彼と彼らの日常。14






「なぁ、なんで自分は、そないな風にしか笑わへんの?」


俺の前に突如現れた少女は、大きく真っ黒な瞳を逸らすことなくこちらに向けた。


「きみにとっての“家族”って、何っと?自分を産んだ人?育てた人?」


男は大きな身体を折り曲げて、少女の目を覗き込んだ。






第十四話 小石川健二郎の決壊






拍手と共に幕が上がる。
舞台映えするようにと光沢のある生地で作られたスーツに身を包んだ俺は、ゆっくりと舞台中央へと進んでいった。俺の体型に合わせて作られたものというだけあって、馴れないが着心地は悪くなく、寧ろいつも身に着けている制服よりも動きやすいのではないだろうか。初めてこれを着た時、ユウジの凄さを感じた。


中央まで歩き止まる。ここで、最初の台詞。観客にばれないように、小さくそして深く息を吸って、口を開こうと、したとき。

体育館の一番後ろ…扉の横に立つ小石川の姿を見つける、目が合う、微笑みかけられる。



それだけで自分の身体に込められていた不要な力がすっと、抜けるようで。他にも観客はたくさんいるのに、彼の隣には金太郎くんと渡邊先生だっているのに、彼の姿しか、俺の視界には入ってこなくて。



「…さぁ、はじめようか」



最初の台詞が、自然な口調で紡ぎだされた。






小春の考えた話はこうだ。

俺が演じる蔵(ネーミングセンスがないことに対してだけは、彼自身嘆いていた)は、一流企業に就職したものの昨今の不況の煽りを受けて会社が倒産、今はフリーターとして色々なバイトを転々としながら、自分の置かれた境遇を嘆いている。


「…俺はこないなところで終わる人間とちゃうんに…それに気付かへん、社会がおかしいんや」


自分を認めない社会を恨みながら。
自分は変わろうとせずに、自分のことは棚に上げて。周りへの不満をぶちまけている。自分が悪いのではないと、信じ切って。


この台本を読んで最初に思った。
俺がもし、小石川や小春たちと出会っていなかったら。きっとこうなっていたであろうと。これは俺の可能性の、ひとつだったのだと。

小春がそこまで見抜いてこの台本を書いたのかは分からないけれども。そんな蔵にだからこそ、俺はどんどん引き込まれていった。彼がどうなるのかを、見届けたいと思った。



「この人が、うちのパパになるん?」



そんな蔵の元に、ある日一人の少女(台本を読んだとき、一番驚いたのはこの部分だ)がやって来る。少女の名前はヒカル…言わなくても分かるだろうが、演じているのは財前くんだ。
ひざより短い丈のセーラー服姿の彼がステージに上がった途端、観客から嬌声が上がる。その気持ち、わからんでもない。寧ろよくわかる。かつら(今時はウイッグと言うそうだ)まで着けた彼は、どこからどう見ても“彼女”になっていて。こう言ったら失礼だが、その辺りの女子生徒よりもかわいい。お世辞じゃなくかわいい。
歩く度にふわふわと動くように膨らまされている(ぱにえ?とか言う奴が入っているらしい)スカートや、それに合わせてふわふわと動く、作り物だとは思えない髪の毛だとか。普段はじゃらじゃらつけられているピアスも、今日はユウジが選んだシンプルなデザインのものが左右に一つずつ、つけられているだけ。

そんな“美少女”ヒカルはじっと、ユウジによってほどこされた化粧によって更に大きくなった瞳で蔵を見つめる。何度も練習をしてきたシーンではあるが、こうやって完璧な“ヒカル”になった財前くんと向き合うのは、今日が初めてで。ぶっちゃけんでも、何かこう、緊張する。


「んー…パパとはちゃうけどなぁ…ま、面倒見てくれる人やっちゅーことは確かやで」


ヒカルを連れて来たのは、忍足演じるユズル。面接帰りでスーツ姿の蔵打って変わって、普段着と変わらんようなラフな格好をしているが。そんな衣装にもユウジのこだわりはあって。本人曰く「こういう普通の格好のんが、気ぃ遣うんや」だそうで。忍足の引き締まった体型を際立たせるように、絞る所は絞って。その分七分丈のカーゴパンツは裾が広がるデザインになっていて。ユウジ曰く忍足の一番のセールスポイントである脚を、綺麗に見せている。
そんなユズルと蔵は幼馴染という間柄で、高校を卒業してからは一切連絡を取って無かったくせに、数年ぶりに蔵の元を訪れたかと思うと、ユズルは「人助けやと思うて、この子んこと預かってや!自分だけが頼りやねん!」という言葉とヒカルを残し、引き止める間もなく蔵たちの前から姿を消してしまう。



「なぁなぁ、こっち来てや」


すっかりうろたえてしまい、どうしていいか分らず途方に暮れている蔵とは反対に、いきなり知らない人間に預けられたというのにヒカルは、何でもないような顔をして。ポケットからストラップがじゃらじゃらついたピンクの携帯(小春の私物)を取り出すと、蔵のことを手招きする。
それに従い彼女の横へ立つと、軽快なシャッター音が響いて。



「これから、よろしゅうな」



携帯の画面には間抜けな顔をした蔵と、満面の笑みを浮かべたヒカルが映し出されていた。その画像は背後に置かれたスクリーンに映し出される。
映像や音楽は、それぞれユウジの兄と小春の姉が請け負ってくれたそうだが。あくまでも裏方だと言い張る二人とは、結局会えず仕舞いで。打ち合わせなども小春たちを通じてしか行われずにぶっつけ本番という形になってしまったのだが。先ほどから絶妙のタイミングで流れる効果音やスクリーンに映し出された映像は皆、この劇を引き立てるのにふさわしく。まるで何度も練習を重ねたかのように、同調していた。


そんなヒカルのことを追い出すことも出来ず。この日から蔵とヒカルの、奇妙な同居生活が始まる。最初こそぎくしゃくとした会話しか出来なかった二人(特に蔵)だったが、時間を重ねるにつれてお互いのことが分かってきて、冗談なんかも言えるように、なってきて。互いが徐々に互いのことを、信用し始めていった。

その最中で家族やユズルの話になると途端に、ヒカルは口を噤んでしまう。
しかし、誰しも…それが子どもでも、中学生であっても、他人には聞かれたくないことでもあるのだろうし、それにどうせあと数日の付き合いだろうと、蔵は追求しようとはしなかった。



彼女の持って来たものは携帯の他には数日分の着替えと携帯の充電器、それから手帳と財布くらい。生活していく上で必要なものは色々と出て来る。そんなものを買いに、街へ出た日。



「…お嬢ちゃん、大丈夫やったと?怪我はなか?」



千と名乗る男に、蔵たちは出会う。

細いストライプの入ったスーツは、長身の千歳にはよく映えた。同じスーツと言っても、登場シーンの蔵のものとはまた、違った味わいがある。上手く言葉には出来ないが、蔵のスーツが動くことを主体に考えたものであるとしたら、千のそれは魅せることを主体として考えているような、そんな違い。
ガラのよろしくない男(忍足・二役目、忍足は出番がちょいちょいある役を、一人で何役もこなしている)に絡まれているヒカルを助けると、うっすらとどこか色気のある笑みを浮かべて、その手を取る。緊張するとか、お腹痛いとか言っていた割に、ノリノリじゃないか、千歳。
彼が動く度に、胸元に巻かれた金のチェーンがきらきらと、照明を反射させて。普段はセットも何もされていない髪は、小春の手によって綺麗に整えられ、後ろで一つにくくられているため、財前くんには劣るが、普段とかけ離れた印象を抱かせている。観客席からは、そんな千歳の立ち居振る舞いの一々に、感嘆するような声や溜息が上がる…ちょっと、悔しい。主役は蔵なのに。

ばいばいと、笑顔のままヒカルと蔵に手を振り、千は舞台袖に消えて行く。ヒカルはそんな千を見て、蔵の袖を引いた。



「…あの人んこと、もっと知りたい…あの人、うちらと似とる、気ぃすんねん」


蔵はその言葉に驚愕しながらも、自分もまた、千と言う男のことを知りたいと思うようになっていく…




***




ステージ上では白石たちが、まるで別人のように動き回っている。何度か遠目に練習しているところを眺めたこともあったが(本番までのお楽しみやって言って、ちゃんとした練習や台本は見せてくれんかった)、やはり不特定多数の前に立ち、ライトを浴びながら行うそれはスケールが違う。直前に緊張して逃亡を図った(らしい)千歳も、そんな様子を微塵も見せず。舞台の上で堂々と振舞っている。財前と忍足もそれぞれの役をしっかりと把握しているようで、それぞれの演じる“ヒカル”と“ユズル”になりきっている…なりきっている、というよりも、ヒカルとユズル、本人なのだ、もう。ステージ上の彼らは彼らではなく、すっかりヒカルとユズルという人物になっていた。


そしてそれは、白石も同じこと。


部活の集まりから戻った俺に、嬉しそうな声色と表情で「劇やることになった」と告げて来てから一月ほど。その短い時間で彼はまた、大きく化けてしまったように思う。否、事実化けてしまったのだろう。

こうしてまた彼は、俺を大きく突き放して。また遠くへと、行ってしまうのだろうか。
俺ではなく、他の人間の手を取って。
俺のことなんて、見向きもしないで。



俺のことなんか、忘れてしまって。




「…なぁ、なんで自分は、そないな風にしか笑わへんの?そないうちのこと、嫌いなん?」


ステージ上から、財前のそれよりもトーンの高いヒカルの声が響く。その真っ黒な両目は、真っすぐに目の前に立つ蔵を射抜いている。蔵がその目から逃れるように顔を逸らすと、途端に幼いばかりが目立っていたヒカルの表情は、ありありと沈んで行って。



「…やったら、最初から構わんかったらえぇんや。最初から、相手なんせんかったら…うちかて、期待なん、せんかったんに」



静かに紡がれた声は、心の底からの叫びのよう。誰の心にでも少なからず存在する、想いのよう。
そしてまるで皆の心を代弁しているかのよう。諦めることを知ってしまった俺たちの、心を。



それは会場全体にいる人間、全ての心へと突き刺さった。













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