「気持ちに重いも軽いも、あるもんか」

大事なのはそれを伝えようとする、その心意気なのだから。





白石蔵ノ介の本質





「…ほれ千歳、さっきの時間のノートや。えぇ加減、起きぃ?」

小石川が綺麗にまとめられたノートを丸め、ぽんっとでっかい図体を机と一体化させとった千歳の頭に落とす。


「…なんねーもう三時間目、終わったと?」
「ドアホウ!もう四時間目も終わったわ!もう昼休みや、昼休み!」


すぱーん!と今度は風を割くような小気味のいい音が教室に響いた。小石川って普段他の連中に隠れているから気付かれ難いけど、案外ツッコミ体質なんだよな、うん。

それによってようやく少しは覚醒したのか、千歳は上体を起こした。途端、ぬっと俺たちより十cm以上大きな身体が目の前に出てくる。その身長故に一番後ろの席にされているが、こんなでかい図体が蹲っていたら、教壇の上に立つ先生方からは居眠りしていることも、丸わかりだろうに。

“いい子”を演じていたとは言え、俺も小石川も根っからの優等生タイプだから。授業中に寝る、なんて経験はないし。そんなことをするなんて、信じられない。大体、公立とは言え高校だぞ?ここは。授業料払って勉強しているのに、どうしてそのお金を無駄にするようなことができるだろうか。否、できない。絶対にできない。

そんな信じられない行動を取っている千歳に、毎時間律儀にも小石川は自分が取ったノートを貸してやる。こいつはそのノートのコピーが、テスト前になるといい値で売れるってことを、知っているのだろうか。まぁ、友情の前に金の話なんて持ち出したらいかんよな、うん。


「んー…いつもすまんとね、小石川。それと、白石も」


丸まったままのノートを受け取り、間延びした声で礼を言う千歳。ノートは小石川の方が綺麗に取るから、小石川が担当。俺は移動教室とかの前に叩き起こしたり、机やカバン漁って提出物を代わりに出したりするのが、担当。



「ほな、昼飯行くで」

「今日は忍足、何買ってきてくれちょるんかねー楽しみばい」



因みに、千歳が弁当を忘れた日に購買まで走るのは忍足の担当で。忘れ物したときに貸してやるのは、小春とユウジが担当…財前くんは、特になし。

どうして俺たちがここまで、千歳のために動いているのか、と言うと。



「そ・れ・で!できたの?千歳くん。渡邊先生へのお・く・り・も・の」



そう、もうすぐ二人が付き合って丸一年、ということで。
記念に何か手作りのものを贈りたい。そう千歳は思ったとのことで。



「んー…もうちょっと、ばい…」



学校から帰って、それを作るべく工房を営む親父さんの知り合いの元へ通う毎日。

最初のうちは俺たちに何も言わずにそれを続けていたのだが、流石に無理が集ったのか。授業中は今日のように机につっぷせ。弁当は忘れるわ教科書は忘れるわで、散々な姿を晒してくれて。



『…皆には迷惑、かけとうなかったとよ』



不調の理由を問い正せば、バツが悪そうに呟いた千歳の言葉に。そして以前結構な額をご馳走してくれた渡邊先生のために。

俺たちはそれぞれができることをして、千歳のバックアップをしようと、決めたのだ。




「で、二人が付き合い始めた日って、いつやねん」



毎日同じモンを飲んでいて飽きないのか、と聞きたくなるのだが。今日もいつもの如くパックジュース…と見せかけた青汁を啜った忍足が、弁当の代金を受け取りながら、千歳に問いかける。

途端、千歳の表情がかげる。あれ?ここはもっと、よくぞ聞いてくれた!とでも言わんばかりの勢いで、飛びついてくると、思ったのに。



「…来週の木曜日ったい」



そうぽつりと零すと、忍足が買って来た弁当(今日は親子丼やな)をちまちまと、食べ始める。そんな寂しそうな顔して食べていたら、せっかくの弁当の味だって分からないだろうに。

見ていると箸を握る手にもそんなに力が入らないのか。先ほどから何度も鶏肉を掴もうとしては失敗している。何度も何度もぼろぼろと…段々それが、俺の苛々を呼び出していって。



「あぁもう!これ使えや!!」


思わず自分の弁当と一緒に入っていたスプーンを千歳に差し出してしまった。

一瞬ぽかんとした表情を見せながらも、それを受け取り力なく笑顔をつくる千歳に、また苛々が湧いてくる。



「ちゅーか。自分そない時間かけて、一体何あげるつもりなんや…別に、興味あるわけちゃうけど」



また声を荒らげてしまいそうになる俺より早く、財前くんの静かな声が響いた。
言われてみれば確かに、千歳がこんな疲れるまで必死になって作っている贈り物が何なのか、俺たちは知らない。

興味がないと言いながら財前くんも千歳のことを、気にはしているようだ。





「…手作りの、指輪…ばってん、そぎゃんもん貰うても重か…よね」



その問いかけに、視線をさ迷わせてから、力なく持っていた親子丼とスプーンを地面に置くと。

弱々しい笑みを浮かべた千歳は、歯切れ悪い声で。
誰に言うでもなく自分に言い聞かせるように、言葉を放った。


あまりにもその姿が悲しそうで、悲しそうで。数日前に喜々として俺たちに渡邊先生との思い出を語っていた姿からは、遠くかけ離れていて。そんな千歳をこれ以上、見ていられなくて…否、見ていたく、なくて。

なぜそんなことを言ったのか聞いてみると。昨日、クラスの女子が恋人から指輪を贈られたそうだ。しかし、その相手と付き合い始めてまだ一年と経たない彼女にとって、それは重荷でしかなく。自分を縛りつけている鎖にも思えるのだと、今朝、千歳の隣の席に座る友人に、零していたそうで。

それをうっかり千歳は、聞いてしまったようで。




「…貰うても困ってしまうもんあげても…仕方なかよ…他のもん、考えんと…」



もう一度、力なく笑う。

そんな姿を見たくて、俺たちは彼のバックアップをしようと思ったのではないのに。そんな姿を、渡邊先生だって見たいと、思っているわけないのに。


それを伝えたいのに、上手い言葉が浮かばない。いくら成績がよくても、こういう時に友達を励ます…というか、力づけるという経験が乏しい俺は、どう振舞っていいのか、わからない。


隣を見ると、小石川もどうしていいのか分からないようで、ただ眉間に皺を寄せるだけだった。



「えぇ?千歳くん。指輪はこう…完全な円でしょう?」



このまま続くと思われた沈黙を破ったのは、小春の優しい声。

彼は自分の親指と人差し指をくっつけて、丸をつくってみせて。それを見て頷く千歳を確認してから。また口を開く。


「指輪には終わりがないやろう?それはな、二人の愛に終わりがないようにっちゅー意味があるんやで?」



円って、ずっと続いとるやろ?

そう言い千歳の手でも同じように、円を作らせてみせる。小春のそれよりも少し大きいが、確かに終わりなく続く、綺麗な円ができた。


「終わりが…ない」

「そりゃな、その子はそないな相手の気持ち、重いて思うてもうたかもしれん。せやけど、渡邊先生がそうとは、限らんやろう?千歳くんやったら先生から指輪貰うて、重いなんて思うん?…相手が自分のこと想うとってくれる気持ちがずっと続くってことが、重いて、嫌やって、思うん?」

「…そぎゃんこつ、なか。寧ろ、嬉しい」



小春によって作られたその円に、千歳は自分がつくっている指輪を、一番大好きな相手に贈るプレゼントを重ねていることは、明らか。

小春はそんな千歳に慈愛に満ちた眼差しを向けて。もう一度、ゆっくりと言葉を紡ぐ。



「なら、大丈夫よ。きっと千歳くんの気持ちは、渡邊先生だってわかってるし。渡邊先生かて千歳くんと同じ気持ちでおるよ」



その言葉には、妙な説得力があった。

それはきっと、小春がそうだと信じているからであろう。自分が信じていることを、自信をもって伝えようとしているんだから、その気持ちが伝わらないわけがない。

それでもどこか吹っ切れないように、大きな自分の掌を見つめている千歳の背中を、押すように。
今の俺でも言える言葉を、伝えられる気持ちを、声に出す。



「えぇか!何が何でも、ちゃんと完成させるんやで!そんで、ちゃんと渡邊先生にそれ、渡すんやで!それまで俺らがちゃんと、サポートしたるからな!…自分の気持ちも一緒にちゃんと、渡邊先生に渡して来るんやで!わかったか!」



俺の声に他の皆も頷いたのを見て、ようやく千歳は笑った。
そんな友達をみて、俺たちも笑った。







「ちゅーか白石、自分ヤケに千歳に甘いやんけ。普段やったら「そないなことくらい、自分でやれ!」とか言うとるやろ…まぁ、何となくやけど千歳は構いたなる、キャラやけどな」



ようやく千歳が、俺の貸してやったスプーンを使って親子丼を食べ始めた頃。
この中で一番、人のことを鋭く見ているであろうユウジに、意外、とでも言いたげな表情で尋ねられる。

その言葉に自分でもそうだったなと、驚きながら。頭上に広がる青空を眺めながら、答えを探して。


確かにユウジの言う通り、千歳は歳の割にはしっかりしているし、俺たちよりも大人びた面はある。なのにどうしてか、手を焼きたいと、構いたいと、思ってしまうわけで。そして今回は特に、それが強くて。いっそ通っているという工房まで、顔を出したいくらいの衝動があるわけで。


それは一体、何故なのだろうか。


必死に考えていると目の前に流れてきた雲の一つが、俺のよく知る人の顔に、見えた。
その人はここ数日、うちのキッチンで姉や母に教えられながら、お世辞にも上手いとは言えない料理に、精を出している人。千歳のように好きな相手の為に、頑張っている人。


あぁ、そうか。そういうわけか。



「……あいつ、うちの妹に似とんねんな…恋する乙女っちゅーんか?うちの妹も今な、好きになった奴の為に一生懸命、料理なんしとってなぁ…他人に思えへんねん…あぁでも!妹に恋人はまだ早い思うねん!やってあいつ、まだ中2やで?まだ「将来はお兄ちゃんと結婚するんや」って言うてもえぇ頃やろがぁ!」



導き出された答えは、それだった。


途端、背中に走ったのは鈍い痛み。目の前に広がったのは先ほどまで見えていた青空ではなく、灰色のコンクリート。



「両手と頭、地面にくっつけて今すぐ妹さんに謝れ。あないモジャと一緒にされるんも、自分の変な妄想に付き合わされるんも、可哀想やろが」

「…まぁ確かに、中2の妹に対してそない妄想押しつけるんは、ちょおなぁ…」



自分ではすっきり納得した答えは思い切り財前くんには蹴り飛ばされ、忍足には苦笑いを浮かべられてしまったが。

千歳にせよ妹にせよ、俺にとっては大切な相手で。そして出来る限り構いたい、手を掛けたいって、想ってしまう相手であって。

だけど二人とも、きっと大事に想える相手を見つけている。
そう、ずっと相手を想う気持ちが続くようにと、願える相手を…まぁ、妹にはそんな相手、まだ出来なくてもいいのだが。




俺にもいつか、そんな風に想える相手ができるのだろうか。
千歳と渡邊先生が互いを想うように、互いの為に何かしたいと、互いのことを想い続けたいと、そう想える相手が。


いくら勉強はできても、女の子に告白されたことはあっても、誰かをそんな風に想ったことなんて、俺にはない。そんな風に相手を想うって、そんな風に相手に想われるって、一体どんな気分なんだろうな。






顔を上げると、小石川たちがいた。その姿は俺を、酷く安心させてくれて。



確かに、千歳と渡邊先生みたいに、互いを想いやれる特別な、たった一人の存在も欲しいけれど。それはまだ、先でもいい。だってそれにはまだまだ、経験値不足だろうから。
それにまだ今は、特別な一人よりも彼ら皆と、一緒にいたい。




今はまだ恋愛よりも、この友情を大切にしたい。
心からそう思った。





それと。
千歳と渡邊先生の気持ちが、千歳の作っている指輪のように、終わりなく続くといいなって。
いや、ずっと二人の互いを想い合う気持ちは終わりなく続くんだろうなって。


俺たちの友情も、ずっと続いて。そんな二人を見ていきたいなって。



ご飯を口いっぱいに頬張り、米粒を口の周りについたままで笑う千歳を見て、思わずハンカチを伸ばしながら。



来週の金曜日には、きっと今以上の笑顔を見られるんだろうなって、思った。



そうしたら何だか、暖かい気持ちになれた。




そんな、冬の日。
最高にして最良の友達と出会えたこの学校に入学して、もうすぐ一年が経とうとしている、そんな日の出来事。




End.






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