「せんせー、ちょっち話があっと」



そう言い駆け寄ってくる転入生は、気付けば俺に懐いていて。



そして気付けば彼から目が、離せなくなっていました。







渡邊オサムの驚愕







職員室にいても、古参の教師からあれやこれやと雑用を押し付けられ。
自分が担任する教室にいても、夏休みが終わり本格的に受験に向かい始めたこの時期、ぴりぴりした雰囲気を放つ生徒たちを刺激しないよう、気を遣うのが目に見えていて。

やっと辿り着いた安息の場所…顧問を務めているテニス部の部室で、一人新聞を読んでいると。開け放たれていた窓からにゅっと、巨体が覗く。
その顔は身体に似合わず、まだ幼さを若干残していて。



「なんや、千歳?…取り敢えずそないなとこおらんで、入って来ぃや」



そう言って中へ招いてやると、破顔した彼…千歳千里は、お邪魔しますと小さく断りながら、部室の中へと入って来た。

それは最近、見慣れた光景。最近、日常になりつつある光景。


部員でもなければOBでもない、千歳がこの部室にいるのは、何か変な感じもするが。それも最初のうちだけで。こう毎日のように訪れられては、その違和感も消える。今では全く顔を出さなくなったOBたちよりも、この場に馴染んでいるようにも感じられた。



さて、その千歳は話がある、と前置きして入って来ると言うのに。入ったら入ったで何をするでもなく、俺の目の前に、ただ座っているだけ。時折自分が座っている椅子を前後に動かしてみたり、座ったままの体勢で伸びをしてみたりとするが、それ以外はぼんやりとこちらを見ているか、何か言おうと口を開いて、すぐに噤んでしまうだけ。

そんな様子にもすっかり慣れた俺は、今日もどうせいつもと変わらないのだろうと、新聞に目を落としたままでいると。




「ねぇせんせー、ちょっと」


その新聞をひょいと、取り上げられる。目の前には、真剣な顔をした千歳が定位置に座っていて。違うことはその顔がしっかりとこちらに向けられていること、彼が開いた口を噤まないこと。

そんな様子に、今日はちゃんと話をする気があるのかと、ちょっと意外に思いながら。教師をやっている人間としては、担任でも顧問でもない俺に相談事(多分、そうだろう)をもちかけてくれるってことに、そこまで俺を信用してくれているってことに、ちょっとだけど、優越感のようなものをもってしまう。
子どもたちに慕われる先生、なんて。理想の教師像に一歩近づけた気がする。



「なんや千歳。言うてみ?」



だがそんな優越感は、瞬時に砕け散ることになった。









「俺、せんせーのこつ、好きになってもよかですか?」






「……は?」



それは勿論、Like的な意味でだよな?



予想だにしなかった発言に、そう喉まで出かかった言葉は、目の前にいる千歳があんまりにも真剣な目を向けて来るものだから。

そのまま空気に消えた。




「ねぇせんせー、せんせーのこつ、好きになってしもた。ばってん、付き合うてください」

「いけません!」



だがしかし。許しちゃいけないものがある。



思わず即答してしまったことに一瞬ハッとなるが、俺は間違ってはいない。



「大体!自分も男で俺も男、その上俺先生で自分生徒、問題大アリやろが!」



そりゃ、恋愛は個人の自由だし、性癖は人それぞれだと思う。


しかし、しかしだ。


俺は男で千歳も男。うん、性別って大切だよな、やっぱり。それに加えて俺教師で千歳は生徒。生徒に手なんて出した時点で、俺クビ確定。しかも生徒への猥褻行為で逮捕なんてことになったら、再就職だって危うい。人生そのモンが潰れてしまう可能性だって、否めない。あー在り得ない在り得ない。


ここまできっぱりと否定してしまって。千歳には悪いことをしたな、とか。これが切欠になってまた学校に来ないようになってしまったら、それはそれで困るな、なんて。自分の保身のことばかりを考えている俺に。



「だったら!俺が女の子でせんせーと同じくらいのおねーさんだったら、好きになってくれたと!?」

「そんなん、千歳ちゃうやろが」



なおも馬鹿げたことを言って食い付いてくる千歳に、思ったままのことをぶつける。

するとどうしたことだろうか、これだけ自分の言うことを否定されているというのに、満足そうに微笑んで。



「やっぱりせんせーのこつ、好きになってよかったばい」



本当に幸せそうに言うのだ。
全く、最近の子どもの考えることは、わからない。






この時はまだ、こんなにもこいつのことを好きになるだなんて。
こんなにも大切な相手になるだなんて。


ちっとも思っていなかったわけで。




「ホンマ、勘弁したってや…」

「せんせー、好き。どぎゃんしたら、わかってくれっと?」

「どぎゃんしても、わかりません!」



ただ毎日飽きることなく繰り返されるラブコールを、上手く避けることで精一杯だった。


在り得ないと、迷惑だとさえ思っていたというのに。それでも懲りずにやって来る彼を部屋の中へと通してしまっている時点でもう、俺だって彼に惹かれていたんだって。今だったらわかるのだが。





俺がそれに気付くことは、もう少し先の話。



「ほなこつ、好いとぉよ…オサムちゃん」



千歳からの呼び方が、先生から名前に変わる頃の話。




End.






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