「挑戦するか、しないのか」


迷うことだって、時には必要…だよね。





金色小春の挑戦





「…どないしたん、小春?めっちゃ機嫌悪そう…ちゅーか、人相悪いんやけど…」


俺としたことが古典教科書を忘れるなんて失態をしでかしてしまって(こんなん、人生初めてや!)、隣のクラスの忍足に借りようとしたら「悪い!俺んクラス今日、古典ないねん!」と、謝られてしまい(忍足が悪いやのうて、忘れた俺が悪いんに)。仕方なしに、渡り廊下を挟んで反対側の校舎にあるE組まで、教科書を借りに行ったときのこと。

E組に行くとユウジが一人で、俺を出迎えてくれて。財前くんが来ないことなんていつものことだが、小春が一緒じゃないことに少し引っかかって。失礼しますと一応断ってから入った、E組の教室。その真ん中あたり…自分の席にどっかりと座った小春の眉間には、いつもは刻まれていない深い深い皺。目もどこか据わっているし、溜息を吐いたかと思ったら貧乏ゆすりを始めたりしている。



「あー…別に機嫌悪いて、わけやないんやけどなぁ…」


思わず放ってしまった俺の言葉に、ユウジは言葉を濁して。小春は相変わらず人相の悪いままで。
このままこの教室を出ていくのも後味が悪いし。さて、どうしたものかと思っていたところ。


「…別に、言うてもえぇんちゃうん…ちゅーか、あんなん小春ちゃんやないし。あんな小春ちゃん、俺いやや」


いつの間にか横にいた財前くんが、ぽつりと呟いた。その表情はどんよりとしていて。目の前の事実を見たくないという様子が、ありありと伝わって来る。
そんな財前くんの頭を軽く撫でてから。それもそうやなっと、安心させるように笑ってみせてから。


「…あんな。実は小春に、文化祭ん時の劇を小説にして雑誌に載せてみんかって、出版社から話が来とるんやって」


俺の方を向くと、真剣な眼差しで言った。
ちょっと待て。今、ユウジは何て言った?出版社とか、小説とか、言わなかったか?


「…ひょっとせんでも自分、小春ちゃんが小説家やってこと、忘れとったやろ」
「…はい、すっかり忘れてました…」


俺がよっぽど間抜けな顔をしていたのか。財前くんの鋭い指摘が飛ぶ。それに素直に頷くことしか出来ない俺に、小さく溜息を吐いてから。


「そんでな…悩んどるんやと、小春。その話を受けるべきか、受けないべきかで」
「そんなん、受ければえぇやん!めっちゃえぇ話とちゃうん?」


続けられたユウジの言葉に、思わず声を大きくしてしまう。だって、そうだろう?この話を受けてそれで人気でも出たら、小春は一躍有名人になれるってことじゃないか。プロの小説家として成功出来るかもしれないってことじゃないか。そんなチャンスを棒に振るなんて、勿体ないんじゃないか。
素人考えだって、分かっている。だけど小春が…友達が大きなチャンスを掴みかけているのに。それに手を伸ばさないことは信じられなくて。俺に出来ることは、その背中を押すことだと、思えて。


「…そうなんやけど、な…」


俺の言葉に、ユウジはまた、言葉を濁す。その目は心配そうに、ガタガタと机を揺らしだした、普段の明るい雰囲気の欠片もない小春に、向けられていて。一番小春のことを知っている彼がそんな顔をする原因が何かなんて、そして小春があんなにも悩む意味が何かなんて、俺には分からないで。


予鈴が鳴る。
ここから俺の教室までは歩いて数分。今ここを去らないと、次の授業には間に合わなくて。せっかく借りた教科書も無駄になってしまう。だがこのまま、この場を去ることも躊躇われた。


「…後でちゃんと、小春に話させるから…今はちょっと、そっとしといてくれへん?」


小春と手元の教科書と、双方を見比べているとユウジが、頼むように…と言うよりは念を押すように、言う。その言葉に俺はまた、頷くことしか出来なかった。

教室に戻って、小石川に何かあったのかと尋ねられたが。俺の口からはまだ、言ってはいけない気がして。後で話すからと、先ほどユウジが言った台詞と同じようなことしか言えなかった。
次の古典の授業。教科書をせっかく借りて来たというのに俺の頭の中を占めるのは、小春とユウジの苦悩の訳だけであって。終わってみればノートは真っ白。こんなことも、人生初めてだった。






「…ホンマはね、うちかていい話やって、分かっとるんよ」


昼休み。
七人が全員揃った所で、相変わらず眉間に深い皺を刻んだままの小春が、ゆっくりと口を開く。
それは俺が先ほどユウジから聞いたこと…劇を小説にして、雑誌に掲載してみないか、という話が来ている、というところから始まって。そして暫くしてから、また口が開かれて。


「分かっとる、分かっとるんやけど…せやけどな、何か嫌やねん」


じっと、膝の上で握り絞めている拳を、見詰める。
俺たちからはその表情を窺い知ることは出来ず、そして彼が何を嫌がっているのかなんて、検討も付かない。掛ける言葉も、見つからない。


「…何がそない、嫌なん?小春ちゃんは何が、そんなに嫌やなんや」


そんな俺たちを代表して(ちゅーても、彼自身にそんな気ぃは、全くないやろうけど)、財前くんが隣に座る小春に、尋ねる。その顔は相変わらず、どんよりとしていて。あんなん小春ちゃんやない。財前くんの言葉が蘇る。確かに、俺が知っている小春と今の小春は、とてもかけ離れていて。表情だけ見てもまるで別人であって。俺だけじゃなく、幼稚園の頃空の付き合いだという彼までがそう形容するのだから。今の小春が異常な状態であることは、明らかで。
小春から目を離して、財前くんとは反対隣に座っているユウジから時計回りに一周、円を書くように座っている皆の顔を見渡す。それはどれも、小春のことを心配している顔で。そして小春の変化に戸惑っているようで。

唯一、最初に見たユウジだけが何もかも分かっていて、理解していて。その上で小春のことを支えようとしているような、気がした。



「…なんちゅーか…嫌やのよ。やってあの劇て、うちらが初めて一緒に何かを作り上げた、大事なもんやない?」


やっと紡がれた言葉に、ハッとする。
そうだ、数か月前…まだ新学期が始まって間もない頃。この場所で小春によって手渡された冊子から、全てが始まったんだ。それまでは一緒に遊んだり話したりすることはあっても、ひとつのことにみんなで取り組もうなんてこと、なくて(まぁそれが切欠で、小石川との仲が一時期拗れてもうたけど)。あの頃毎日ここや教室や駅前のファーストフード店やらで、ずっと話し合って、練習して。そして文化祭の日に、やり遂げた舞台。あの時の感覚はまだ、鮮明に蘇って来る。掌にかいた汗が伝う様子すら、思い出される。


「…やから、それを晒すっちゅーか…まぁ言い方悪うすれば、食いモンにするなんて、したないんよ」


ごめんね、くだらんことに巻き込んでしもうて。
やっと上げられた小春の眉間にはもう、皺なんて刻まれてなかったけれども。
無理矢理作られた笑顔は、とてもじゃないけれども、見られたもんじゃなかった。


「…俺が言うんも、アレなんやけどな」


再び黙り込んでしまった俺たちの中、言葉を発したのは小石川。
控えめに、だがしっかりと通る声で紡がれた言葉。


「やってみたら、えぇんちゃうん?思い出やって大切にするのもえぇんやろうけど…せやけどこのまま埋れさせてまうんは、勿体ない気ぃすんねん…それに俺、こんなん言うの恥ずかしいっちゅーか申し訳ないんやけど…途中、すっぽり内容、聞いとらんかったから…やから俺を、読者一号にしてくれへんかな…って、都合良過ぎるか」


照れ臭そうに頭を掻き、笑顔をくれた小石川。その言葉は、とても真っ直ぐで、そして。




「「「てぇ!自分、ちゃんと観とけや!!」」」




俺と忍足と小春と。三人から総攻撃を受けるような内容だった。
…まぁ、しゃーないって分かっている。分かっているけど。それでも、何となく、納得いかなかった。
くそ、俺凄く頑張ったのに。俺だけじゃない、忍足も千歳も財前くんも。そして舞台を支えてくれた小春もユウジも、二人のお兄さんとお姉さんも。それから小石川だって、全面的に協力していてくれたくせに…まぁ、終わってしまったものは、仕方ないのだが。


「…俺な、ちゃんとあの話、知りたいねん…そりゃ台本見せてくれれば終わる話なんかも、しれへんけどな…やけどやっぱり、ちゃんと知りたい。小春の言葉で、ちゃんと知りたいねん」


俺たちに責められながらも、尚も紡がれた小石川の言葉。


「せやんねー俺もちゃんと、小春の言葉で読みたか…俺、自分のこつでいっぱいいっぱいで。他のこつそぎゃん、よう見てられんかったばい」


それに続くように、のんびりと天気の話でもするように紡がれた千歳の言葉。


「確かに…言われてみればそうやなぁ…ちゅーか俺、小春の書いた小説っちゅー奴、まだ読んだことあらへんし!読んでみたいんやけど」


そして相変わらずの、あっけらかんとした調子で言葉を紡ぐ、忍足。


「…俺も、小春ちゃんの話読みたい。ちゅーか小春ちゃんの話以外、つまらんくて読めん」


ぎゅっと小春の腕を掴んで、恥ずかしげに紡がれたのは、財前くんの言葉。
そして、俺は。


「やってみたらえぇやん。俺も小春ん話し読みたいし。それに、それにな…」


真っ直ぐに小春の顔を見て。



「俺たちがやったこと、小春があの話に込めた想い、少しでも大勢の人に、知って欲しいねん」



主演男優の俺が頼んどるんやからな!
そう、笑ってみせると。一瞬目を見開いて、それからくしゃっと顔を歪めたかと思うと。
小春もやっと、笑った。いつものように明るい笑みではなく、それは包み込むような暖かさを持つものであって。ちょっと、本当にちょっとだけど。かわいいって思ってしまった。そんな、笑顔だった。



「…よっしゃ!いっちょ金色小春の本気、皆に見せたるわ!覚悟しとき!」



その言葉はこの場に来て最初に紡がれた言葉とは正反対。とても強く、そして希望に満ち溢れていて。
小春の顔も真っ直ぐ前に、向けられていて。握り絞められた拳はそのままだったが。その掌にはもう、成功の欠片が掴まれているのだと、思う。
力強く立ち上がった小春に、少し早く未来への切符を手にした友人に拍手を送りながら。
俺はその姿を眩く、見上げていた。
小春の笑顔はいつも以上に輝いていて。だけど俺たちに向ける顔は、ちっとも変わらないで。


「みんな、おおきにな…うち、やってみるわ…ま、失敗したときは慰めてや」


冗談のように放たれたその言葉に、皆頷いた。
そんなこと、当たり前じゃないか。
言われなくても、迷惑がられても、もう十分だって根を上げるまで慰めてやるさ。
…まぁそんなこと、絶対にあり得ないと。その場にいる誰もが思ったに違いないが。


「俺はいつでも、何があっても、小春の味方やから…やから、安心しぃ」
「…ありがと」


昼休みが終わって、屋上から続く階段の途中。
握り絞められた手が次に掴んだのは。誰よりも長く一緒にいると、相手の考えは手に取るように分かると、常々語っている。
幼馴染の、同じくらいの大きさをした掌だった。
きっと彼らは俺たちの…同じ幼馴染である財前くんですら知らないような時間を過ごしていて。
そして俺たちとの間にはない絆を築いて来たんだろうって。
階段を下る間ずっと握り絞められたままの手を見て、感じた。そしてそんな相手が俺にも出来るといいなって、思った。





その後。

劇『原色の世界』を元にした作品『Re:Home』は何とかっちゅー賞を取って。それが切欠になって小春は名実ともに世間に認められる、立派な“小説家”先生になることになるのだが。
それはまだ、先の話。そう遠くはない、だけどまだ見ることの出来ない、未来の話。







彼彼。



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