「ワイ、アメリカに行く」 それは僕の決心。君と僕の未来のための、大きな決心。 財前金太郎の出立 「…今、何て言うた?」 夕飯の席でオカンとオトンと、それから光に今日、決めたことを話した。 すると予想通り、光は手にしていた箸を落とすという形で、とてもわかりやすく動揺し。震える声で縋るような目で、ワイへと問いかけて来た。 「…ワイ、アメリカに留学したい。あっちで本格的にテニス、続けたいんや」 今度は光だけに向けて、ワイははっきりとそう言い放った。 アメリカに留学してみないか、本格的にテニスを続けないか。 そういう話は、実は前にももらったことがある。しかしその頃ワイはオカンと所謂“母子家庭”ってやつで。ワイがいなくなってしまったら、オカンが一人になってしまう。オカンに言ったら気にせずに行ってこいと、言うに決まっていた。だからその時のワイは一人で勝手に、その話を断った。だけど、今は違う。ワイがいなくなってもオカンには、オトンがいる。ワイ以外にもちゃんと、家族がいる。だからもう、安心していた。 ただ、新しい家族が出来ることによって新たな心配事が生まれるなんて、新しい家族が出来たばかりの頃のワイは、思ってもみなかった。 横に座った光は、出会った頃とそんなに身長が変わらない小さな身体を、更に小さくさせている。対するワイは高1の終わり頃から今までが嘘のように一気に身長が伸び。今では光と頭1つ分くらいの差が出来ていた。その身長差からか、それとも出会った当初から感じている彼の儚さからか、いつからかワイは、光を庇護の対象として見るようになっていた。光の望むことだったらしてやりたいと思ったし、光を苦しめる奴がいたら、全力で排除しようと思った。そして実際に、そうしてきた。 いつの間にかワイにとって、それが当たり前になっていた。そして光にとっても。 だけど、それじゃあアカンと、思うようになった。だっていつかはそれぞれ、自分の進む道へと進んで。それぞれうちのオトンとオカンみたいな、人生の伴侶を得て。それぞれが自分の家族を、築いていくんだ。 だから。このままじゃいけない。 「ワイ、アメリカに行く」 その言葉に、迷いはなかった。 逃げかもしれない。一緒に幸せになろうと、あの日交わした言葉を反故する決断なのかもしれない。 だけどワイにはその決断が、今自分に出来る最良のものだと思ったんだ。 その日から出立の時まで、ワイと光は一言も口を利かなかった。オトンとオカンが心配して、あれこれ口を出して来たけれども。それでもワイも光も、互いに喋ろうとはしなかった。 何か喋ってしまったら、きっと決断は揺らいでしまう。そうわかっていた。時折痛いほどに感じる光の視線を無視し続けることは辛かった。だがこれがいいんだと、これでいいんだと、必死に自分に言い聞かせ続けた。幸いにも、留学の手続きだとか準備だとか、やることは山積みで。自然と光と顔を合わせる時間も、一緒に過ごす時間も、減っていった。 一度だけ、光から言葉をもらったことがある。その日も学校で手続きやら準備やらを行っていて夜遅く、家に帰った時のこと。皆もうとっくに寝室に入ってしまっている時間。あれほど暖かいと感じていたリビングには誰もおらず、今はただ伽藍堂のように広がっていた。 そんな明かりも点いていない場所を横切った時だった。 「…うそつき」 本当に一言、そう言うと。光はぱたぱたと音を立てて階段を駆け上がっていってしまう。暗闇のせいでその顔は見られなかったけれど、きっと傷ついた表情をしていたんだろうな。 光が嘘を吐かれることを何よりも嫌うことを、ワイは知っていた。知っていたのに、光が…光だけじゃない、ワイもずっと心の拠り所にしていたあの言葉を…これからみんなで、幸せになろうという言葉を。約束を。 ワイは破ってしまった。嘘にしてしまった。 どんなに謝っても、光はきっとワイを許してくれない。それでいい、それでいいんだ。 どうせなら、嫌いになって欲しかった。もうワイのことなんていらないと、思って欲しかった。 そうすれば光はきっと、ワイなんかがいなくても、生きていけるから。 ワイなんかがいない所でちゃんと、幸せになれるのだから。 そして迎えた出立当日。 空港まで家族総出で見送りに来てくれた。光も勿論。終始むすっとしたような、だけどとても寂しそうな目で、ワイを見ていたけれども。ワイはそれに気付かないフリをして。笑顔でいってきますと、言うとつもりだった。だけど。ゲートを潜ろうと皆に背中を向けた瞬間届いた光の声に、予定は総て、壊されてしまう。 「行かんで!俺のこと、置いていかんで!…どうして、どうして行ってしまうん?日本やアカンのか?金太郎は俺のこと、嫌いなんか!?」 「……きらいや」 あーあ、最後に見た顔が泣き顔だなんて。光にはここ最近ずっと、辛い思いをさせてばかりだ。そして彼が大嫌いな嘘を、ワイは吐き続けている。 アナウンスに従いシートベルトを締めながら、先ほど見た光を思い出す。オトンとオカンに宥められながら声もなくぽろぽろと涙を流す姿は、やはり儚かった。 だけどもう、ワイに出来ることはない。その涙を拭うことも、嫌いだなんて嘘だと言うことも、ワイには出来ない。 だから光、君には家族を残していく。光が一番欲していた家族を。 そこにワイがいないことは、大目に見て欲しい。きっとその空洞は、いつか現れる光の大切な人が埋めてくれるから。 だから大丈夫。不安にならないで、もう泣かないで。 どんどん小さくなっていく、生まれ育った土地を見降ろしながら。 気付けばワイも、泣いていた。数年ぶりに流した、涙だった。 ワイは自分で涙を拭うことが出来るけれども。それさえもワイがしてしまっていた光は、上手く自分の涙を拭うことが出来ているのだろうか。 早く光の涙を拭うことの出来る相手が現れればいい。そう思う反面で、そんな奴一生涯現れないで欲しいとも思ってしまう。 目を閉じれば、光やその友達と過ごした時間が、溢れてくる。 そんな思い出を胸に抱えてワイは、新しい土地へと降り立った。 もう、迷いも後悔も、なかった。 彼彼。 |