とぼけないで、まっすぐこっちを向いて。
だけどそんな顔、他の人には見せないで。





拝啓、王子様




ある日の放課後の会議室。
先ほどから一向に進展する気配を見せずに、同じような論議を繰り返しているベテラン教師たちの声を、右から左へと聞き流しながら。渡邊は暖かな日差しに誘われるように、自分のすぐ横にある窓から外を眺める。

二階に位置するこの部屋からは、グラウンド全体を一望することは叶わないが。それでも部活動に勤しんでいる生徒たちの様子は、とてもよく見える。
そしてグラウンドよりも近い場所にあるテニスコートを走り回る、自らの教え子たちの様子は尚のこと。部長である白石の指示の元、きびきびと動き回っている姿が、目に入った。


と、その中に足りない人物がいることに、気付いてしまう。この春に転入してきたばかりの生徒…千歳千里の姿が、コートの中にはなかった。


彼が授業をサボりがちであることは、度々職員会議の中でも話題に挙がっていたが、部活をサボるなんてことはなかったというのに。


ひょっとしたら、何か事件にでも巻き込まれてしまったのではないか。とか。どこかで行き倒れているのではないか。とか。その理由を考え出したら際限なく飛び出してきて。



ぐるぐると渦巻く不安と戦う中、ふと視線をずらすと。テニスコートとは反対の場所に大きな塊が一つ。



「ほんなら今日はこの辺りで…あとは各先生方で、ご指導よろしくお願いしますわ」



進行を務めていた教頭の声に合わせ、他の職員が立ちあがるとすぐに、渡邊はその塊目掛けて、走り出した。後ろで指導主事の女教諭が廊下走ったらアカンでしょ!と怒鳴ったていたが。聞こえないフリをして。






「…やっぱり自分やったか…何やっとんねん、こないな場所で…」



こんなに走ったのは、一体いつ以来だろうか。すっかり上がってしまった息を落ち着かせながら。先ほど見つけた塊…もとい、千歳に向かって言い放つ。
その大きな身体を丸めて、木漏れ日の下、すっかり眠りこけているそこ顔は、どことなくだが幸せそうで。起こすことを躊躇してしまったが。



「おーい、起きろやーもう部活の時間やでー」

「…んー…」



このまま寝かせておくわけにもいかずにその身体を、揺さぶってやる。すると鼻にかかったような、甘えるような声がして。起きることを拒むかのようにいやいやと頭を振り、ますます身体を小さく丸めてしまったその姿は、まるで幼子のよう。

一瞬、一瞬だが可愛らしいと、思ってしまって。このままその姿を眺めていたいなんて、思ってしまって。
渡邊はそんな雑念を払うように、ぶんぶんと頭を振るともう一度、千歳の肩を強く掴むと揺さぶった。



「ほれ、起きろー部活や部活!」

「ん…?おさむ、ちゃん?」



目をこすりながらまだ覚醒しきっていないのか。焦点の合わない瞳を擦りながらこちらに向け、舌っ足らずな様子で自分の名前を呼んだ千歳に、おはようさん、と微笑んでやって。釣られるようにおはようと、微笑み返してきた教え子の身体を、思わず抱きよせたくなる衝動を、必死に抑える。

そんなところ、誰かに見られたら大変なことだろうし。そもそも相手に…千歳に不信感を抱かせてしまったり、嫌われてしまったりしたら、元も子もない。



「オサムちゃん、迎えに来てくれたと?」


ありがとう、と。覚醒しているのかいないのか分からない、柔らかいトーンで紡ぎ。一緒にコートまで行こうと、満面の笑みと一緒に手を差し出してくる。
これを自然にやってしまっているのだから、性質が悪い。


いつの間にか歳甲斐もなく芽生えていたこの想いを、成就させるつもりもなければ伝えるつもりもない。こちらの気持ちに気付いて欲しいだなんて、望みもしない。何年かしたらこんなこともあったと、一人酒の肴に出来れば十分だと思っている。

こんなことをされたら…別に千歳にとって渡邊自身だけが特別でもなくて、誰にだってきっとその笑顔を見せて、手を差し出しているなんてこと、分かっているのに。


期待してしまうじゃないか。勘違いしてしまうじゃないか。



「…そういうこと、あんま簡単に、やったらアカンやろうが…」



もうちょっと自覚しろと、差し出された手をしっかりと握ってから言っても説得力なんてないだろうが。小さくぼやくように渡邊が言うと不思議そうに、千歳は首を傾ける。そんな仕草を見てすっかり朱に染まってしまった顔を隠すように、空いている方の手で帽子をずり下げると。早く早くと、手を引かれた。身体は大きくても、こういったところはまだまだ子どもだなと、渡邊は思って。ひょっとしたら自分な千歳のそんなところに、惹かれているのかもしれないとも、思った。



繋いだ手を引かれながら走り出した足は、先ほどまでの疾走の疲れが抜けきっていないのか、膝がガタガタ言っているが、そんなことを気にしていられない。若い力に着いて行こうと、勢いに任せて足を動かす。
この手が離されずにいればいいのにと、思ってしまう。



「オサムちゃん、しんどいやったら、もっとゆっくり走っと?」


ふと、ずっと前を向いていたくせに渡邊の方を振り返って、一つも息を乱さずにそんな言葉を、笑顔で言ってしまう教え子に。
不覚にもまた、ときめいてしまって。


足がもつれそうになるのを、真っ赤染まった顔を、悟られないようにと。



「ド阿呆!まだまだ現役や!」



強がる言葉を吐くと今後は逆に、千歳の手を引いて彼より前を走り出した。


そんな自分を見て、千歳が楽しそうに口角を上げているだなんて、渡邊は知らない。先ほどよりも数段スピードが下がっていることにも気付かないくらいに、必死に足を動かしている。


そしてこれから先も、まだまだこんな千歳に振り回される日が続くなんてことを、知る由もなく。

そんな日々を幸せだと感じてしまう未来の自分の姿も、まだ見えていない。



End.





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