彼と彼らの日常。16






「これが嘘ついとる顔に見える?」


その目が映し出した俺の姿は、とても情けなくてちっぽけで。
だけど俺は、そのままではいたくなかった。俺はもう、あの頃には戻りたくなかった。

だから、だから。



「…考えろ、思い出すんや、白石蔵ノ介…」



まだ俺に出来ることが、何なのかを。






第十六話 白石蔵ノ介の絶望





「…小春。ちょお、話あんねんけど…」


ユウ君にこんな改まった口調で話しかけられたことなんて、ひょっとしたら初めてかもしれない。
そんなことを思いながらえぇよと、頷くと。後ろにいた光に手を引かれる。

放課後の教室。人影もまばらになった場所。どうせならここで話してもいいじゃないか、と思うのだが。普段とは想像つかない位しっかりと掴まれた手はぐいぐいと引かれて。荷物もその場に置いたまま、自分も含め誰もが一言も口を開かないまま。気が付けば特別棟の一角に辿り着いていた。


「…実は、やな…」


ぴたりと、示し合わせたように二人の足が止まる。先を歩いていたユウ君が振り返ると、少し逡巡した様子を見せてから。それから光と目を合わせ頷きあうと、重そうに口を、開いた。


その口から紡がれた言葉は、余りにも唐突で滑稽で。



「まさかぁ〜あの健坊が?ありえへんわ」



思わず、頭ごなしに否定してしまう。だって、そうじゃないか。あの小石川健二郎が、自分たちに嘘をついてこんなところに?しかも自分の意思で?そんなこと、人格者で知られる小石川健二郎がするわけがない。そんなことをすることに、何のメリットがあるというのだ。
大体、健坊は蔵リンたちと仲良さそうに、していたじゃないか。蔵リンたちの為に自ら動いたりもしていたじゃないか。そんな彼らを拒絶するような行動を、彼が取っていたなんてこと。


信じられなかった。信じたくなかった。けど、だけど。



「…せやけどホンマのこと、なんやね」



この二人がうちに嘘を吐くことの方が、もっと有り得ないこと。そう長年の経験が言っている。



「信じてくれるんか?」


目を見開いたユウ君が嬉しそうに、だけどどこか不安げに言葉を紡ぐ。その目は真っ直ぐこちらに向けられて、少し揺らいでいたけれども。
うちのことを信じているって、しっかりと物語っていた。その信用と同じものを、こっちだって持っているのだ。


「当たり前やん。二人がうちに対して嘘なんて吐けへんこと、よぉわかっとるし…それに、うちなら信じるって、思うてくれたんやろ?やから話してくれたんやろ?」


こくりと、同じタイミングで二つの頭が頷くのが目に入る。昔からちっとも変わらない幼馴染たちの様子に、小さく笑みを零して。


「で、どうするかを一緒に考えようて思うた。違う?」


言葉を重ねれば、先ほどよりも強く頷かれる頭。きっと彼らのことだから、二人で抱えるには大きすぎる不安にうちを頼ったのだろう。一応、この三人のブレーンであることは自負しているから。彼らはうちならきっといいアイディアを示してくれるだろうと。健坊のことも何とかしてくれるだろうと、思ったに違いない。だけどね。



「うちらに健坊を変えることは、不可能やと思うんよね」



うちらだけじゃ、健坊のことを変えるなんて大それたこと、出来るとは思えない。
だってうちらに彼は、ずっと壁を作っていたのだから。中学三年間掛かっても取り払えなかった、大きな壁を。
まぁ、光に対してだけはその壁が少しだけ、低かった様にも思えるけど。それが何でかすら、うちらには分からないけど。


そんな壁を、健坊が作らずにいた人がいた。
その人が現れてからうちらに対して築かれた壁も、少しずつだけど低くなっていった気がしていた。


もし今、健坊を変えることが出来るとしたら。そんなことが出来るのは、その人しかいない。



「…蔵リンたちにも、相談しましょ」

「なんでやねん!あいつ、小石のことなん、何も見とらんやないか!」



その人の名を挙げると、ユウ君が吠えた。それもそうだろう、だって彼は先日、健坊なら何ともないって、言い切ったばかりなんだから。一番傍にいたのに、健坊の変化に気付いてあげられなかったから。


けど、だけどね。



「…それはうちらかて、同じやろ。うちらやって健坊のこと、しっかり見とらんかったやないか」


健坊の一番傍にいた蔵リン。それから健坊と同じクラスの千歳くんや、隣のクラスの謙也クンにばっかり責任を押し付けるのは、お門違いだと思う。
だってうちらだって、同じ学校に来ているのだ。同じ道を通って学校に通っているのだ。いくらだって健坊に会う機会はあったのだ。いくらでも健坊と話をする機会はあったのだ。

それなのに、それをしなかった。
それは、何故か。


「うちらかて、文化祭準備からこっち、ずっと自分らのことでいっぱいいっぱいで…目の前にあった楽しいことにばっかり目をやって。他のことになん…健坊のことになん、目を向けんかったやろ」


そう。別に彼のことを疎外したつもりなんかなかった。だけれどもそうなるきっかけとなってしまったであろう、あの劇を提案したのは自分。それからずっと、その劇のことだけを考えて、その劇だけに時間を費やして。



「…結果論やけど。健坊のことを除けモンにしてもうたんは、うちのせいやんな」

「ちゃうやろ!小春んせいやない!小春が悪いんやったら、俺かて同じや!!」



思わず自嘲的になってしまう。そんなうちにユウ君はさっきまでとは打って変わって泣きそうな顔をして。さっきよりももっと大きな声を出して、叫んだ。聞いているこっちまで痛くなるような、声だった。

もう一度、蔵リンたちに相談しよう。皆で一緒に考えようって言うと。バンダナで目を隠してからこくりと、小さく頷いた。後ろでずっと何か言いたそうにしていた光も、目を伏せただけだったけれども。それが肯定の意を表しているんだって、分かった。






***




「は?小石川が?嘘、やろ?」

「これが嘘ついとる目に見える?…そもそも光が嘘つかへんのは、知っとるやろ?」



いつも通りの昼休み。小石川に目配せをするといつものように、今日は委員会の集まりがあるからって、断られて。千歳と、それから廊下で合流した忍足と三人で向かった、いつもの屋上。

そこで待っていたのは、いつも通りの楽しいばかりの時間ではなくて。
ずっと有頂天になって舞い上がっていた俺を撃ち落とすような、出来事だった。



財前くんがまっすぐに俺たち三人を見ながら放った言葉。淡々と紡がれるそれは、俺からしたら嘘だと、信じたくないと言うようなものばかり。

だって、だってそうだろう?
小石川が俺たちに嘘をついて、一人でずっといるなんて。その上そんな…財前くんもユウジも見たことがないような顔を、しているなんて。
あの、小石川が?


耳を疑った。嘘だと言って欲しかった。
だけど真っ直ぐに向けられる二つの真っ黒な瞳は逸らされることも揺らぐこともなくて。
その両側に立つ小春とユウジの表情も、言葉通りに真剣そのものだった。


それはまだ数か月の付き合いである俺にだって、その言葉が真実だって納得させるのに十分な力を持っていた。
彼らが見たことが事実だと。彼らの言っていることが事実だと。
俺が小石川のことを、ちゃんと見ていなかったことが、事実だと。
俺は小石川のことを、何もわかっていなかったって、ことを。



それに気付いたとき。真っ青なはずの空が真っ暗に見えた。



「…金太郎が、言うとった。けんじろーと金太郎が…俺に会う前の金太郎が、似とるって。だから気になるんやって…どういう意味かは、教えてくれんかったけど」

「そう言えばオサムちゃんも言うとったばい。小石川のこつ、危ないて…あん人、あんなんでも一応教師ばってん、そう言うんは、よう当たる」



更に続けられた財前くんと千歳の言葉に、俺はまた愕然とする。


だって、金太郎君と渡邊先生が小石川と接点を持ったのなんて、あの文化祭の数時間だけじゃないか。それなのに、その二人は小石川のことを気にしていた。小石川の変調に勘付いていたのかもしれない。


俺はずっと、彼の傍にいたのに。一番傍に、いたのに。



「…俺は小石川の、何を見ていたんや…」



小石川は俺たちを送り出す時、本当に笑っていたのか?
ちゃんと俺は、その表情を見ていたのか?



自責の念が一気に流れ込んできた。
俺は一体、今まで何をしてきたのだろう。
数日前、ユウジに言われた時に考えたじゃないか。小春に渡された言葉に頷いたじゃないか。
なのに俺は、一体何をしていたんだ。


「…それは、うちらも一緒や。そう言えばって言う前に、健坊の方を見ることなんて、いくらでも出来たんにね」

「俺だってそうっちゃ。同じクラスにおって、オサムちゃんにもちゃんと見とくようにて言われとったのに…すっかり失念してたったい」



項垂れる俺に対して、上から宥めるような元気づけるような。そして自分たちを責めるような声が聴こえる。それに対して俺は何も答えることも出来ず。そしてそれ以上に声は差し出されることもなく。


ただ風が静かに、流れて行く。さらさらと流れる風と一緒に、今の俺たちの沈んだ気持ちも飛んで行ってしまえばいいのに。
こんな暗く重い気持ちになったのなんて。あの春の日…小石川に自分の厭らしさを見せつけられた、あの日以来だ。











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