「…もうちょっとしたら、ちゃんと気持ちの整理が出来たら、言うから」


だからもう少し、待っていて。

あなたたちだけには必ず、伝えるから。





財前光の黙秘





「ひっかるー見舞いに来たったでぇ」

「どないな塩梅や?もうそろそろ、動けるようになるんか?」



あの財前光が、病気やら怪我やらとはこの三人の中で一番縁遠いと思っていた光が、入院した。


理由は簡単。
めっちゃ苦労して入った高校の入学式に向かう途中、車にはねられたからだ…正確には、はねられそうになった子どもを庇って怪我をした、のだが。

幸いにも走行中の乗用車にぶつかったと言うのに、衝突した側である右足を骨折、右肩も脱臼したが他は擦り傷を数か所負っただけで。庇った子どもも膝を擦りむいた程度。乗用車のドライバーも無傷だったと言うのだから、財前光という人物の悪運の強さというか何というか…兎に角そういったものの強さを、感じてしまう。


光が入院したその日から、毎日続けられているせいか病院通いも。俺と小春にとっては、もう日課のようになってしまっていた。
すっかり馴れた手付きで面会簿に記名を済ませると、顔見知りになった看護師さんらと挨拶を交わしながら。向かったのは無機質な扉が閉ざされた、一つの部屋。



「…まだ動かしたらあかんねんて。ちゅーか医者に、ホンマに高校生かーちっこいなーて、また言われた」



それを開くと高校生が入院するには豪華過ぎるんじゃないか?と思うような広さの個室が現れる。その窓際に据えられた、一般病室のものよりも大き目のベッド。その上でがっちりと固定された足を吊られ、むすっとした表情を浮かべる小さな光。その顔にあった大きな擦り傷は、もう綺麗に消えていた。
ベッドサイドに置かれた花瓶には今日も、綺麗な花が生けられて。サイドテーブルには彼の好物である和菓子が山のように積まれている。親父さんが仕事の合間を見つくろって見舞いに来たんだろうなって、容易に想像できる光景。


光が事故に遭ったと聞き、入学式だけ参加して病院に駆け付けた俺たちが見たのは、ベッドの上に今と同じような状態で乗っかっている光を、ぎゅーぎゅーと抱き締める親父さんの姿で。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。こいつがその父親に愛されていることは、火を見るよりも明らか。
痛いと言いながらもそれを拒まない光も、親父さんのことが好きで好きで仕方ないって顔、していた。


そんな息子を溺愛している父親の、愛情の示し方の一つがこの病室なのだろう。何だかんだ言ってボンボンである光の自室よりは狭いが、この病院内でもいい方の部類に入るのであろうこの部屋に、光は入院当初から早いものでもう、一月は滞在している。一体個室代だけで、一日いくらかかっているのだろう…見当もつかない。


そんな部屋の、すっかり主と化してしまった俺たちの幼馴染に、今日あった授業のノート(小春のノートな)のコピーや配布されたプリントを渡してやるが、すぐにサイドテーブルに置いてしまう。
毎度繰り返されるその光景に、どうせ一人で勉強なんてしないのだろうと確信を深める。あとで小春が教えることになるのは、必至だ…俺も一緒に、教えてもらおうっと。






「それにしても、あんたが子ども庇うなん、どういう風の吹き回しなん?」



学校にこんな奴がいた、だの。明日からリハビリが始まるだ、だの。いつものようにベッドサイドに置かれた椅子に座り、ベッド上の光と会話を交わしている中。
ふと、思いついたというように小春が言う。小春の言葉にもっともだ、と思った俺は同意を示すべく、頷いた。


すると。それまでは楽しそうに会話に参加していた光の表情が、急に曇る。

あの顔は何か言いたくないことがある時の顔だ。こうなったら力に訴えるという手段を(小春が)取らない限り、口を割らない。長年の付き合いが俺に、そう言っていた。
小春もそれに気付いたのだろう、こちらを向くと、肩を竦めてみせる。それから二人、顔を見合わせて頷いて。




「…まぁ、あんただってえぇこと、出来るっちゅーことやね…せやけどもう、怪我なんてしたらアカンよ。もう心配なん、掛けるんやないよ」

「せやで。いっくら人助けやからって、自分が怪我してどないすんねん。今回は骨折ったくらいやったけど…もっとデカイ怪我やったかもしれんのやからな。気ぃ付けぇや」



それ以上、そのことを追求することなく。小春と俺は光を中心に、ベッドに腰を下ろすと、ゆっくりとその頭を撫でてやった。
こうすると人見知りの激しいこいつが、気を楽に出来ることを知っているから。何度も何度も、頭の上で二つの掌が動くうちに、光の表情は少しずつだが、柔らかいものに変わっていった。





昔はここまで、頑なじゃなかったのに、と思うことがある。
出会った頃の光はもっと、素直というか何というか…もっと明るかったし、俺たち以外の友達とも遊んだりしていた。

それが変わったのは…多分、否絶対に、八年前のあの日だ。

光の母親が、こいつのことを置いて出て行った、あの日なんだ。


それまで見たことがないくらいに泣いて、叫んで。見ているこちらが痛いくらいに、自分を傷つけて。

そして人を、信じようとしなくなった。一度でも嘘を吐いた人間とは、付き合わないようになった。


そんな光を見て、それじゃあいけないって、分かっているのだけれども。あんな思いもう、させたくないって思って。言葉にはしたことが一度もないけれども、小春もそう、思っているはずで。

それから俺たちは、三人で行動することが多くなっていた。中学に入ってから光にも、小石や他にも何人か親しい人間は出来ていたが、それでも俺たち以上に信用することは、なかった。



ゆっくりと、ワックスが塗られていない為にさらさらと触感のいい黒髪を、撫で続ける。

真っ白な壁を大きく切り抜いた窓から差し込む光は、段々とその赤みを増していった。



「…言えるわけ、ないやん。俺に弟がおったなんて、いくら小春ちゃんとユウ君やって、驚くに決まっとるし…その弟を庇ったなん、俺がいっちゃん、信じられへんもん…せやけどいつかちゃんと言うから…待っとって」



もうそろそろ夕飯の時間だからと、すっかりいつもの調子を取り戻したかのように見えた光から離れた瞬間。

小さく呟かれた言葉は、帰り支度を始めていた俺たちには届かなかった。






光が庇った子どもが、光を置いて出て行った母親が再婚相手との間に産んだ子で…つまりは光の、異父弟だってことを、俺たちが知ったのは、彼が退院する直前のこと。
ゆっくりと言葉を選びながら、感情を整理するように。だけど真っ直ぐ俺たちを見ながら光が、語ってくれた真実。

入学式に向かう途中遭遇した、真新しいランドセルを背負って歩くその子どもと、その手を引く自分の母親の姿。それを見ただけで光は全てを、察知してしまったそうだ。
子どもが飛んできた蝶に気を取られ、母親の手を振り払い飛び出した車道。


気が付けばそれを、追っていた。
気が付けばその子を、抱き締めていた。

それだけのことだと、笑って言う光は。八年前に母親が出て行った時と、同じ目をしていた。
その目を見た瞬間、何で一緒に学校へ行かなかったのだろうと、俺は死ぬほど後悔した。


そしてこれは後から病棟にいた看護師さんらから聞いた話だが。
光の母親と弟は事故の直後、見舞いに訪れていたそうだが。病室に入る前に親父さんから今更何をしに来たのだと、これ以上光を苦しめるなと、怒鳴り散らされ、帰されてしまったらしい。
それを光が見ていたのかどうかは、分からないけれども。出来れば見ていなかったらいいな、と思う。


そしてそんな親父さんを宥めたのが、光が入院していた病棟の主任ナース。俺たちもよく知るベテランナースである彼女と光の親父さんが、再婚を考える仲にまでなっていたことを俺たちが知ったのは、光が家出騒動を起こしたときのこと。実際光自身も、退院してから知ったそうなんだがな。




何があるか全くと言っていいほど分からない。だから人生は面白いんだ、なんて誰かが言っていたけれども。だけどそう簡単に割り切れないものだってあると、俺は思う。
割り切れないものだってあっていいと、俺は思うんだ。


それをどうするかなんて、その人次第なんだから。






「ほな、今日はもう帰るで」

「ちゃんと夕飯、残さずに食べるんよ。でないと大きくなれへんからね」

「余計なお世話やー…ちゃんと、背かて伸びるもん」

「どうだかな。好き嫌いばっかしとると、一生そのまんまかも、しれへんで。ほなな」



カバンを背負って、ひらひらと手を振りながら並んで部屋を後にする。扉に辿り着くまでは、ベッドから動けない光の顔を、しっかりと見ていて。



「小春ちゃん、ユウ君」



この部屋と外とを繋ぐ場所。
そこで彼に背中を向けた瞬間、掛けられた言葉。



「…明日も、来てくれる?」



ホンマに人生ってもんは、どこでどう転ぶのかわからない。
だけど、一つだけ言えることが、ある。


「「当たり前やろ」」



俺たち三人の絆はそう簡単に、消えない。
それだけは胸を張って言える。


これから先、何があっても。絶対に。




笑顔を向けてもう一度、またな、と言ってやると。ベッドの上の光は、ちょっとだけ笑った。


それがこいつが一番嬉しい時に見せる顔だって知っている人間が、もっと増えればいいのに。こいつの世界がもっと広がればいいのに。心を許せる人間が、もっと増えればいいのに。


その願いが近い内に叶うことも。そしてそれにちょっとだけ寂しいなんて思ってしまうことも。
この時の俺は、知らなかった。

そんな、春の日の出来事。




End.





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