「…そう言えば、こうやて二人で会うなん、夏休み以来やな」


はじまりは、二人きりだったのに。
いつの間にか俺たちの世界は、とても広くなっていた。




石田銀の安堵




「お邪魔しますっと…小石川の部屋行くんは、初めてやな」

「せやなぁ…ちゅーか、義父さん以外の人、入れること自体、初めてかも」

「マジか!うっわ、俺めっちゃレアキャラやん!」

「なんやねん、レアキャラて…」



玄関から楽しそうに笑う健二郎と、それから白石君の声が聞こえてくる。


「週末に、家に友達泊めても、えぇかな…その、一緒に勉強すんねん」と、言われた時には、表情には出さないようにはしたが、心底驚いた。名目は勉強をすることであれ、健二郎がこの家に友達を招くなんて、しかも泊めるだなんてことは、初めてだったから。


健二郎が中学生の頃に一度だけ、財前君がこの家を訪れたことはあった。しかしその時はリビングでもてなしはしていたが、それ以上奥へは…ワシですら滅多に入ることのない、彼の部屋にまでは入れていなかったから。

自室に招いたということからも、自分のテリトリーに入れることを許したことからも、健二郎が白石君に対して心を開いていることが、よくわかった。

それがとても、嬉しかった。
健二郎にそんな相手が出来たことが、自分のこと以上に嬉しかった。




健二郎は幼い頃から、我儘を言わない子どもだった。仕事が忙しかった為にそれほど長い時間を一緒に過ごせていたわけではないが。
たまに休みが取れた時に、どこかへ行きたいかと尋ねても、疲れのたまっているワシを気遣って「家でのんびりしたい」などと言う。
欲しいものはないのかと聞いても、今あるもので十分だからと「何もいらない」と言う。

そんな子どもだった。


手のかからない、物分かりの良い子。

そう言ってしまえばそれまでだろう。しかし、そこにあるのは遠慮でしかない。本当の親子ではないという、負い目から来る遠慮でしかないのだ。


それが分かっていながらも、ワシから健二郎に歩み寄るでもなかった。それなのに健二郎のことを本当の息子だと思っている、だなんて言う自分は卑怯で、そして臆病だったのだろう。


怖かったのだ。そう口にして、態度にして。健二郎が離れていってしまうことが。


お前なんか父親じゃないと、否定されてしまうことが。


怖かったのだ。



そんな健二郎を変えてくれたのは、白石君たちだと思う。健二郎の生い立ちを知ったうえでも、彼と友達でいたいと言ってくれた。彼としっかり向きってくれた。ワシには出来なかったことを、ワシには与えられなかったものを、白石君たちは全て、やってみせた。



健二郎が屋上から飛び降りたと聞いたときには、気が動転してしまい。一緒に落ちたという白石君のことを、何故止めてくれなかったのだと、どうして健二郎を助けてくれなかったのだと、恨みさえした。

しかし、あの事件があったからこそ。今のワシたちがあるのだ。

あの事件があったからこそ。今ワシたちは名実ともに、本当の家族になれたのだ。



本当に、いくら感謝しても、し足りない。



リビングで新聞を読む振りをして玄関の方から聞こえてくる、弾むような二つの声を聞きながら。小さく頭を下げた。



「あ、石田さん。お世話になります」

「白石君か。何も持て成せんが、ゆっくりしていってくれ」

「ありがとうございます」



下げた頭をちょうど上げた時、リビングの扉からひょこっと、白石君が顔を覗かせて。ワシがしていたように小さく頭を下げる。その表情はワシのものとは違い、とても晴れやかな笑顔だったのだけれども。



「ほな、俺ら部屋におるで」

「あぁ、夕食の時間になったら呼ぶさかい、下りてきなさい」

「ん。わかった」



その間にキッチンから用意してあった飲み物や菓子を持ってきた健二郎に連れられて。もう一度ぺこりと頭を下げてから白石君は、二階へと…健二郎の部屋へと進んで行った。

それを見送ってからソファーに身を沈め。ゆっくりと、目を閉じる。段々と小さくなる足音が、気持ち良かった。



本当に、健二郎はいい友達に巡り会う事が出来た、と。
あの子たちと一緒ならきっと幸せになれるだろう、と。



奇妙なことだが強い確信を、もちながら。




***




義父さんがそんなことを思っていたなんて、ちっとも知らずに。

部屋に入ってからずっと、何だかそわそわと落ち着きのない白石に、キッチンから持って来たジュースを渡す。おおきにと言うその顔は、いつもと変わらないくせに。白石はまだどこか上の空というか、何と言うか…兎に角、落ち着きがない。そして挙動不審だ。俺が警察官だったのなら、思わず職務質問をしたくなるくらいに。


俺の方をじっと見たかと思えば、急にその目を逸らして。きょろきょろと部屋の中を見渡したかと思ったら。無駄にちびちびと、ジュースを口に含んだり、手にした菓子の包み紙で、鶴を折りだしたり。
その目が向いた方を見てみるも、あるのは壁や本棚ばかり。


自分のテリトリーであるこの部屋は、俺にとってはとても心地いいものなのだが、白石にとっては、そうではないのだろうか。



「…そない珍しいもんでも、あるんか?」

「べ、別にそない訳ちゃうけど!ちゃうけど…な」



あまりの挙動不審さに、そしてちょっとの不安から思わず出てしまった声。


それに対して少しバツが悪そうに。笑うなよ、と前置きしてから紡がれた言葉。



「…俺な、一人でこうやって、友達ん家来たの、はじめてやねん。そりゃ、財前くんちとか小春んちには、行ったけどな。あん時はみんなでーやったやん?やから…ちょお、緊張してもうたわ」




顔を少し赤らめて笑う白石に、俺かて友達と部屋で二人きりとか、はじめてやって、言いたかったけど。俺だって今、ここが自分の部屋やなかったらとっくに緊張でどうにかなっとるよって、自分と同じやよって、伝えたかったけど。


その言葉は喉に貼り付いたまま、彼に届けることは出来なかった。



だってそんなこと言うのも、気恥ずかしかったし。
何より言葉にしなくても、白石にだったら伝わっているような。そんな気がしたから。


なんて、俺の独りよがりなのかもしれない。だけどそれでも、いいじゃないか。



それでもいいじゃないかって思える。そんな相手ができただけで、十分だ。

そう思えるような自分になれただけで、十分じゃないか。



相変わらず白石は、目の前で挙動不審な行動を取り続けている。俺はそんな様子を、ただ眺めている。

一応勉強会をするということで招いたというのに、一向に勉強道具は広げられる様子もない。かと言って何か、会話をするでもない。ただただ時間だけが、流れていく。ゆっくりと空気だけが、動いている。


だけどそんな時間も空間も、決して苦じゃなかった。
自分のテリトリーであるこの場所に、「白石」という他人が入り込んでいるというのに、それに対する不快感も全くなかった。




「小石川で、よかったわ。ホンマの俺に、初めて気付いてくれたんが小石川で、ホンマによかったわ」



暫くそうやって、何をするでもなく時間を費やして。
ようやく緊張が解けたのか、それとも限界を突破してしまったのかは分からない。


だけどいつも見せることがないような、穏やかな表情で白石が紡いだ言葉。
それが俺にとってどんなに嬉しい言葉だったかなんて。きっと彼は気付いていない。いや、気付かなくてもいい。



「…俺も。俺が抱えとったもんを見てくれたんが白石で、よかった気ぃするわ」

「なんやねん、気ぃするて!そこはよかった!でえぇやろ」

「……じゃあ、そういうことで」

「じゃあは余計や、じゃあは!」


そんな感情を読み取られないように、一回大きく、息を吸ってから。わざと斜めから発した言葉。
それを白石は真正面から受け止めて。真っ直ぐに言葉を返してきて。


そして二人で、笑い合う。


それは厭味も含むものも隠すことも何もない、腹の底から出せる、笑い声だった。



こんな風に笑えるようになったのは、つい最近のこと。
白石に出会って、どんどんと俺の世界が広がっていって。その世界の人たちが俺のことをちゃんと、受け止めてくれたから、出来るようになったこと。



「…ほんま、おおきにやで」



小さく呟いた言葉も、いつかちゃんと届けられればいいな。
そうなれるまで皆と、一緒にいたいな。




***




二階から響いてくる笑い声。思えばこんな声を聞けるようになったのは、つい最近のこと。健二郎を引き取ってからもう、五年以上経つというのに、本当に最近のこと。


引き取ったばかりの健二郎は、まだ十にもならないというのに、ちっとも笑わない子だった。それを可愛げがないと、嫌そうに言う人もいた。

しかし、ワシの記憶が正しければあいつと…彼の「家族」と一緒にいた頃の健二郎は、よく笑う子だった。屈託のない笑みのまま、ワシのような仏頂面を浮かべた人間の方にも、物怖じせずに駆けよってくる。そんな子どもだったのに。


その笑顔も家族も、奪ってしまったのはワシたちだ。自分たちの思いこみだけで、彼の幸せを決めつけていたのは、ワシたち大人なのだ。


そしてその笑顔と、家族ではないがそれに劣らない程の友情を与えてくれたのは。そして彼にとっての本当の幸せを、健二郎と一緒に見つけてくれたのは。


紛うことなく、白石君たち。




「ほんまに、ありがとう」



いつかこの言葉を、彼らに届けられる日が来るのだろうか。
その時を過ぎても彼らが一緒にいる未来が広がっていることを。



切に、願う。



先ほどもった強い確信を、更に強くしてくれる笑い声を聞きながら。ひっそり手なんて合わせてみたが。
この笑い声が聞こえている限りは、ワシがそんなことを祈る必要もないと、思った。




さぁ、夕食の準備をしよう。

いつもと大して変わらないものしか、並べることはできないが。
それでもきっと、健二郎はいつも以上に美味しそうに、食べてくれるだろうから。


止むことなく響いてくる笑い声を噛みしめるように聴きながら、ゆっくりと立ち上がった。




End.






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