彼と彼らの日常。18 「…なぁ光、自分、家間違うてるんとちゃうんか?」 それから数分歩いて、再び財前くんがその歩みを止めたのは、一軒の…かなり大きな、周りを外壁にか囲まれ、立派な門まである家の前。 インターホンを押そうとした忍足が、ボタンに指が触れる寸前でその動きを止め。そして隣に立つ財前くんに確認を取る。 当然だ。インターホンの横に掲げられた、御影石で出来ている立派な表札に書かれている名字は“石田”であって“小石川”ではなかったのだから。 「間違うてへん。ここが、けんじろーの家や」 しかし財前くんはそうきっぱり言い切ると。どけやと、忍足を押しのけて自分でインターホンを押す。 ぴんぽーん。場の緊張を解すにはもってこいであろう、気の抜けた音が鳴るが、誰もその程度で思考を解せる状態ではなく。ただ掲げられた表札と財前くんを、見比べるだけしか出来ず。 『…はい、どなたはんです?』 「けんじろー君の同級生の財前とその他大勢です。学校のプリント、届けに来ました」 『……わかりました、上がってください』 インターホン越しに聞こえたのは小石川の声ではなく。もっと落ち着いたトーンの、男性の声。それに淡々と財前くんが応えている間も俺たちは、何をするでもなく、立ち尽くすことしか出来なくて。 「…いつまでぼさっとしとるん?プリント、届けに行くんやろ」 ひらひらと、口実の一つとして用意したプリントを振りながら門を開いた財前くんに促され。まだ現状を理解出来ないまま、その後に続く。 「…言うたやろ、けんじろーんち、複雑らしいて…」 ぽつりと呟かれた声は、必死に冷静を装っているようだった。 *** 「財前くん以外ははじめてやな…健二郎の保護者の、石田銀言います」 通された部屋はうちのリビングとキッチンとそれから風呂場と玄関と…兎に角、我が家の1階部分の3分の1くらいの広さがある場所で。そこには座り心地も触り心地もよいソファーと猫足のテーブル。並べられた紅茶でいっぱいのカップも意匠が凝らされているもので。はじめて来る場所、という以上の緊張が俺を襲う。それは他の面々も同じだったようで。忍足ですら口を真一文字に結び、身を固くしている。 小石川の保護者だという石田さんは、そんな俺たちの正面に座ると穏やかな口調で、話しだした。 それに倣って俺たちも順に、自己紹介をしていったがずっと、保護者…その言葉と、彼が名乗った“石田”という名字に引っかかっていて。だけどそれを口にすることは、躊躇われてしまって。 「…その様子やと、みなさんは健二郎から事情を、聞いてはいないんやな…」 こくんと、右隣に座る財前くんが頷く。事情というのはきっと、彼が先ほど“複雑”と形容した家のことなのだろうか。 小石川の事情…俺たちが知らない、小石川の姿。 「…健二郎の為にもみなさんには、知っておいて貰った方が、えぇやろう…これから何を聞いても、健二郎と友達で、いてくれるやろうか?」 「勿論です!」 財前くんの反応を見て、それから俺たちの顔をぐるりと見渡したあと再び口を開いた石田さんの言葉に、勢いよく答える。それは考えるよりも早く出た言葉。本能が導き出した答え。間違っているはずなんて、ないんだ。横を見ると他の皆も、力強く頷いてみせた。 そんな俺たちを見て石田さんは一度、嬉しそうにありがとう、と言うと。穏やかな雰囲気を崩すことなく、まるで子どもに昔話を聞かせる親のような口調で、小石川が石田さんの元へと身を寄せる理由を、語り出した。 それは、俺が想像していたものよりもずっとずっと複雑で。 どことなくだが、小春が考え出した劇のストーリーを、彷彿させるもので。 なぁ小石川。お前はどんな気持ちで俺たちの舞台を、観ていてくれたんだ? ひょっとしなくてもあの劇は、お前を深く、傷つけてしまったんじゃないのか? 「…つまり、けんぼ…健二郎君は、石田さんのお父さんの再婚相手の連れ子である、義理の弟さんの子ども、ということですね?そしてその弟さん夫婦が彼を残して蒸発してしまって…親戚中をたらい回しにされていた彼が小学3年生の時に、責任感じて石田さんが引き取った、と」 「まぁ、そういうことやな」 小春が石田さんの話してくれた事情を整理するように、要約する。 ―――家族って何っと?自分を産んだ人?育てた人? 小石川にとっての家族は、今だったら紛れもなく石田さんなんだろうけれども。 彼を産んだ人は、まだ幼い彼を残していなくなってしまった。 彼を育てた人は、大勢い過ぎてしかも彼を、愛してはくれなかった。 なぁ小石川、教えてくれ。お前はどんな気持ちで俺たちを、見ていたんだ? 「ワシは…健二郎のことを、ホンマの息子やと、思うとるんやけど…な」 石田さんが初めて、表情を歪めた。それはきっとその言葉が、彼の本心から来るものだから。取り繕った表情では語れない、心の叫びだから。 だけどその気持ちは小石川に、伝わらない。小石川はまだ、石田さんを家族だと…自分を無償で愛してくれている人だと、信じられていないんだ。石田さんはただ罪悪感から自分を引き取ってくれたのだとしか、思っていないんだ。 彼が優等生であり続けたのは、石田さんに捨てられないように。石田さんに嫌われないように。 いい子にしていれば、みんなが自分を愛してくれるから。 いい子にしていれば、みんなが自分を必要としてくれるから。 今分かった。小石川が俺のことを求めた理由が。 だって俺たちは、とても似ていたんだから。 俺ならきっと自分の気持ちを分かってくれるって、思ったんだ。 なのに俺は、そんな気持ちを裏切った。 ―――俺、もっともっと、成長したいねん。 彼を置いて一人だけ、遠くへ行こうとした。彼のことを見ずに、自分だけが変わっていこうと、自分だけの幸せを求めて、歩いていた。 小石川は俺のことを、導いてくれたというのに。 「…明日は健二郎に、学校へ行くように言うさかい…今日は、会わんでおいて、くれるか?」 「…はい、長々とお邪魔しました」 その後はただ、プリントを渡して。小石川の様子を聞いて…どうやら元気、とまではいかないが。別段体調が悪いという訳でもないことを知って、少し安心して。 申し訳なさそうにする石田さんに見送られながら、俺たちは帰路についた。 帰り道。 このメンバーが集まればどんな時でも、少なからず言葉が飛び交うというのに。今日はそれがない。夕日に照らされた道、沈黙だけが支配する、アスファルトの道。 「…けんじろーが俺んこと目に掛けてくれてたんは、俺もけんじろーも、“家族”が足りないからやったんや」 ぽつりと、足元の小石を蹴りながら歩いていた財前くんが零す。同時に蹴られた石ころはころころと転がって、側溝にぽちゃりと、落ちてしまった。 「けんじろーはずっと、仲間が欲しかったんやろな」 代わりの石をすぐ見つけると、再び蹴りだした彼の言葉を聞いて。俺は先ほど思ったことが…小石川が俺に求めていたことが正しかったんだと、確証した。 それと同時に、彼が今まで負ってきた傷の深さにも、気付いてしまった。 小石川は俺に取って初めて出来た大事な友達で。何でも話せるような相手で。いつか自信を持って肩を並べたいと思える相手で。 そしてずっと傍にいて欲しいと、思う相手であって。 「…なぁみんな、頼みがあるんやけど…」 そんな君に、俺が伝えたいこと。 それはとてもシンプルな言葉なんだ。 白石蔵ノ介、高校一年生も三分の二が終わりました。 夕日が影を伸ばす、初めて来た場所での俺の宣言は、彼が切欠を作ってくれた大切な友達に、聞き入れられて。明日、実行することになりました。 それが上手くいくかなんて、分からないけれども。やってみなくちゃ分からない。失敗することを恐れて動かなければ、何も変わらない。 現にこれまで挑戦してきたことは皆、簡単にとも平和にとも言わないけれども、それなりに実を結んで来たんだから。 だから俺は、俺の可能性に賭けてみようと思います。 小石川にこの気持ちを伝えに、行ってきます。 ―――明日学校来たら、屋上に来てや。来るまで、待っとるから。 簡単なメールへの返事は、なかったけれども。 彼はきっと、来てくれる。俺は彼を、信じている。 例えこの先どんなことがあっても。俺は絶対に小石川のことを、信じ通すんだ。 → |