なんだかんだ言っても好きだから。
この気持ちは、変えられないから。




Break




「…はぁー…」
「なんや謙也、またあの子か?」


放課後のテニス部部室。部活が休みの日であっても何人かの部員は自主練やただ単に喋るために、この場所に集まっている。今日も例にもれず、部長である白石に忍足、そして財前の三人が、そこにはいた。

そんな中忍足はどでかい溜息を零すと、机につっぷせて。いつもは無駄に振りまいている笑顔も今日は見られない。普段とは全く違った様子である友人に、白石は苦笑交じりに声を掛けた。最近の忍足の感情を左右する一番大きな要因、それはただ一人の少女。隣のクラスに在籍する、同級生。大して可愛いとか美人だとかいうタイプではない。だが忍足曰く「めっちゃ明るくてな、笑った顔がかわえぇんや!」だそうで。

今日も彼の落ち込みの背後には彼女の影があるのだと察知してそれをほのめかすと、がばっと音がする勢いで顔を上げると。


「せやねん!昨日な、一緒に遊ぶ約束取り付けたんに…ドタキャンされてもうて…」


最初こそ勢いよく紡がれていた言葉であったが、それはどんどん威勢をなくして。最後には蚊の鳴くような声になってしまって。そしてそのまままた、彼の金髪は机とくっついた。
目に見えて落ち込んでいる友人に、どう言葉を掛けるか。白石が逡巡していると。


「謙也クン、アホとちゃいますん?待ち時間嫌いや言うとるくせに、二時間も待って。その上ドタキャンされたんに電話口では気にしとらんとか、また今度遊ぼうなとか、へらへらしながら言うて」


先ほどまで傍観を決め込んでいた財前が、手にしていた雑誌を伏せると呆れた様子で言葉を紡いだ。頬杖をつきながら心底馬鹿にするような口調で発せられたそれに、白石は引っかかりを覚える。


「アホアホ言うなや!…しゃーないやん、好きやねんから」

「やったらさっさと告ってまえばえぇやないっすか。で、玉砕してくればえぇんすわ」

「…したらもう、一緒に遊んだり出来へんやないか…」

「しゃーないでしょ。あの人、彼氏おるんやし。ちゅーか謙也クンやったらちょっと本気出せば、奪ってまえるんやないっすか?」

「あ、アホ!そないなこと、出来るか!」


だが白石がそれを発するよりも速く、テンポよく会話は進んでいく。
財前の言葉の通り、忍足が想いを寄せる少女には恋人がいた。正直に言ってしまえば、そんなに顔はよくない。背も高くない。見た目だけだったらどう考えても、忍足の方が上だ。
ただ。


「…あない好きやーってオーラ出しとる二人の間になん、入れるわけないやろ」


お互いに好きあっていることは、確かで。

どんなに頑張っても友達でしかない忍足とは反対に、その彼は彼女からの愛情を注がれていて。
そんな二人が別れるなんて、当分考えられないだろうし。そうなるように仕向けて平気でいられるほど、忍足は気が大きくない。

だったらせめて、この想いが届かなくても、報われなくても。このまま友達として、彼女の傍にいたいと。そう半泣きで言ったのは最近のこと。
その言葉通り、忍足は彼女と友達として、付き合ってきた。少しでも自分の想いが外に出ないように。ただ友達づきあいを楽しんでいるだけに見えるように。自分の気持ちを抑えながら。

それは正直な忍足にとって、とても辛いことであったが、それでも彼女と共に時間を過ごせることが幸せで。その時間の為だったらいくらでも我慢も努力もする。



「望みがないんやったら、さっぱりきっぱり、諦めてしまえばえぇんに」

「…しゃーないやん、それでも、好きやねんから。忘れよ思うても、出来へんのやから」



冷たく言い放たれた財前の言葉に一瞬、考えるように視線を泳がせてから。
それでも真っ直ぐ、忍足は言い放った。その目に迷いや後悔はなかった。



***



「…ホンマ、アホやねんあの人。ちゃんと謙也クンのこと好きになってくれる人かて、おるんに」

「それは自分も含めて、か?」


ちょっと走ってくると、忍足が飛び出していった扉を見て財前が呟く。その横にそっと立った白石は少し意地の悪い言葉を発して。自分より低い位置にある財前の顔を覗きこむ。
その顔は一瞬目を大きく見開いたが、何もなかったようにいつもの何事にも興味のないような表情を浮かべて。


「…なんでっすか」

「やって自分、謙也に付き合うて二時間、一緒に待っとったんやろ?」

「そ、れは…」



だが先ほど白石が感じた引っかかり、それを口にするとそれまで冷めた目をしていた後輩は顔を紅潮させてから。静かに、目を伏せた。暫くそうして睫毛を震わせて、再び開かれた瞳には迷いや戸惑いはなく。その様子は先ほどまで目の前にいた忍足に、良く似ていた。


「謙也クン以上に望みないことなん、わかっとるんですけどね」


ゆっくり紡がれる言葉は、まるで自分に言い聞かせるようで。普段の彼の発する声よりも、低く落ち着いていて。


「せやけどそう簡単には忘れられんのです…ホンマ、俺も十分、アホっすわ」


最後に自嘲めいた笑みを浮かべた後輩の頭を、白石は優しく撫でてやった。いつもは振り払われるその手はそのまま、彼の黒髪を梳き続けて。


「…ホンマに、アホばっかりやな。うちの部は」


慈しむような憐れむような笑みを、隣に立つ後輩へと捧げるのだった。

そんなに好きだったら奪ってしまえばいいのに。そう言ったのは彼だというのに。そうすることも諦めることも出来ず、この後輩はただその想いを静かに静かに、燃やし続けている。誰に告げるでもなく、ただ自分の胸の中だけで。

誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。そんなこと、分かり切っているのに。

だったら自分の幸せを諦めても、大切な人の幸せを祈るのか。
それともその人が傷ついたとしても、自分の幸せを祈るのか。

忍足と財前が前者だとしたら。



「せやけど俺は、謙也とあの子が上手くいけばえぇって、思うてるんよ。やってそうすれば…」


白石は、後者だった。



「ぶちょ、う…?」



続けられた言葉に、財前は目を見開いた。




均衡が崩れた時、人は何を思うのか。
決して報われない想いと、身近にある幸せと、どちらを取るのだろうか。
届かない腕と、目の前に優しく差し出された腕と、どちらを取るのだろうか。




「なんや白石、えらい機嫌えぇやんか?」

「ん?そう見えるか?そういう自分は…と、禁句やったか?」

「ん…えぇねん、いつかこうなるて、分かっとったから。それにな、俺あの子に言われてん」

「なんて?」



「俺の傍にな、俺んことめっちゃ想うてくれてる奴がおるて。それ聞いたらなんか、嬉しゅうなってもうたわ。一体誰なんやろな。気になってしゃーないわ」



「…そか、よかったな」



一度崩れた均衡は、もう戻らない。




End.







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