彼と彼らの日常。10






「「あ」」



二度あることは、三度ある。


昨日の苛々を消し去るべく、新しいイヤホンを探したりだとか、夏モデルのPCを見たりだとかしようと繰り出した街。いつも行く近場の家電屋ではなくわざわざ電車を使って三駅先の、ちょっと大きめの家電屋まで出て行ったというのに。改札で、大きなスポーツバックを背負ったあいつと遭遇した。

最悪。そう思いすぐにくるりと踵を返して。改札から出て来る人の流れに逆らうように、進もうとする。否、進もうとした。



「待って!ワイ、昨日のこと自分に謝りたんや!後生やから、行かんといて!」



しかしそれは手首をしっかりと掴まれてしまったことによって叶わずに。掴まれた手首からゆっくりと伝わって来る熱に、自分より高いところからじっとこちらを見詰めて来る真剣な眼差しに。


気が付けば、首を縦に振っていた。目の前のガキはそれだけのことなのに、凄く嬉しそうに笑ってみせた。その笑顔に嘘はないって、思えた。


こいつはきっと嘘をつかない。何となくだが、そう思えた。





「せや、アイス買ってこ?」

「……驕りやったら、付き合うたってもえぇわ」



この炎天下の下立ち話も何だし、かと言ってどこかの店に入るのも何となくだが憚られて。歩いて10分くらいだというこいつの家に行くことになった。途中、あいつが出した提案に了承してやると、また嬉しそうに笑って。
立ち寄ったコンビニ、店員のオバさんに「お兄ちゃんと買い物?えぇわね」って笑顔で言われた。その言葉に対して必死に訂正しようとしても、調度いい関係が思い浮かばないのか。あーだのうーだの言っているあいつの姿は、少し滑稽だった。お兄ちゃんと言われたことにも、何となくだが、不快感はなかった。

アイスを咥えながら歩く道。必然的に会話は少なくなっていったが。それでもその空間は嫌なものではなくて。寧ろどこか心地いいと…そう、先日泊った白石の家みたいな、そんな空気で満たされているような気がして。

ふと、顔を上げる。こっちを見たあいつと目が合う。あいつはにっこりと、静かに笑った。




「散らかっとるけど、気にせんでなー」

「…お邪魔します」



小さく声を出して入った部屋は、小さなアパートの一室。誰もいない、小さな部屋。
扉を開けた途端、籠っていた熱気が飛び出してくる。思わず眉を顰めてしまった俺を見て、少し困ったように笑いながら、あいつは窓を開けに行った。開けたままの扉と開け放たれた窓。そこを風が吹き抜けて行った。



「…自分はいつも、一人なんか?」



大分温度が下がった部屋で、出された麦茶を飲みながら呟く。それまでずっと喋らずにいた俺が口を開いたことで、あいつは一瞬だけ目を大きく見開いて。


「ん。オトンがおらんようになってから、オカンはいっつも仕事しとるからな。まぁ、しゃーないことなんやけど。光もやろ?」

「……まぁ、うん」



まるで分かっているとでも言うような表情をして見せて言葉を紡いだ。その言葉は事実だったので、否定はしない。
開け放たれた扉の向こうに誰もいない。それまでは感じられていた温もりを、感じられなくなってしまった寂しさ。俺はそれを、知っていたから。
頷いた俺にこいつはまた、静かに笑って。



「…昨日は堪忍な。ワイ、きょうだいにめっちゃ憧れててん。せやけどそないなこと、オカンに頼んでもどうこうなるもんちゃうし…せやからオカンが再婚する聞いて、相手にも子どもがおるって聞いて。そんで昨日、ひかるのこと見たら弟が出来たて、舞い上がってしもうてん。ホンマ、嫌な思いさせてもうて、すまんかった」



しっかりと俺と向き合いそう言うと、綺麗がばっと音がするくらいの勢いで頭を下げた。あまりの勢いにちゃぶ台に額をぶつけて小さく唸ったが、それでも頭を上げようとしない。



「…なんで自分は、きょうだいが欲しかってん?別に、おらんくても不自由ないやろ」



その言葉を拒絶するでも受け入れるでもなく、俺は思ったままのことを口にした。
小春ちゃんやユウ君にはきょうだいがいたから。だから俺もきょうだいが欲しいって、思った時期はあった。だけど高校生にもなった今、今更きょうだいが欲しいなんて思わないし。それに憧れなんて抱かない。寧ろきょうだいがいても鬱陶しかったり邪魔だったりするだけじゃないかって、思うくらいなのに。

俺の言葉に少し顔を上げたこいつは、うーんと考えるような素振りをして見せて(実際に考えていたのだろう、ちらっと見えた眉間には皺が寄っていた)、そしてゆっくりと、頭を上げて俺の目を見ると。



「…やって、きょうだいがおったら寂しい思うんも、減るんやないかって、思うたから…かな」



そしてまた、笑うのだった。



「一人で待つよりも、二人で待つ方が寂しないに決まっとる。一人で食べる飯よりも、二人で食べる飯のんが美味いに決まっとる。さっきのアイス、美味かったやろ?」



それにきょうだいになるんやったら、同じ寂しさを知っている奴のんが、えぇわ。



続けられた言葉に俺は、何も返せなかった。



扉を開けても誰もいない。今までは当たり前に掛けられた言葉が聞こえない。一人で囲む味気ない食卓。一人で過ごす部屋。名前を呼んでも返ってこない人。



その寂しさを、俺は知っている。その寂しさを、こいつも知っている。
そしてどうやったらその寂しさを減らせるのかも。俺もこいつも、もう知っている。



「…ならもう俺らは、きょうだいみたいなもんやな」

「…おん。きょうだいみたいなもんや!」



初めてこいつの前で、笑った気がした。
そこでようやく俺は、こいつの名前を知らないことに気が付いたのだった。






その後、帰って来た金太郎のオカンは俺の姿を見るなり「こない汚い所に光くん入れて!自分オカンのこと嫌いなん!?嫌がらせなん!?」と散々金太郎に向かって叫んだ後「にしても光くんは今日もかわえぇわな!あとでおばちゃんと、服買いに行かへん…ってつい本音がぁ!」と百面相を披露してくれた。
余りの豹変ぶりに思わず猫被ってたんかって聞くと「やって光くんかわえぇんやもん…って男の子にかわえぇ言うんは失礼やけど。ついえぇところ見せなーって思うてしもうてん…あ!誤解せぇへんでな!光くんのお父さんの前やったら、いつでも地ぃ見せとるから!」とまた、必死に弁明してきて。


その様子が、誰かにとても似ていたもんだから。



「…別にえぇんちゃうん…俺のともだちにも、そないな奴、おるし」



今までの俺だったら嘘つきと、彼女のことを罵っていただろう。だけどそうしなかったのはきっと、その嘘が俺を裏切る為につかれたものじゃないから。その嘘が俺と近付く為につかれたものだから。


そして俺はもう、一人じゃないって思えたから。



三人で囲んだ食卓は、小さかったけど暖かかった。乗せられたカレーもサラダも、別に何の変哲もないものだったが、いつも食べる飯よりも美味しいって思えた。学校でみんなと食べる飯以外で、こんなに美味しいって感じられる飯は、久しぶりだった。
否、久しぶりじゃない。つい最近もあったんだ。白石の家で食べた食事も美味しかったって。あの時はそれどころじゃなかったからそんなこと感じる暇もなかったけど。今思い返せばあの食卓も笑顔に溢れていて、会話が絶えなくて。家族じゃない俺や千歳がいたのに、自然で心地よくて、そして暖かい場所だった。
あまり好きじゃない野菜も、あの時は残さずに食べていた。


夕飯の片付けが終わった頃になってようやくオトンが迎えに来て、すっかり狭い部屋に馴染んでいた俺に驚いた顔をして見せて。もう遅いから帰ろうって時。
小さく開けられた扉。外に広がるのは暗くて寂しい空間。振り返れば暖かい光と、そして優しい笑顔を浮かべた人たち。オトンが大きく扉を開けた瞬間、この暖かい空間を手放さなくてはならないと感じたその瞬間。



「あの!…これからよろしゅうな…金太郎。それから…おかあ、さん」



気付けば自然と飛び出していた言葉。俺が想った、嘘偽りのない言葉。
その言葉にオトンだけではなく、彼女も金太郎も、花が綻ぶように笑った。並んだ二つの笑顔はとてもよく似ていて。血の繋がりというものを強く感じさせられた。


だけどそんなもの、あってもなくても関係ない。
だって俺たちはもう“きょうだい”だったんだから。


だって俺たちはもう“家族”になるんだから。





程なくして、俺のオトンと金太郎のオカンは入籍する。もう歳も歳やからって、式とかはしないでただ籍を入れただけ。そして俺と金太郎は、戸籍上も“きょうだい”になった。
ずっとオトンと二人きりで過ごしてきた広い家は、四人で暮らしだすとどこか狭く感じられた。
俺のが兄貴だって言っても金太郎は「そんなん関係あらへんわ」って聞かないし。近所のおばちゃんたちにも「お兄ちゃんが出来てよかったな」って笑われる。だけどそれに対して声を荒らげることは、一度もなかった。






「なぁ、ひかる」

「なんや」

「…これからみんなで、幸せになろな」

「……当たり前や」




さぁ、幸せになりに行こうか。



君とだったら必ず幸せになれるって。なくしてしまった光をもう一度取り戻せるって。
確信できる。






弟できたってメールしたったら、めっちゃ早口で何言うてるんか全然わからへん電話がかかってきた。
せやけど最後にはよかったなって。財前くんよかったなって。ホンマによかったって。何度も電話口に言われた。時折鼻啜るような音、漏らしながら。
それが嬉しかっただなんて。最初にメールしたんが自分やなんて。



絶対に、教えたらん。












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