「…オサムちゃん、それって?」

「おー謙也、気付いたか。じゃーん、遂にゲットしたんやでー」



自慢げに微笑むとオサムは、胸ポケットから取り出した“ソレ”を、口にくわえようとした。




エレクトロエフェクト





「だめぇ!煙草はやーめーてぇ!!!」
「あ痛ぁ!」


あと少しでそれがオサムの口に収まる、まさにその時だった。

どどどどどど…と、漫画のような音を響かせながら走り寄ってきた千歳は、オサムの手に持たれていた白い筒状のものを思い切り叩き落とす。

それを、前回オサムが禁煙の誓いを破った時同様、踏みつけようと鉄下駄という重しを課された足を振り上げた時だった。


「あっかーん!それ、いくらする思うてんねん!ちゅーかそれ、煙草やないわぁ!!!」


千歳以上にデカい声を出したオサムが、振り上げられた足と憐れ地面とお友達になってしまった、筒の間に割って入り、大きく腕を広げる。
横にいた謙也はその様子が、まるでよくあるヒロインが主人公だか誰だかを庇うシーンに似ているなぁ…と、ぼんやり思った。
まぁ、オサムが庇っているものは主人公でもなければか弱い子どもでもなく。


「これはぁ!今話題の電子煙草やっちゅーねん!!」


そう、電子煙草なのだけれども。


煙草という言葉に反応した千歳は、大事そうにオサムの両手に包まれたそれを掻っ攫うように取り上げると、しげしげ見詰める。見た目は煙草その物であるが、彼の知っているものとは異なり、今自分がつまんでいるソレは柔らかさがない。くるくる回してみるとソレは真っ二つに割れ、中から何かが飛び出したが、それはオサムの手によって、しっかりキャッチされた。

どうやら本当に、これは自分の知っている煙草ではないらしい。



「…ていうか、電子煙草って、何ね」

そう判断した千歳は、それまでの剣幕はどこへ行ったと聞きたいくらい穏やかな表情で、首を傾げた。



「…電子煙草っちゅーんはなぁ…なんちゅーか…簡単に言えば、人体に害を及ぼさん煙草や。ニコチンもタールも発生せん。煙も出ぇへんから、副流煙の問題もなしや!どや、凄いやろ!」


ベンチに座り、ふんふんと頷く千歳に対し、オサムは得意気に話す。まるで自分が電子煙草を考案したかのように。

試しにオサムが電子煙草を吸ってみるが、その際ライターで火をつける、という行為は行われず、先端から発せられる煙?からは特有の匂いがない。不思議に思い手をかざしてみると、ほんのりと湿り気。


「…これ、煙やなかとや?」

「言うたやろ。煙は出んって。これは水蒸気が発生されとるんや」


ここぞとばかりのどや顔をしたオサムに、千歳はただ羨望の眼差しを向けていた。
確かに、これまでの話を聞いていれば電子煙草は無害であり、今まで自分が心配していたような事態(詳しくはSmooooking!シリーズを参照のこと)も、引き起こさないだろう。


「これなら安心っちゃ。オサムちゃん、電子煙草だったら吸ってもよかよ」


そう思った千歳は、満面の笑みを浮かべてそう言った。

事実、自分が押し付けるようにして実行させていた禁煙が、彼にとって多大なストレスになっていたことに、千歳は気付いていた。
彼のタスポは自分が預かっていたのだからコンビニで買ったのだろう、彼の部屋でビニールの剥がされていない煙草の箱を見つけた時は、色々なことを考えた。
本当は吸いたいと思ったのだろうに、自分との約束の為に、それを我慢してくれた。


本当に、それでいいのだろうか。


オサムの煙草好きは誰よりも知っているつもりだ。その、とても好きなものを自分や彼自身の健康と天秤に掛けて止めさせることは、本当に彼の為になるのだろうか。
それともただ、自分の自己満足なだけではないのだろうか。

煙草の箱は少し潰れていて、これをオサムが強く握り絞め、ビニールを破ることを堪えたのだということを、強く物語っていた。



「…今まで我慢させて、ごめんね。これからは電子煙草だけど…我慢せんと、吸ってよかよ」

「ち、千歳ぇ…!!」



おおきになぁ!と言いながら抱き付いてきたオサムからは、もう以前のようなヤニ臭さはなかった。

そんな二人の様子を、部員たちは微笑ましく見守っている。




「…何や、気に入らんわ」


ただ一人、白石を除いて。

今まで千歳による千歳のためのオサム禁煙大作戦を後方支援してきたのは、自他共に認める健康オタクである彼だ。せっかくオサムの禁煙によって、自分の華麗なる健康生活への道がまた一歩進んだというのに。これでは後戻りではないか。


「…せや、いいこと思い付いた!」


まだ部室の真ん中で抱きあっている暑苦しい二人を目に留めながら、白石は一人、部室を後にするのだった。



***



「千歳ちとせ!ちょお、えぇこと教えたるから、こっち来ぃや」

「んー?よかこと?」

「せや、オッサンの健康に関わる、めっちゃえぇ話や」



次の日の昼休み。
屋上でいつものように日向ぼっこをしていた千歳を、白石が招き寄せる。

オサムに関係しているとあれば、いつもだったらテコでも動かない千歳の動きは機敏になり。試合中でも見せないくらいのスピードで、白石の元へと駆け寄った。



「なんねなんね!オサムちゃんの健康に関わるっち、どげんこつ?」

「あんなぁ、それは…」



こしょこしょこしょ。




男子中学生(しかもデカイ)二人が行うひそひそ話なんて、とても可愛いらしいものではなかったけれど。



「な、なんてこったい!!」

「因みにこれ、ホンマのことやからな」


だがその内容は、千歳を奮起させるのには十分な説得力を持っていたようだった。








「さぁて、食後の一服や〜」


そんなことも知らない渡邊が昼食を食べ終え、るんるん気分で電子煙草(充電もばっちり)を胸ポケットから取り出した時だった。


「こんの悪魔めぇ!オサムちゃんばかりか俺んこつも騙してぇ!!!」


前日同様物凄い勢いで走ってきた千歳の手によって、それは宙へ舞う。突然の出来事にオサムが唖然としている間に地面に墜落したそれは、千歳の足によって踏みつけられ。


「あぁぁぁ!!!」



ぱきんと音を立てて、真っ二つに割れた。


あまりの惨劇に取り乱したオサムが、千歳に掴みかかろうとした時。


「電子煙草かて、煙草に変わりないんやで!!」


またしても千歳の口から、少しイントネーションのおかしい関西弁が紡がれることになる。


「えぇか?電子煙草言うても、全部が全部、安全なわけちゃうんやで?一部の粗悪品には、ニコチンはどうか知らんけど、有毒物質めっちゃ入ってるっちゅー話や。アメリカの食品医薬品局は電子タバコに発がん性物質とか、毒性物質がそん中に含まれることを正式に報告しとる」


あぁ、また白石が余計なことを吹き込みやがったな。しかも何か、こっちまで納得させられそうな内容だ。
千歳の足の下、姿を変えてしまった電子煙草(元)を見つめながらも、耳からは千歳の声で紡がれる白石の言葉が入って来る。

ふとオサムは、昨日の千歳の台詞を思い出した。
こいつは確か、今まで我慢させてすまんとか、言っていなかったか?それなのにまた、俺に我慢を強いるのか?

そう、言ってやろう顔を上げた時。



「我慢することかて、大事なことやで?今ちょっと、煙草我慢すれば二人のハッピーライフは長く続くねんで?やったら、今我慢覚えさせることが、将来のためにも大切やろ」


見事に先手を打たれてしまった。
俺は犬か。そうツッコみたい気もしたが。



「ね?だからオサムちゃん、やっぱりちゃんと、喫煙すっとよ?」



千歳本来の言葉で紡がれた台詞と、その笑顔に。本当に自分を想ってくれていることがよくわかるその笑顔に。


思わずうんと、頷いてしまうのだった。

「よっしゃ!これで俺の健康生活がまた守られたわ!」

扉の向こう、白石がガッツポーズを決めていることなんて、気付かずに。






目の前の笑顔が守れるんだったら、いくらでも我慢してやるさ。



そう思った、オサム、27の夏。




End.







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