※二人とも社会人。 そして誕生日全く関係ない内容です。 部屋の明かりがついていない。 あぁ、彼はまだあの部屋にいるのだろうか。ひょっとしたらもう、いないんじゃないだろうか。 そう思うと居てもたってもいられずに、少し足早になりながら自室を目指した。 HOME 「ただいまー」 やわらかな声がリビングに響く。同時にパチンと音を立てて、天井の蛍光灯が光りを放った。 そこで俺は、はじめてずっと暗闇の中にいたことに気づく。 「…おかえりなさい」 「ん。ただいま。待っとって、今ご飯の用意ば、すっと」 そういうと先輩は少し汗ばんだ手で俺の頭をなで、まだまどろんでいる俺に向かってやわらかくほほ笑むと、キッチンの方へと姿を消してしまった。 トントンと包丁とまな板がぶつかる音、しゅんしゅん音を立てて湧き上がるお湯、熱せられたフライパンに油を注げばジュッと焼けつくような音がした。 そんな風に、自分のためというよりも俺のために料理をする先輩を、寝ころんだままの体制で眺める。 3LDKのこの部屋の主は今、エプロンを着けてキッチンに立つ先輩で。俺は数か月前に住んでいたアパートを追い出されてここにたどり着いた、彼の中学時代の後輩。 それ以上でもそれ以下でもない、多分。 大学に入ると兄夫婦の3人目の子どもが産まれるからと、手狭になる実家を追い出されるように一人暮らしをはじめた。 そのままだらだらと、4年が過ぎて。大学を出ても仕事は見つからず、結局学生時代お世話になった飲食店でのバイトを続けていた。一応生活していくには困らない額を手にしていた。 しかし、その店も不況のあおりを受けて半年前に閉店。もともと無に等しかった貯金なんて、すぐそこをついた。 数カ月分の家賃を滞納した俺を、学生時代から世話になっていた大家が追い出すまでに、時間はかからなかった。 実家に帰ればよかったのだろう。 だが、俺を必要としない、新しい“家族”ができている空間に戻ることはいやだったし、俺がいることで“幸せな家族”を壊してしまうことも、いやだった。 で、街中を行くあても金もなくさまよっていた時のこと。 『…ひょっとせんでも、光くんとや?』 繁華街の隅でうずくまっていた俺を保護してくれたのが、先輩だった。 聞けば、九州時代の旧友と起こした事業が成功して、自分は副社長なんていう座についているらしい。もっと聞いてみるとその事業というのは、俺でも知っているような有名企業だった。 あの先輩が。あの、日和見主義でどこかテンポの遅れていた先輩が。 そう思ったが、事情を話す前に今の状況を察してくれた彼が差し出した手をつかんだ俺は、その手の大きさと暖かさに、ひどく安心しきっていた。 それから、数か月。 「光くん、ご飯できたよ」 「ん…おおきにっすわ」 「…ひょっとせんでもお昼、食べちょらんとや?もう、ちゃんと食べなダメったい」 「あーすんません」 こうやって二人で、先輩が作った料理が並ぶ食卓を囲むことが、自然になっていた。 先輩が昼間働いている間にあったことや仕事での愚痴を、食べながら聞くことが当たり前になっていた。 食事がすめば、俺は空になった食器をシンクに運ぶだけで。それを洗うのも食器棚へ片づけるのも、全部先輩の仕事だった。 俺はまた、寝転がってテレビを観る。チャンネルを変えても、どれもつまらない番組ばかりだったが、何も点けてないよりはましだと、そのままにした。 「光くん、お風呂入っちゃって」 「…今日、何も動いとらんから、いいっすわ」 「だーめ。ほらほら、さっさと行くっちゃ」 「はーい」 風呂の準備は先輩がして、一番風呂は俺がつかる。 先輩は風呂の片づけをしながら、俺が入った後、少しぬるくなったお湯につかるのだ。 俺が風呂から出れば、あてがわれている寝室にまっしぐら。布団は先輩が休みの日に干してくれる。シーツや寝間着の洗濯も、全部ぜんぶ、先輩がしてくれる。 俺は黙って、それを享受する。 それがおかしいってことくらい、俺にだってわかっているさ。 だから、この部屋に置いてもらうようになって、こんな状況に俺がおかれるようになってすぐ、先輩に言った。 『先輩、俺も何か手伝うっすわ。金かてちょっとは入れんと…せや、明日なんかバイトでも探してくるっすわ』 そうすれば先輩は、困ったような笑顔を浮かべて、そしてゆっくり俺の頭をなでて。 『そぎゃんこつ、せんでよかよ。光くんは、ただここに居てくれればよか。俺がしたくて、しちょるだけばってん』 そう言うと俺の身体を、まるで壊れ物でも扱うかのように抱き締めた。昔とちっとも変わらない身長差のせいでその顔を見ることはかなわなかったけど。 きっとあのとき先輩は、見たことがないくらいに悲しい顔をしていたんだと思う。 ぱたんと音を立てて、風呂場のドアが閉められる。ぺたぺたとまだ水気を含んだ足音が、こちらへと近づいてくる。俺はもう、布団の中で目をつむっている。昼間ずっと寝ていても、俺の身体はまだ睡眠を欲している。 と、足音が枕元で止まった。 そのままかぶっていた布団が引きはがされ、俺より大きな身体が、隣に滑り込んでくる。 俺は黙ってその身体を、ぎゅっと抱きしめた。 しばらく嗚咽のような声が胸元から聞こえてきたが、それはだんだんと安らかな寝息に変わっていく。 つかまれていた腕の痛みも、だんだんとただしがみ付くだけ、弱々しいものへと変わっていく。 胸元がひんやりと、冷たくなった。だがそれ以上、濡れることはなかった。 すーすーと規則正しい寝息と、まるで母親を求めるかのようにしがみ付かれた手。そしてあどけない寝顔を浮かべる顔。 それを眺めて、普段俺がされているみたいにゆっくりとその頭を撫でながら。 俺はもう一度、目を閉じた。 俺と先輩の関係はと問われれば、真っ先に中学時代同じ部活の先輩だと答える。 今先輩の元で何をしているのだと聞かれれば、住んでいたところ追い出されて困っていたところを助けてもらったんだと答える。 お前は何もしないのかと言われれば、先輩がそれを望まないからと答える。 俺は何もしない。だって先輩がそれを望まないから。 ただ先輩が与えてくれるものを享受して、ペットのように飼われている。 ただ、時折先輩がやけに悲しそうな顔をした時だけ、その大きな身体を、その小さな精神を、そっと抱き締めて一緒に眠る。 それだけだ。 こんなことおかしいって、わかっているけれど。 今の俺にとっては、この世界が全て。 End. 光誕 |