彼と彼らの日常。09




「…財前はほなこつ、家出るつもりっちゃね」



その声からは、ただ彼を心配する感情しか、感じ取れない。



「……俺らは何か、出来ることが、あるんかな」



その言葉に応えられる人物は、自分以外に誰もいない。





第九話 財前光の衝撃





「…なんちゅーか、騒がしい家族で、堪忍な…」

「…白石がどうやったらこぎゃん性格に育つか、分かった気がしとっとよ…」



ぐったりと。客間に敷かれた布団にへばりこんだ千歳が弱々しい声を出す。
因みに財前くんは今、風呂に入っていてここにはいない。部屋の隅に置かれたドラムバックに目をやると、それに気付いた千歳が今度はしっかりとした口調で、言葉を紡ぐ。



「…財前はほなこつ、家出るつもりっちゃね」

「んー…さっきの親父さんらとのやり取りを見る限り、そうなんやろう、な」



先ほど…と言っても数時間前。どうしたもんかと半分泣きながら相談の電話を入れたら小春は、溜息交りに「言わんこっちゃない!」と言い。「ホンマ手間かかるんやから…」と呆れながらも連絡を取ってくれた財前くんの親父さんとその再婚(する予定)相手さんが、うちを訪ねて来た。
なんというか、この父にしてこの子あり!というか。IT関連の会社で役員だかを務めているという親父さんは、財前くんによく似ていた。
彼が連れて来た女性も、とても財前くんの言うような「金目当てでオトンのこと騙しとるオンナ」には見えない、綺麗な人で。その二人と財前くん、そして何故か俺と千歳を巻き込んだ家族会議が、先ほどまで我が家のリビングで繰り広げられていたのだが。



「こいつかてオカンと同じや!最後には俺んこともオトンのことも捨てて、どっか行ってまうに決まっとる!嘘ついとるんに、決まっとるんや!!嘘つき!嘘つき!!」



財前くんが、叫んだ一言。振り払われた女性の手。そして部屋に響く、渇いた音。



「…光、えぇ加減にしなさい」



そこにいるのは目にいっぱいの涙を溜めて頬を抑える財前くんと、彼以上に泣きそうな顔をした、彼の父親だった。



このまま話しても、お互いに感情的になるだけだからと。今日の所は親父さんたちには帰っていただいて。当初の予定通り財前くんと、それから巻き込んでしまった千歳はこのまま、家に泊っていくことになって。
ずっとむすっとしていた財前くんだったが、すっかり財前くんを気に入ったらしい妹が差し出したホットミルク(はちみつ入り)とお菓子を受け取ると、徐々に表情を柔らかいものにしていき。ぽつぽつと、ただ相槌を打つだけだったが、妹との会話が成立するまでに、なっていて。
千歳は千歳で姉貴とオカンが妙に気に入ってしまい、終始「彼女はおるん?」「好みのタイプは?」「お父さんのご職業は?」等々、まるで見合いか!とツッコミたくなるような質問攻めに遭わされて…ひょっとしなくても、この二人が俺の義兄弟になることなんか、ないよな?なんて。ちょっと不安になってしまったり。
そうこうしているうちに残業を終えて帰って来たオトンの「今日はもう寝なさい」の一言によって、ようやく解放された二人だったのだが。



「…財前くん、ホンマに親父さんのこと、大切なんやな…」

「それだけじゃなか。財前は自分がもう、裏切られたくなかよ、捨てられんのが嫌なんよ、きっと」

「……俺らは何か、出来ることが、あるんかな」



嘘つきと、女性を罵った時の表情が、俺たちの脳裏からは離れない。あの辛くて悲しくてたまらないと言った、見たことがない彼の表情が。


同じ言葉を吐いているのにも関わらず、その表情は数か月前に俺に向けられたものとは、全く違ったから。本当に苦しいって、叫んでいるようだったから。
そんな表情を見せて苦しんでいる彼のために、俺は何か出来るのだろうか。


手を伸ばしてくれた彼に対して、俺は一体何が出来るのだろうか。





「……俺、明日家帰る」


並んだ布団に財前くんを中心にして入って。なんや川の字で寝るなん、親子みたいやなーと、場を盛り上げようと放った冗談は二人からは冷たい視線しかもらえなかった。
俺だって色々頑張っているのに。ちょっとは努力を認めろ。そう思いながら電気を消し、暫く続いた無言の空間。ただ扇風機の風に揺らされたカーテンの向こうから時折月明かりが差し込んできて。虫たちの声がガラスを隔てて小さくだが力強く、響いてくるだけの空間。

それを打ち破ったのは、財前くんの一言。



「帰るて…親父さんらのこと、認めたるんか?」



思わず上体を起こして、隣にいる財前くんの顔を見ようとするが。夏掛けを頭まですっぽり被ってしまっているため、その表情は伺えず。彼を挟んで反対側、同じように上体を起こしていた千歳と、目を見合わせる。



「…オカンと離婚してから、オトンはずっと、俺のやること、認めてくれた。どんなに怒っても、最後には折れてくれた。どんな我儘やって聞いてくれた…そんなオトンが、今回は折れんかった。初めて俺んこと、ひっぱたいた…」



段々と弱くなっていく声。夏掛けは依然として、引き上げられたまま。彼の表情を見ることは出来ないけれど。きっと辛いって顔をしているのだろう。悲しいって顔を、しているのだろう。

苦しくて堪らないって、寂しくて堪らないって、泣きそうな顔を、しているのだろう。




「……オトンにとって俺よりも、あのオンナんが、大事なんや……オトンかて最後には、俺んこといらんように、なってまうんや……」



それっきり何も言葉を紡がなくなってしまった、小さな身体は。大きい布団の上小さく小さく丸まって。余計に小さく、そして弱々しく見えた。
そんな財前くんに、俺たち二人は何も、声を掛けることが出来ず。何と声を掛ければいいのかも、分からずに。


ただその小さな身体を守るように、三人寄り添って眠った。
中心にいる彼から、穏やかな寝息が聞こえてくることは、とうとうなかったけれど。代わりに時折ぐずるような声が、小さく洩れて来た。その度に俺は自分の無力さを嘆いた。


外からは小さく虫の鳴く声が聞こえて来る。それに掻き消されてしまうほどの小さな声は、まるで俺たちに助けを求めているかのようだった。それなのに俺たちは、ただ傍にいることしか、出来なかった。




なぁ、誰か教えてくれ。
こんな風に苦しんでいる友達の為に、俺は何が、出来るのかな。
せっかく俺のこと頼ってくれてきたのに、俺は何も、出来ないのかな。











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