彼と彼らの日常。16 「…なぁ、ここでぐじぐじしとっても、何も変わらへんやろ。やったら皆そないな顔しとらんで、さっさと小石川ん為に今俺らが出来ること、考えるべきなんやないか?やから光たちは俺らに、小石川んこと話したんやないんか?」 すっかりしょげこんでしまった俺たちに向かって、鋭いがどこか温かみを含んだ声がかけられる。 その言葉に顔を上げると太陽みたいな頭を輝かせて、彼にしては珍しく厳しい表情をした忍足が両足をしっかりと地に着けて立っていた。その姿は今の俺にはとても頼り甲斐があって、そしてとても煌めいて見えた。 「ぐじぐじするんは、また後でも出来るやろ。やったら今俺らに出来ることするんが、先やっちゅー話や。まだ…まだ小石川に嫌いやーもうこっち来んなやーって、言われたわけでもないんやさかい。こっからいくらでも、挽回できるやろ。その為にやれることかてあるやろ…やって俺たちは、一人じゃないんやから」 なっと、続けられた言葉と一緒に浮かんだ笑顔。 その言葉と笑顔に、俺たちは互いの顔を見合わせると釣られるように表情を緩め、力強く、頷く。 「せや…まだ、終わったわけやない。まだ俺にかて、出来ることあるかも、しれへんしな」 「そうやったわーすっかり話持ちかけた理由、忘れるところやったわ」 「ん。皆で考えればきっと、よかアイディアも出っと」 口ぐちに浮かんでくる言葉は、どれも明るく前向きなものばかり。 そしてその表情も皆、いつもの…どちらかと言えば一月程前に文化祭に向けての案を練り合っていた頃のようであって。 皆が皆、真剣に小石川のことを考えているって、その顔には書いてあった。 「忍足」 「ん?なんや?」 「…おおきに、な」 「…阿呆、ダチなんやから、こんくらい当然やろ…勿論、小石川やってダチなんやから。せやから俺らに出来ること、目一杯したらんとな」 俺たちが前へと進みだしたのを見て満足そうに笑っていた忍足は俺の顔を見て、また力強く微笑む。 「…せやな。俺らに出来ること、しっかりせんとな」 その笑顔に返すように。俺も強く強く、頷いた。 *** 「小石川ぁ、屋上行こうで」 「あぁ悪い…今日、部活の集まりあんねん」 「…さよか。そやったらしゃーないわな…明日は、一緒に行こうな」 「……何も、なかったらな」 いつもと変わらない会話を交わして、千歳を伴い教室を出る。瞬間俺の脚は、地面を蹴っていて。後ろから何か叫んだ千歳を置いて、一気に屋上へと続く階段を駆け上がる。 空へと広がる扉を開け放ち、この学校で一番空に近い場所に着いた。よたよたと数歩歩いた後、俺の身体はがくんと、膝から折れた。 心が悲鳴を上げる。 悔しいって、悲しいって、寂しいって、辛くて痛いって。 だって気が付いてしまったから。知ってしまったから。 小石川が全然笑ってなんていないって、口元は釣りあげられていたけれどもその目は何も…目の前にいた俺すらも映していないって、気付いてしまったから。もう彼は俺のことなんて見ていないって、知ってしまったのだから。 俺たちよりも遅れてやってきた忍足たちに、後から追ってくれていたのであろう千歳が、先ほどのことを…小石川が俺に嘘をついて、そしてここに来ていないことを告げている。その間に俺は必死に、自分の心を落ち着かせようとする。 何度も繰り返し大きく呼吸をして、いつもの倍以上の早さで脈打つ心臓を鎮めようと試みたが、上手くいかない。強く握り締めているはずの拳は絶えず震え力が入らずに、そこから噴き出す汗の量は異常なほどだ。 そんな掌を一度弛緩させて、また握り絞めようとして。それを繰り返している内にふと、思い出した。 ―――気張って来ぃや。しっかり、見といたるから。 この掌を、小石川がしっかりと握りしめてくれた時のことを。 そしてその時に、一緒にくれた言葉と笑顔のことを。 ―――改めて、これからよろしゅう、白石。 小石川は俺のことを、いつでも真正面から見てくれていた。 俺が被り続けていた仮面が剥がれた姿も、認めてくれた。 ―――ダチに手ぇ出されて黙っとるほど、俺かて人間、出来てないんで。 こんな俺のことを、友達だと言ってくれた。そんな人、初めてだったのに。そう言われた時はすごく嬉しくて。そしてそんな彼に近づきたいと願い続けていたんだ。ずっと傍にいたいって、思ったんだ。 そんな小石川をあんな顔にしてしまったのは……他の誰でもない、俺だ。 俺が小石川を、変えてしまったんだ。 そう認めた途端に、すっと頭が冷えていく。 先ほどまで五月蠅い程に音を立てていた心臓が、ゆっくりと静かに脈打ちだす。 一度強く結んでから開いた両目には、もう迷いなんて浮かばない。浮かばせない。 「…これではっきりしたわ…何でかは分からんが、小石川が俺を避けとることが…俺のせいで、あいつが変わってしもうたってことが。それが何かを、知る必要があるんや…もういっぺん、小石川と向き合うために」 そう。もう一度小石川と、ちゃんと笑い合うために。 「…考えろ、思い出すんや、白石蔵ノ介…」 小石川があんな顔をするように、なってしまった時のことを。 小石川がその瞳に何も映さないように、なってしまった時のことを。 俺はその場にいたはずなんだ。俺が、その場にいたはずなんだ。 それを思い出すことが出来れば。 そこに、ヒントがあるはずだから。 そこに、俺に出来ることのきっかけが隠れているはずだから。 「…絶対に、諦めたりなんかせんから…」 ―――ま、無理しない程度に頑張りや。俺も出来る限りんことは、協力するさかい。 そう言っていつも助けてくれた、彼は今ここにいないけれど。 俺にだって出来ることが、ある。 大丈夫、だって俺は…白石蔵ノ介は、あの小石川健二郎が友達だって認めてくれた人間なのだから。 あの日、ずっと一人で自分だけの世界に閉じこもっていた俺を小石川は見つけてくれた。そんな俺に、小石川は手を差し出してくれた。 今度は俺が、小石川に手を伸ばす番だ。 もう一度、彼が笑った顔が見たい。 力の入るようになった拳を握りしめると、俺はしっかり自分の足で立ち上がった。 俺に出来ることを、するために。 → |