いくら泣いても傷つけても。
明日笑えるならば、それでいい。
躓いたって転んだって。
立ち上がれれば、それでいい。




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光と遠山が、喧嘩をした、らしい。


らしいというのも、俺は光の言い分しか聞いておらず。その弟曰く「金太郎が勝手に怒っただけや」と言う訳で。
だがしかし、俺の前で光のことを絶対に幸せにすると言ってのけた人物が、何もなく弟に対して怒るなんてこと、あるだろうか。光の家出騒動からこっち、一日たりとも連絡を断つことのなかった遠山が、光との接触を絶ってもう、一週間が経っていた。
弟とは言え他人の事情に首を突っ込むことはよくないと思ったが、元より世話焼きであり、何より世界中でただ一人の弟の表情が、いつまでも曇ったままというのもいただけない。

一週間。それは俺が事態に介入することを決心させるのに、十分な時間だった。



「…で、何の用っすか、ぶちょー」
「もう部長やないって、言うとるやろが…あぁ、お兄ちゃんって呼んでもえぇで?」
「遠慮します」


講義が午前中しかない日。久しぶりに訪れた母校。この時期は確か試験期間中で、部活はなかったはず。ならばこのくらいの時間にいれば、学校を出る遠山に会えるだろうと、あたりを付けて待ち伏せした校門。
そう待つこともなく、お目当ての人物に出くわすことが出来た。

俺の姿を認めた途端、嫌そうな顔をして踵を返した後輩の肩を掴むと、有無を言わさず近くのコーヒーチェーン店へと引き摺りこむ。その途中、いつの間にか身長が抜かされていたことに気付いて、少し嫌な気分になった。

おごりやと言ったのに、ちゃんと自分の目の前に置かれたココアの代金240円を寄越した遠山は、未だ機嫌悪いですと、顔全体に書いたまま。こちらを見ようともしない。



「単刀直入に聞くわ。光と、喧嘩したんやって?何があったんや」


そんな遠山の態度に。お互いさっさとすっきりする為にはこれが一番手っ取り早いと。今日ここにいる目的を正面から伝える。
別に喧嘩をしたことを責めているのではない。もう二人が一緒にいるようになって、二年近くが経つ。
遠山にとっての世界も、光にとっての世界も、お互いが一番広い面積を占めていることは明らか。だが、お互いが生きている世界は違う。生きて来た世界も、違う。そんな二人が喧嘩の一つもしないで、ずっと平和にやっていける方が可笑しいのだ。

そういう意味を込めて。出来るだけ口調がきつくならないように言葉を紡ぐ。
それに対して遠山は、ぴくりと身体を震わせたがそれ以上、何のアクションも起こさずに。すっかり汗をかいたグラスをみつめる。ココアなんて氷が溶けたら薄くなって不味いだろうに。手元にあるホットコーヒーを啜りながらジト目を向けてやるが、遠山の姿勢は崩れない。



「光、13時間しか記憶もたんの、知っとるやろ?そない長い間連絡取らんで、また自分のこと光が、忘れてまうとか、思わんかったんか?」

「……その方が、ひかるはえぇんやろ」



ぼそりと呟かれた言葉。誰がその方がいいって?
光が特殊な状態に置かれているからこそ、俺が危惧していること。それに唸る様に返されたのは間違いなく、遠山の声。


「やってひかる、言ったんや!別にワイに会わんでも平気やて。メールも電話もなくても、平気やて!…それ、って、ワイのこと忘れてしもうても、えぇってことやろ!?」


敬語が崩れている。
こういうこと、体育会系の部活に属する俺たちとしては、良くないことなのだろうけど。言葉遣いが乱れたということは、それだけ遠山の心も乱れた、ということ。
遠山は、忘れられてしまう辛さを知っている。事故に遭う前から知っている俺や家族、謙也のことは何となくわかったとしても、遠山は綺麗に忘れられてしまうから。そしてそれを、遠山は何度か経験している。その時に味わったのであろう絶望や失望といったものは、俺には測り知れない。

その遠山が。



「ひかるは…ワイのことなん、どうでもえぇんや。忘れてもうても、平気なんや」


やっとの思いで絞り出すように放たれた声は、今にも泣きそうだった。
全く、どうしてこうなってしまったのだろうか。
整理をすると。どうやら光は遠山に対して、会わなくても平気だと、連絡を取らなくても平気だと言った。試験期間の真っただ中の遠山に。


「…自分今年、受験生やよなぁ?」
「……まぁ、一応」
「進路、ちゃんと考えとるんか?受験勉強はしとるんか?ちゅーか呼び出しといてアレやけど、試験勉強かてせんでえぇのか?」
「そ、れは…」


途端歯切れの悪くなる答え。きっと俺なんかよりもずっと傍にいた光は、遠山がこのような状態にあることを、知っていたはずであって。
だからこそ光は、そんな遠山が少しでも多く、自分のことが出来るように。自分の為だけに時間を使えるように。そう思って、あんなことを言ったんじゃないだろうか。遠山がこんな風になることなんて、望まなかったはずだ。

どうやらそれに遠山も、ようやく気付いたようであって。小刻みに震えた身体は自分がやってしまったことを、悔いている。


もう、大丈夫だろう。俺が口を出すのは、これでお終い。



「まぁ、言葉が足りんのは昔からやしなぁ…そこら辺、汲んだって欲しいわ」


ばんっと大きな音を立ててテーブルに手を付くと、そのままの勢いで店を飛び出す背中を俺は止めず。
すっかり薄くなってしまったココアをどうしようかと考えた挙げ句、今一番会いたいと思った相手を、呼び出すのだった。




***




金太郎と喧嘩をした、と思う。


喧嘩なのか、よくわからない。だって俺はよかれと思って、言ったことだったから。俺だって本当は嫌なのに金太郎のためにと、言ったことだったから。
なのに。


『っ!ひかるがそないな風に思うとったなん、知らんかったわ!もうえぇ、ひかるなん知らん!!』


そう怒鳴ると金太郎は、俺の方を一度も振り返らずに帰ってしまったから。いつもだったら名残惜しそうに何度も、こちらを向いてくれるというのに。
金太郎と顔を合わせないばかりか、一切の連絡を断ってもう一週間になる。毎日決まった時間にメールの着信を告げていた携帯電話は、沈黙を貫いていた。

俺から連絡を取れば、金太郎は応えてくれるだろうか。
こうなることを望んでいたはずなのに、いざ携帯がだんまりを決め込んでしまうと、途端気が弱くなる。後悔が襲いかかる。だが、それを払拭しようと携帯を握っても、液晶場面に表示された彼の名前を見てしまうと、それ以上何もできない。


もし、出てくれなかったら?もし、俺のことなんか知らんって、また言われてしまったら?
もし、もう俺のことなんて忘れてしまっていたら?


そう思うと、目の前が真っ暗になる。金太郎はいつも、こんな気持ちを抱えたまま俺と、一緒にいたのだろうか。こんな、辛い気持ちを。こんな、怖くてたまらない気持を。

そんな金太郎に俺は、何て言った?


昔から俺は言葉が足りないと言われていた。そのせいで誤解されることも、間々あった。でも俺は、分かってくれない方が悪いと諦めていた。誤解するような奴なら傍にいなくてもいいと、思ってきた。
それは記憶障害を負ってから強くなる。俺のことを誤解する奴は増えたし、繋がりを断つ奴だって、大勢いた。

それを全部俺は、諦めていた。分かってもらえないなら仕方ないと、思ってきた。



だけど、金太郎だけは諦めたくない。
だから、金太郎の負担になりたくなくて、それで、せめて受験期間中くらいは自分の為に時間を使って欲しくて、言った言葉だったのに。


机の上には開きっぱなしのノート、それから携帯電話。それは全て、金太郎との繋がりを表すもの。


もし、もう一度チャンスがあったら。
ちゃんと謝ろう。それと、ちゃんと言おう。今度は俺からも、ちゃんと。



「ひかるっ!」



そう思って、携帯を手に取った瞬間だった。
玄関の方からどたどたと音が響いてきたと思ったら、この一週間ずっと想い続けていた(そのせいで少し、先生や千歳さんたちのことを忘れかけた)金太郎が、俺の部屋に入って来て。


「ひかる!ワイは…」
「きんたろ…ごめん、」


金太郎の声を遮り、手を伸ばす。すぐ目の前まで来ていた金太郎は走り寄って、その手をぎゅっと握ってくれた。
あったかいな。そう思うと身体を、出会った頃に比べて育ち過ぎた身体に預けて、そして。




「…ひかるからちゅーしてくれたん、はじめてやないか?」

「…そういうなら、金太郎が泣くんは、久しぶりや」



顔を見合わせて笑った。



それから口を開いて、ちゃんと言葉にして伝えるんだ。
ちゃんと、俺が想っていることを、全部ちゃんと。


「金太郎、あのな…」


そしたら彼はきっと、笑ってくれるのだから。





End.






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