彼と彼らの日常。06





「これ、なーんや」



笑顔と共にぶつけられた言葉は、とても明るいもので。



「…こんなんばら撒かれたら…」



しかし確実に、俺の生命を縮めるだけの効果を持っていた。






第六話 白石蔵ノ介の思惑






千歳と白石が去った教室は、ただ静寂だけが支配していて。だが時間が経つにつれて一人、また一人と口を開く。
ちらほらと聞こえて来る内容は、白石の手からいつの間にか離れて、彼の机の上に置き去りにされている一枚の写真。全ての発端となった、たった一枚の紙切れ。
こんな紙切れにこの一か月、見事に振り回されていたのかと思うと。今更ながら腹が立つというか何というか。だが一番の被害者が白石であることは、変わらない。そして俺が何も出来なかったことも、変わらない。



「…なぁ小石川、自分らは知っとたん?あれ、偽モンやて」

「何度も偽モンやて、白石が言うとったやんか。それを、自分らが聞こうとせんかっただけやろ?」


控えめに掛けられた言葉に、思わず棘のある声を返してしまったことも。大事な友人を傷付けられたせいだということにしてもらおう。

白石は財前たちを紹介したことを感謝すると言ってくれたが。あんなものただの橋渡しになったにすぎない。
財前は相変わらず個人プレーを続けているが、あの写真が作り物だと最初に断言した第三者は彼で、その言葉は確かに白石に希望を与えて。小春とユウジはよくA組まで訪れては俺たちの話し相手になってくれて、その様子は白石を元気づけて。そして忍足も、本人は自覚していないだろうが、その自然な態度や言葉に白石がどれだけ助けられたか。傍にいたからこそ分かる。

そして自分が何も出来なかったという、事実も。



「…俺ら、白石に酷いこと、してもうた…ホンマ、どうかしとったわ」



嘆くように紡がれた言葉。その主は言うまでもがな、白石に対して二度も啖呵を切ってみせた男で。その表情は本当に後悔していると、どうしたらいいのかわからないと、書かれていた。

そんな表情のまま、こちらに救いを求めるように顔を向ける。思わず自業自得だと突き放したくなったが。それを望まない奴がいることを、思いだして。


「…大丈夫やよ、あいつは。話せばちゃんと、分かってくれる奴やから。自分がきちんと気持ち、伝えたらちゃんと、応えてくれるわ」


苛立ちや無力感を一切表に出さないように、注意して、ゆっくり言葉を発した。
きっとあいつはここで彼を、彼らを突き放すことを、相容れないままでいることを、望まないだろうから。何も出来なかった分、せめてこんな時くらい、あいつとの橋渡しになりたいと思ったから。


だから。



「せやからちゃんと、謝って来ぃや。大丈夫、あいつはきっと、笑うて許してくれるさかい」


久しぶりに作った優等生の笑顔を向けてやった。彼らが欲する答えを放ちながら。あとはこいつらがどう動くか。白石にとってそれがプラスに作用すればいいと、思った。





***





腹が立つ、本気で腹が立つ。あんなことで簡単に尻尾を出してしまった自分にも。そして未だあんな目が出来た白石にも。



―――初めから、こうすればよかったんや。



あの時自分に向けられた瞳は、入学式の時に見たそれに良く似ていて。しかし確実に何かが違っていた。

入学式の時にみたそれは、羨望やら嫉妬やら、そういったどろどろとした感情が渦巻いていたのに。
先ほど見せたそれは、自分への絶対の自信と、そして認めたくないことだが俺に対する憐みに似た色が滲んでいて。



「…ほなこつ、腹立たしい…」


それを向けられた自分が余りにも惨めで。思わず手を上げた挙句に教室を飛び出してしまうなんて、完全に自分の非を認めているようなものじゃないか。本当に、信じられない。いつもの自分であったら、絶対に有り得ないことだ。そう、絶対に。

そんなことを考えながら…否、考えることなんか出来ない、ただ頭の中に色々な物に対する嫌悪感が渦巻いているだけだ。そのまま足音を荒立てて歩き続けた先は。
この学校に来て最初に見つけた場所。よく一人で過ごす、裏庭が待っていた。

そこはどことなくだが、自分が通っていた中学の近くにある広場に似ていて。よく先生と一緒に過ごしたあの場所に似ていて。ここに来れば気持ちが収まると、無意識のうちに考えていたのだろうか。事実、その景色が目に入った途端、先ほどまであれだけ荒れていた心は徐々に平穏を取り戻し、いつもの自分に戻って行くような気がした。



「…計算通りやな。自分、ここに来るて思うとったわ」



視界の隅に映る、小さな影に気が付くまでは。


自分より遥かに小さいその人物…確か、財前と言ったか…は、俺の姿を認めるとにっと両の口角を上げ、口だけで器用に笑って見せて。



「これ、なーんや」



組んでいた腕を解くと、胸ポケットから一枚の紙っぺらを取り出す。そこに写される人物に、思わず顔が紅潮していくのが、分かって。



「な!なんでそぎゃんもん、お前が持っとる!?」

「さぁ?なんでやろうね?」


思わずその身体に飛びかかるが、小さな彼は俺の腕をくぐり抜け、そのまま裏庭の真ん中にある大きな木の下へと走り出す。くすくすと可笑しそう笑いながら走る財前を追い、俺も駆け出した。


「…それ、こっちに寄越すったい」


木の幹に身体を預けるように立つ彼との距離を詰めながら言葉を放つ。そんな俺を見て財前はまた、くすくす声を上げて。


「なんでそない必死になるん?こんなん、ただの作りモンやん。自分かて作ったんやから、見ればわかるやろ?」


ひらひらと、手にしたままの紙を…写真を揺らしながら、こちらを見て楽しそうに笑う。状況が状況でなければ可愛いとか愛らしいとか、そういった表現が似合う行動なのだろうけれども。今の俺にとっては、悪魔の笑い以外の何者でもない。


「白石みたいに後ろめたいことないんやったら、こないなもん、どうとも思わへんねんやろうけど」


じりじりと、様子を伺いながら距離を詰める俺に対して、相変わらず子どものような笑みを浮かべながら。財前は尚も言葉を紡ぐ。

だが俺の視線は彼になんて向けられず、その手の中にある一枚の写真に注がれていた。


「自分、こんなんあったらヤバいんちゃうん?こんなんばら撒かれたら、これが本物やって言われたら、」


だって、だってそこには。





「この“先生”、ヤバいんとちゃうん?」




抱きしめ合う俺と先生が、写っていたのだから。





“先生”という単語が独特のイントネーションで彼の口から出た途端、身体の力が抜けたような気がした。そのまま重力に逆らえずにがくんと、地に膝をつく。

俺はどうなってもいい、だけど先生は、先生だけは。

そんな想いだけが、俺の中には渦巻いて。そんな想いだけが、俺の全てで。



「…渡邊オサム、自分の中学ん時の担任で恋人…ちゅーところ?」


俺より高い所にある彼の顔を、ゆるゆると見上げる。その顔は彼が作ったのであろう写真に、そこに映し出された先生に、向けられていて。


「写真ばら撒かんにしても、自分らの関係ばらしたったら、ヤバいんやろな?停職?左遷?兎に角もう、一緒になん、いられへんわな」


やめろ、と叫びたかった。だけどそんな簡単なことすら、俺には出来ず。ただ立ちはだかる財前の姿を見上げることしか、出来なくて。
写真から目を話した彼と、目が合う。絶望やら不安やら、マイナスの感情しか浮かんでいないであろう、俺の両目とは違い、彼の黒目がちの大きな目は自信や好奇心に溢れていて。どこか先ほど見た白石のそれと、似ていて。



「…ばらされたなかったら、白石に手ぇ出すなや。あいつんこと気に入らんのは俺かて同じやから、気持ちも分からんでもないけどな。せやけどあいつんこと虐めてえぇんは俺だけやねん。自分みたいなんがおると、やり辛くてかなわんわ」



こちらに反撃の余地を与えずに言いきると、にっこりと笑い。これやる、と弄んでいた写真を投げ捨てて。一度も振り返らずに、裏庭から去って行った。その背中は自分のものよりもずっとずっと小さいはずなのに。

なのにずっとずっと、大きく見えた。



財前が落としていった写真を握りしめる。誰にも見られないようにと、大事に大事に。
皮肉にもその写真は、俺が白石を陥れる為に作ったものと、全く同じ構図をしていた。











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