久しぶりに降り立った大阪の地は、この街を出た時から数年経っているというのに。

相変わらず騒がしく、だがどこか暖かく、俺を迎え入れてくれた。





Distance





たった一年しか通わなかった…実際にこの道を通った数はもっと少ない、そんな母校への道をしっかりと覚えている自分に、少し驚きながら。見渡せば大分変わった風景。だけどどこか懐かしい匂いのする道。この角を曲れば、あの公園では、あの坂の上には、そんなことばかり考えながら、歩く道。


すぐそこに、ここを一緒に歩いた人たちがいるような気がした。
そんなこと、有り得ないのに。



最後の角を曲がると、目に飛び込んできたのは懐かしい学び舎。初めて見た時は本当にここが学校なのかと思った、当時とちっとも変わらない門構え。そこから見える景色は若干、色がくすんでいるようにも見えたが、これまでの行程の変化から考えればちっとも変わっていない。



校舎よりも多く通ったルートを、あの頃以上にゆっくり歩く。時々すれ違う生徒たちは部外者である俺に一瞬、目を顰めてみせるが。校風が為せる業なのか、すぐに俺を笑わせようと、アクションを起こす。

そんな後輩たちに笑顔を向けながら。たった一つ、目指す場所へと歩を進めた。



毎日飽きることなく聞いていた、心地よいインパクト音と地面を蹴る音が響く。ポイントが決まったのか、幼い歓声が上がった。

黄色いボールを追いかけて、コートを必死に駆け回る後輩たちは、自分たちが現役だった頃よりも小柄に見える。だがその表情はきっと、俺たちとそんなに変わらない。


汗をかきながら、足がもつれるようになりながらも、必死にボールを追いかけるその表情は。
テニスが大好きだって、言っていたから。



そんな生徒たちを見守るあの人に、視線をゆっくりと動かす。
その人は俺の存在になんて、気が付いていないみたいだけれども。


少し、老けたなって、それが第一印象。

相変わらず寄り掛かるように、足を組みながら座ったベンチ。彼だけの特等席は、変わらない。
当時とファッションセンスもそんなに変わっていないみたいだけれども。くたびれたトレンチコートは、もっと上等なものに変わっていたし。トレードマークだったチューリップハットだって、今はない。


そんな彼がどんな顔をしているのかしっかりと見たくて、目を凝らして、じっと見つめる。
コートを挟んで反対側…10m以上離れた場所にいる、あの人を。

俺の存在になんてちっとも気付かずに、コートだけ意識がいっている、あの人を。



どんなに目を凝らしても。細めてみたり、逆に見開いたりしても、みたけれども。

それでもあの人がどんな顔をしているのかを知ることは、すっかり視力が落ちてしまったこの目では叶わなかった。


どんな顔をしてあの人が俺たちの…俺のことを見ていたのか、知りたかったのに。



きっと今の部長なのであろう、周りよりも少し背の高い子が号令をかける。

その声にコートを走り回っていた子どもたちは、それまで追いかけていたボールを大切そうに持つと、彼の元へと走っていって。
あの人もそこへ向かうべく、組んでいた足を解き立ち上がった。その立ち姿は俺が知っているものと変わりないと、思いたかった。



その時一瞬だけ、こちらにあの人が目を向けたとも。
一瞬だけでも俺と、目が合ったと。俺に気付いたあの人が嬉しそうに表情を和らげたと。
そしてそんなあの人に俺も笑顔で応えることが出来たと。



そう、思いたかった。




***




「おかえり。ちゃんと、会えたと?」
「ん。皆、相変わらずだったばい」



駅まで迎えに来てくれたミユキが、俺の腕を取る。そんな風にしなくてもまだ、ちゃんと見えているよ。苦笑交じりに言うとこの子は、泣きそうな顔をしてみせて。

そんな顔をさせるつもりじゃ、なかったのに。そう思いながら、少しでもこの子の不安を取り除けるようにと、大阪であったことを話してやった。

どんなに街並みが変わっていても、自分は道を間違えることなく目的地に着けたこと。街並みとは違ってかつての学び舎は、自分の記憶とそこまで変わっていなかったと。


そして。



「みんな楽しそうに、テニスしとったと。昔んこつ、よぅ思い出せた」



少なくとも自分の目には、そう見えたから。



それを伝えるとミユキは、少しだけ表情を戻して。兄ちゃん、よかったね。と、小さく笑ってくれた。



それから、家へと帰る道中。ずっと隣に座るミユキに、大阪でのことを聞かれて。俺はそれに答え続けた。

本当は誰一人として、当時の仲間とは顔を合わせていないどころか、その姿すら目に入れていないのに。まるで実際に会って会話を交わして来たかのような、振りをして。


俺が大阪で、実際に行った場所は学校に関係する場所だけ。学校までの道と、駅に向かう途中でよく寄った駄菓子屋、そこで買ったものを皆で並んで食べた公園に、部活のあともボールを追いかけた市営のテニスコート。そして、学校の敷地だけ。

そこで見たものは、彼女が想像している数よりも遥かに少ないだろうけれども。だけれども俺にとっては、とても大切なものたちで。



変わってしまったであろう、彼らの姿を見るよりも。
彼らと築いた思い出を振り返る方が、俺にとっては大切な行為だと思ったのだ。



ただ、ただ。あの人の姿を見たいと思ってしまったことは…そして実際に、この目に写してしまったことは、想定外だったけれども。



きっとまだ、どこかで未練があったのだろう。
とっくにあの人は運命の相手を見つけて、俺なんかがいないところでちゃんと幸せを手にしているというのに。俺はまだ、あの人への想いを断ち切れないでいて。



「でももう…もう、後悔なんて、なかよ」



そう言葉にすると、妙に胸がすっきりした。
あんなに見たいと切望していた顔が、あの頃と変わらない微笑みを向けてくれた、そんな気がした。

隣に座るミユキがその言葉に、また悲しそうに顔を歪める。だけど賢いこの子のことだ、自分が泣いたって意味がないことを、とっくに知っている。




もうすぐに、この両の瞳は光を失う。これは決まりきった事実。変えようのない、真実。


だからその前に、この脳に刻みつけておきたかった。俺が過ごした日々の光景を。俺が愛した、人たちを。


記憶の中にある笑顔はちっとも曇ることも霞むこともなく。それを思い浮かべる度に俺の心には、何か暖かいものが、込み上げて来る。




小さな手が、俺の手をしっかりと握りしめた。その手は少し震えていて、だけどとても、暖かくて。



「…ありがとな。傍におって、くれて」



重なった掌に、ぽたりと落ちた雫には、気付かないふりをした。




目の前には、見慣れた道が広がる。どこまでも続く、青い空も。
もうすぐ俺の目では、見ることが出来なくなってしまう。きらきらと光に満ちた、輝かしい光景。
もうすぐ俺の目の前から、消えてしまう眩しいものたち。



さようなら、俺が愛した日常。
さようなら、俺が愛した人たち。


いつまでも、この想いが色褪せないように。



最後にあの場所に行くことが出来てよかった。
最後にあの人の姿を少しでも見ることが出来てよかった。




俺はゆっくり、もう殆ど機能を果たしていない両の眸を閉じた。
広がった深い闇はどこまでも果てしなく続く。


だけどその先には彼らの…あの人の変わらない笑顔があった。
俺が愛した笑顔が色褪せることなく、そこにはあった。




End.





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