彼と彼らの日常。01




「…俺、もうこいうんやめるわ」

「は?…えぇんか、皆にばらすで?」

「勝手にしたらえぇやろ。どうせ俺なん、自分にとっちゃ取るに足らん存在なんやろうし。元より自分に比べれば俺なん、そない特別視されとる存在とちゃうし。周りかてそない落胆もせぇへんやろ。ほな、さいなら」



ガタンと、わざと音を立てて立ちあがる。そのままカバンを掴むといつもなら二人並んで出ていた教室を、一人で出た。


すれ違い様に見えた小石川が、ありえへんて表情をしていたことが、最後にこいつに一矢報いることが出来たような気がして、少しだけすっきりした。



あー、明日からどないしよ。明日っちゅーか三年あんねんで、高校て。

そう思うと軽はずみなことをしたような気にもなったが。このままあいつにいいように使われて、ずっと下に見られるよりはずっとマシだ。

見下され続けるなんて…ずっと認めてもらえないなんて、そんなの絶対に嫌だ。
それなら、周りから騙しただの嘘つきだのと罵られる方が、ずっとマシだ。



すっかり人気のない廊下を昇降口に向かって、どこからともなく湧いてくる苛々をぶちまけるように、靴音を鳴らしながら歩く。反響してまた自分の耳に飛び込んでくるその音を聞いているうちに、気も収まってくるだろう。

そう思っていたのに、俺の靴音を消すくらいにけたたましい足音が、耳に飛び込んでくる。何事かと振り返るとそこには、段々とこちらに近づいてくる、小石川の姿があって。



「…ちょ!白石、待てや!」

「ま、待たん!」


俺の姿を認めるなり叫んだ言葉に、駈け寄って来るその身体に、条件反射のように声を発するとくるりと踵を返すと。俺はそのまま、走り出した。
こんな風に廊下を全力疾走しているところを誰かに見られたりしたらどうしよう、そんな考えが生まれて来る暇がないほど必死に、走った。


「待て言うとるやろが!」

「誰が待つか!元テニス部、舐めんなや!」



上靴のまま窓枠に足を掛けると、俺の身体は外に飛び出す。因みにここは一階。華麗に着地し余韻に浸ることなく、そのまま駆け出す。だって俺の後を追う男は俺よりも、運動神経はいいのだから。俺に出来ることをこいつが出来ないわけがない。



「えぇ加減止まれっちゅーねん!」



ほれ見ろ。予想通りや。



小石川はそのままぐんぐんと、俺との距離を縮めて行って。
俺がどんなに努力しても縮めることの出来なかったものを、簡単に縮めてしまって。



「…なんで、逃げるんや」

「…自分が追うからやろボケ」



これが現役との差か。こんなことになるなら、高校でも部活続けるんだった。
しっかりと掴まれた手首を見ながら、そんなことを考えた。


そして俺がこいつに敵うはずなんかなかったのだと、改めて感じて。悔しくなった。



「…どうして急に、あんなこと言うたん?」



静かにゆっくり、子どもを諭すような口調で小石川が言葉を紡ぐ。その声色は決して怒っているとか苛立っているとか、そういう部類のものではなく。

どちらかと言えば…そう、悲しい、そんな感情が伝わって来るもので。



「…自分に利用されるん、嫌になってん。それが理由や、あかんのか?」



睨みつけるように顔を向けると、そこにいた小石川は今までにないほど、うなだれていて。


「…利用する気なん、なかってんやけどな…そないな風に思わせてもうてたんなん…すまんかった」



一瞬目を泳がせた後、小さく頭を下げた。


「ただ、自分と一緒にいたかったっちゅーか…自分と話す口実が欲しかったっちゅーか…」



は?こいつ、何を言っているんだ?
一緒にいたかった?話す口実が欲しかった?
それじゃあ、それじゃあまるで。



「…まるで自分、俺のことがめっちゃ好きみたいやん」



思ったままのことを口にすると、みるみるうちに小石川の顔は赤くなっていった。その赤さは夕日のせいだけじゃない。



「ちゃっちゃうねん!いや、ちゃうわけやないけど…自分と一緒におると、変に気ぃ遣わんで済むっちゅーか楽っちゅーか…自然でおられるさかい、楽しいねん」



握られたままの、手首が痛い。痛いけどそことから伝わって来る熱が、こいつの言葉が本物であることを俺に伝えてくれる。こいつも俺と同じように、一緒にいる時間を大切にしていたことを。自然な姿を俺に見せてくれていたことを。



「…ホンマは自分に認められへんのが、気に食わんかったんや。自分に見下されるんが…対等に見られへんのが、悔しかったんや」



だから俺も、本当の言葉を返すことにした。
それを告げた途端、目の前のこいつはまん丸く目を見開いて、そして。



「そないな風に思うたことなん、一遍もないわ」



あの時見せたような厭味のない笑顔なんかではなく。腹の底からおかしくてたまらないと言った風に、笑った。
俺も釣られるように、笑った。久しぶりに家族以外の前で、声を出して笑った。




「…そんならまぁ、取り敢えず俺らは友達っちゅーことで、えぇんか?小石川くんは随分俺のことが好きみたいやけど?」

「な!それを言うなら白石の方やろ!…まぁ、友達っちゅーんがいっちゃんえぇわな、なんか」

「相方やと漫才みたいになってまうからなー」



上靴のまま飛び出して駆けて来た道を、二人並んで歩く。そこには行きとは打って変わって、笑顔しかない。
こんな風に誰かと…“友達”と歩いたことなんて、あっただろうか。笑いあったことなんか、あっただろうか。
そんなことを考えていると、急に隣にいた小石川が立ち止まって、そして急に表情を真剣なものに変えて。



「改めて、これからよろしゅう、白石」



手なんて、差し出してくるもんだから。



「…こっちこそ、よろしゅうな。小石川」



その手を、ちょっと照れくさいと思いながらも、俺は取った。






入学式から一か月。
一か月前の俺が今の光景を見たら、どんなことを思うだろう。
一か月前の俺が今のようなことになるなんて、どうして思えるだろう。



白石蔵ノ介、高校1年生にして多分人生で初めて、ちゃんとした友達ができました。
そしてこれが、波乱に溢れた高校生活の、ほんの幕開けにしか過ぎないなんて、気付くのはもっともっと、先の話。









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