渡邊オサム、27歳独身。職業は中学校教師で、担当教科は国語、それから男子テニス部の顧問。 只今熱烈に、恋愛中。 空色ソーダ 「あっつ…」 襟元を寛げて中に空気を取り込むように動かせば、一瞬だが、胸元に涼しい風が入って来る。そんな仕草を繰り返しながら見つめるテニスコート。 そこでは可愛い可愛い(決して口にはしないが、本当にそう思っている)、中学生にしてはガタイのいい教え子たちが汗だくになりながら、小さな黄色いボールを追いかけ、所狭しと走り回っている。 そんな中学生らしくない体躯を持ち合わせた子どもたちの中でも、頭ひとつは抜きん出ている最愛の存在を、気が付けば目で追っていた。 俺の視線に気が付いたのか、こちらを向き先ほどまでボールに向けていた真剣な眼差しをほわんと、とろけさせると。小さくだが、手を振ってくれる。 好き嫌いはあるだろうけれども、どんな子どもにも平等に接しなければなりません。なぜなら教師は、子どもたちのお手本にならなければならない存在なのですから。 その手にこちらも小さくだが、応えながら。大学時代に生徒指導論だか何だかで言われた台詞が、その度に頭の中でリピート。 分かっているけれども仕方ない。だって好き嫌いの問題じゃない、LoveかLikeかの問題なのだから。 そう言い聞かせながら、練習に戻っていく自分よりも大きな背中を、見つめ続けた。 その背中は太陽の光を受けて、きらきらと輝いているように見えた。 いくら大会が近いからといって、こんな炎天下のテニスコートを長時間走らせて何か起こったら大変だ。その後暫く千歳や他の部員たちの練習風景を見つめていたが、いい加減休憩を取らせないといけないと、声を張り上げる。 15分間休憩、その言葉に喜ぶような顔をする者もいれば、まだ出来ると納得できないような顔をする者もいて。こんなところでも、子どもたちの個性が伺えるようだ。 ばらばらと、部員たちがタオルやらペットボトルやらを取る為にコートを出る中、こちらへ向かってきた千歳の背中に、ゴンタクレ…じゃない、遠山がへばりつく。 一瞬、驚いたような表情を見せただけで千歳は、その小さな身体をやすやすと背中におぶってしまうと、そのままこちらへやって来た。 そして俺と千歳が、言葉を交わしている最中ずっと、千歳越しにこちらを見つめる大きな二つの瞳。 表情の為か年齢よりも幼く見える遠山は、俺たちの会話を彼にしては珍しくじっと、聞くと。 「千歳はオサムちゃんの、どこが好きなんや?」 肩からぐっと千歳に顔を近付けて(近い!近い!!)、その顔を覗き込むように尋ねた。 なんでなんでーと、子どものように…否、実際子どもなのだが、言葉を続ける遠山に、千歳の顔はみるみる赤くなっていって。 「な、何ね、いきなり…!」 「いきなりとちゃうしーワイ、前から気になってん。何で千歳はオサムちゃんと、付き合うとるんやろなーて」 やっとの事で絞り出された言葉は、更なる遠山の言葉にすぐ、上書きされてしまう。 さて、この可愛い子はどんな答えを聞かせてくれるのか。そう楽しみに、ちらちらと向けられる、助けを求めるような眼差しに笑顔を向けていると。 「そんなん、愛し合っとるからに決まっとるやろ!愛し合う二人の間には、何の障害もないんや!なぁ小春ぅ!」 「そうねぇ〜ちとっちゃんとオサムせんせぇがお互い、らぶらぶ光線出しまくりやっちゅーんは、見てれば分かるし」 右側から、俺が望んだのではない声が聞こえる。 その言葉の持ち主…一氏と小春はこの暑っ苦しい中、べったりと身体をくっつけると(そうするように指示したのは自分なのだが)、そうやろ!?と、綺麗なユニゾンで千歳の方を見る。そうなん?と尚も顔を近付ける遠山と、爛々と目を輝かせる一氏たちに、千歳はあーだのうーだのと、下を向きその視線から逃げながら、唸る。 残念だが千歳、一氏たちからは逃げられても、ベンチに座っている俺からはその顔、丸見えだ。まぁ見事に顔を真っ赤にさせて…これはこれで、可愛いものが見れた。なんて思っていたせいか。 「ちゃうでー金ちゃん。それはなぁ、オサムちゃんが嫌がる千歳を無理矢理押し倒し…」 「わーわーわー!白石ぃ!自分、金ちゃん相手に何言うとるんやぁ!!」 「何て…真実?」 「真実ちゃうやろ…」 左側から冷ややかな視線と共に、とんでもない言葉が聞こえた。 その声の主…言わずもがな、白石の言葉を遮るように大声を立てる小石川は、ケロッとした表情を見せる部長様に、頭を抱えると大きくため息を吐いた。こいつも苦労しているんだろうなぁ、なんて思いながら。一応それが事実ではないことは、主張しておく。あくまでも俺の暴走ではなく、合意の上…と言うか、お互いの気持ちがあっての関係だと言う事を。 「何や?千歳、オサムちゃんにいじめられとるんか?…もしそうやったら、ワイ、オサムちゃんのこと、ぼっこぼこにしたるで?」 それを告げるべく、口を開こうとした時。白石の言葉を聞いてから俺の方をじーっと、眉間にしわを寄せながら見つめていた遠山は、伏せられた顔を更に覗き込むように、千歳に自らの顔を近付ける。 だから、近いっちゅーねん!遠山の表情が彼は真剣に、千歳のことを心配していることを物語っているから、言わないけれども。あぁ、俺って大人だ。 て、それよりも。遠山が言っている言葉が大変恐ろしい気がするのだが。気のせい…だろう、うん。気のせい気のせい。 「ち、違う!そぎゃんこつ、なかよ!!」 遠山の言葉に、弾かれたように顔を上げた千歳の表情は、皆に見せてしまうのが惜しいくらい。 いつもはのほほんと和やかな雰囲気の漂う黒目の大きな瞳は、背中にへばりついたままの遠山に向けられているが、そこ中心に強い光を宿し。眉も心なしか、釣り上がっていて。 不覚にもかっこいいって、思ってしまって。 こういう瞬間、こいつは俺の最愛の人物であって、教え子であって。そして俺と同じ男なんだなって、感じる。 それは決して不快なものではなく、寧ろ心地良さと。どことなく安心感を抱かされてしまうのだから、不思議だ。 こんないい男と付き合っているんだぞって、女性が彼氏を自慢したくなる気持ちが、何となくだがわかったような、気がした。 「オサムちゃんは、いつでも優しかし、俺んこつ、ほなこつ大切にしてこれっと!この前だって二人きりになった時、オサムちゃんたら、オサムちゃんったらぁ……あー恥ずかしかぁ!!」 前言撤回。 先ほどまでは男らしかった千歳は何を思い出したのか。一瞬で顔を真っ赤に染め上げると、自身の大きな両手で覆って、背中に遠山が乗っていることなんて忘れたかのように、ぶんぶんと上半身を振る。 その動きに振り落とされそうになりながらも、遠山も先刻見せた険しい表情はどこへやら、すっかりいつもの笑顔を取り戻すと、きゃっきゃと声を上げながら振り回されている。 そんな二人を呆然と眺めながら。おっさんもやるやんか、白石から茶々を入れられたが、次第に俺の頬の筋肉は、緩んで行ってしまって。 「…そないかわえぇことするん、二人っきりの時だけにしてくれや…我慢利かなくなるやろうが…」 「きゃ!オサムせんせぇったら、爆弾発言!」 「オサムちゃんも、言うやないか!見なおしたで」 やっぱりこの最愛は、誰よりも可愛らしくて愛おしい。 そう思い小さく呟いたはずの言葉は、その場にいた全員にしっかりと、聞かれていた。 ……穴があったら、入りたい気分だ。 俺の言葉が耳に入ってか。顔を覆っていた両手をゆっくり外した千歳と、目が合う。 今度は俺も千歳に負けないくらい、顔を真っ赤に染めていたであろう。だって耳がこんなにも熱くて。鼓動がこんなにも早いのだから。 「んー…つまり、千歳がオサムちゃんのことがめっちゃ好きなくらい、オサムちゃんも千歳んこと、好きやってことやんな」 「せやから、俺らが最初にそう言うたやろうが」 「まぁまぁ…金太郎はんがそれに気付いたくらい、二人がらぶらぶやっちゅーことで、いいにしましょ」 「なんや、つまらへんの」 「つまらんとか言わんで…ほれ、しっかり休憩取るで、休憩」 互いに赤面したまま見つめ合う俺たちを置いて、いつの間にか千歳から飛び降りていた遠山を筆頭に、ぞろぞろと去っていく教え子たち。 その姿を追うことも、何か言葉を掛けることも出来ないで。 俺はまだ、目の前に立ち尽くしたままの千歳から、視線が動かせず。それは千歳も同じようで、その目は若干泳いではいるが、こちらから逸らされることはない。 「あー…その、なんや」 ゆっくりと立ち上がり、カラカラの喉から、やっとという風に絞り出した声に、びくっと分かりやすいくらいに肩を震わせて。それからちょっと顔を伏せると、ちらっと目だけを、こちらに向けて来る。 そんな仕草、何回も何十回も見ていると言うのに。未だに俺の心臓は、一々それに反応して、益々鼓動を早める。 あーきっとまだ、顔も真っ赤なままなんだろう…目の前の千歳と、同じように。 少しでも鼓動を落ち着かせようと、大きく深呼吸して。それから向けられている目と、真っ直ぐに自分の目を、合わせてから。 「…今夜、一緒に飯でも食うか?」 「…へ?」 「あかんの?」 ゆっくり紡いだ言葉。 目の前の相手は一瞬驚いたような顔をしてから。 「そ、そぎゃんこつなかよ!勿論、大歓迎ったい!」 そして綺麗に、笑ってくれた。 それだけでもう、十分幸せだって思えてしまう自分が、そこにいた。 「やはりあの二人は、あぁでないとな…見ているこちらも、幸せになれる」 「ちゅーかいつまで休憩なんやねん!いつまで二人の世界作っとるんやねん、あいつら…」 「まぁ、確かにちょっとは周りも気にして欲しいっすけどね」 少し離れた場所からそんな声が聞こえた気がしたが。 もう暫く、このままこの子の笑顔を見ていたいって、思ってしまう俺は。このままこの子のことをずっと、手放したくないって、この子の笑顔だけは守りたいって思ってしまう俺は。 教師失格なのかも、しれないけれども。 「渡邊先生がおって、千歳はんがおる。そのことが二人にとって幸せなんや…それで、えぇやろ」 「んー…銀がそう言うんやったら、そういうモンかな」 「…そういうことに、しといたりますわ」 せめてこの子にとっては最良の相手であろうと、思う。否、あろうと、あってみせると、決めた。 「…夕飯、馬刺しが食べたか」 「…給料日前やけど、かわえぇ千歳の頼みやさかい、聞いたるわ」 「オサムちゃん…好き!!」 「俺もやで」 抱きつかれた大きな身体にゆっくりと、だがしっかりと腕を回す。 その身体は自分と同じくらいに、早く脈打っていた。 俺なんかを好きだと言ってくれる千歳のことも。そのことに嬉しくて、思わず破顔してしまっている自分自身のことも。 すごく好きだと、思えた。 End. 5000HIT |