとそうだったのだから。それが幸せなんだと、信じていたのだから。 そんなことを考えていたら、錆びた鉄の擦れる音がした。 屋上と階段を繋ぐ、少し古い鉄製の扉から現れたのは、他でもない小石川で。 たった一日会っていなかったのに、酷く懐かしい気がした。 「…なんやねん、話て…俺は自分と話すことなん、何もないんやけど」 「昨日、石田さんに聞いた…お前のこと」 小石川の言葉を遮るように(事実、遮ったんだ。このまま帰られたら、話しが出来なかったら、嫌だから)声を発すると彼は一瞬、目を見開き表情を固める。だがすぐに、受けたダメージをゆっくり吸収していくように、段々とその表情をいつもの…違う、いつの間にか彼に張り付いていた、感情を読み取らせないものに、戻していって。 「…それがどないしたん?何や珍しいこと聞いたとか、思うとるんか?それとも、同情でもする気なんか?生憎、そんなんで動揺するなんてこと、ないで」 平然と言ってのけた。 そんな小石川を俺はもう、見ていたくなかった。これまで数か月間、ちっとも気付かなかったくせに、一度気付いてしまったらその表情を見るのが、辛くて、辛くて。こんなの俺のエゴだって、分かっている。 「そないなこと、思うとらんくせに。平気な面、すんなや」 だけど俺は、我慢なんてできなかった。 小石川が本音は…心の奥底では何を思っているかなんて、俺には分からない。 だけど、小石川のおかげで俺が本音を、ありのままの姿を晒せるようになったように。 小石川も俺のおかげ、なんておこがましいことは言わない。だがありのままの姿を、見せて欲しいんだ。思っていることをちゃんと、言って欲しいんだ。 「…別に、思うたままのことを、言うとるまでや」 「我慢すんな!…ホンマ、石田さんが言うとった通りやな」 それでも尚、表情を変えずに淡々と言い続ける小石川に、思わず声を荒げてしまって。それから昨日、石田さんが言っていたことを思い出す。石田さんの名前を出した瞬間、小石川の表情が変わった。 「…あの人が、何て言うたんかは知らんが…我慢なん、しとらん」 「我慢しとらん?ハッ!どの口がそないなこと、言えるんや?」 だがそれ以上、小石川に変化が生じることはなく。またしても逆戻り。その頑なさと言うか頑固さに、またしても声を荒げてしまう。あれ?俺、何しにここに来たんだっけ? 「俺に言わせてもらえばな、言いたいことも言わんで我慢して、それで周りが幸せになっとるって思うなん…愚の骨頂やな!自分だけやない…石田さんも言いたいこと我慢して、相手の為やって互いに本音を言わんで…馬鹿やろ馬鹿!揃いも揃って、大馬鹿モンや!」 「あの人んこと、悪う言うな!」 初めて、小石川が声を張り上げた。 その顔に、表情が戻った…それは、怒りであったけれども。それでも久しぶりに見る、小石川の“本当の姿”だった。そんな小石川に、やっぱり我慢しているじゃないかって、思う。 貶されて(否、貶すつもりはなかったのだが)怒るくらいに慕っているのならば、ちゃんとそれを伝えればいいのに。ちゃんとそれを、態度で表せばいいのに。 ―――ワシは…健二郎のことを、ホンマの息子やと、思うとるんやけど…な。 昨日聞いた石田さんの声が、蘇る。 なぁ小石川、お前はちゃんと、愛されているんだよ。お前にはちゃんと、家族がいるんだよ。 お前が石田さんの事を悪く言われて怒るように、石田さんだってお前に何かあれば、本気で怒ってくれる。お前の為に、怒ってくれる。 「…もっと早う、その顔を石田さんに、見せたればよかったんや…石田さんも、変に遠慮なんせんで、自分とぶつかっとけば、よかったんや」 石田さんが原因で、彼の義理の弟さん…つまり小石川の親父さんは、幼い小石川を一人残して家を出た。その原因となった事件がどんなものだったのかは、教えてもらえなかったけれども。石田さんは自分の行いを、悔いていた。心の底から悔いていた。 だからきっと、その“被害者”である小石川には、強く出られなかったのだろう。距離をどう取ればいいのか、伺い続けていたのだろう。 それが結果として、小石川を更なる不安へ…自分は、必要とされていないのではないか、という想いに駆り立てた。石田さんの行動だけじゃなく、彼が今まで受けてきた扱いから総合して、小石川は“良い子”で居続けることを、そうすれば見捨てられることがないと、思ったのだろう。 そんなことをしなくても、お前のことをちゃんと愛してくれている人が、ずっと傍にいたのに。 ちゃんと向き合える相手が、お前の傍にはずっといたのに。 「互いに変に遠慮なんして…そんなんやったら、いつまで経ってもホンマの家族になん、なれるわけないやろうが」 こんなの、俺の勝手な言い分だって分かっている。小石川と石田さんと、二人の事情を少ししか知らない俺だから言えることだって、二人のことを考えている言葉じゃないって、分かっている。 だけど、止められなかった。 これ以上、苦しむ小石川が見たくなかったから。これ以上、小石川に自分を偽って欲しくなかったから。 俺がもう一度、小石川と、笑い合いたいから。 だから。 「石田さんに言えんのやったら、俺に言えや!…やって俺たち、友達なんやろ?」 目頭が、熱くなる。 何を勝手に喚いて、勝手に泣いているんだろう、俺は。 可笑しいな、小石川とちゃんと向き合うんだって、俺の気持ちをちゃんと伝えるんだって、決めてここにいるのに。みんなにも協力してもらって、それでここに、いるはずなのに。 乱暴に流れ落ちる涙を拭えば、一瞬にしてクリアになった視界に小石川が飛び込んできた。その顔には今度は怒りではなく、動揺の色が濃く浮かんでいる。その顔は何で俺が泣いているのかが、分からないって、言っていて。そんなもん、俺にだって分からない。だけど拭ってもまた涙は溢れだしてくる。言葉も止め処なく、溢れだしてくる。 「お前、言うたよな?『自分と一緒におると、変に気ぃ遣わんで済むっちゅーか楽っちゅーか…自然でおられるさかい、楽しいねん』て…あれ、嘘だったんか!?…俺、めっちゃ嬉しかったんやで?はじめて友達やって言うて貰うて、こんな俺でも、いてもえぇって言われたみたいで…ホンマに、嬉しかったんやで!?」 ぼろぼろと、目からは水滴を流し続けながら、俺と小石川の間にあった数メートルの距離を一気に詰める。途端、後ろに退こうとした小石川の胸倉を掴んで、逃げられないようにと、その場に留める。 大して変わらなかった目線は、やはり小石川の方が高くなっていて。しっかりと掴んだ手を自分の方へ少し引けば、その目は俺と同じ高さにまで、下りて来る。 この時、今日初めて小石川としっかり、目が合った気がした。 睨みつけるようにその目を覗き込むと、そこにはちゃんと、俺が映し出されていて。数日前、この場所で感じた寂しさやら怒りやら、そういった負の感情が消えていくようだった。 だけどまだ、終わりじゃない。 俺はまだちゃんと、小石川と向き合うことは出来ていない。 ―――けんじろーはずっと、仲間が欲しかったんやろな。 小石川、お前が欲しがっている仲間って何なんだ?傷を舐め合える相手?それとも、互いを見て自分の方がマシだと思える相手? そうじゃないだろう?お前があの時、俺に言ってくれた言葉が、本当ならば。 「…俺、ホンマはずっと、ちゃんと俺を…白石蔵ノ介を見てくれる相手が、欲しかったんや…自分かて、そうなんやろ?ずっと、本音を言える相手が、欲しかったんやろ?何を言うても拒絶されん、ホンマの自分を受け入れてくれる相手が、欲しかったんやろ?」 → |