「…というわけで、百害あって一利なし、なんですよ」


白衣を着た大人の言葉が、千歳の耳を刺激する。
そのままスクリーンに映し出された映像は、彼の身体を固くするのに、十分な破壊力を持っていた。




Smooooking!




いつものように渡邊はトレンチのポケットに手を突っ込む。大き目のポケットの中で少し手を動かせば、すぐにお目当ての品にぶつかった。それを掴むと箱の中から一本、取り出して軽く口に咥えて。そしてその箱を戻すのと同時に反対のポケットへと手を入れる。そこから、先ほど取りだした箱の半分程度の大きさの物体を取りだすと手慣れた様子でボタンに指を置き、そのまま咥えていた煙草へと、近付けた。


「だめーーーーー!!!」
「ぐはっ!」


カチ、と右手に握られたライターが小さな音を立てた途端。背中に激しい衝撃。思わず洩れた悲鳴に哀れ、咥えていた煙草は空を舞い地面へとゆっくり、落下していく。その光景を背中の痛みに耐えながらも渡邊はじっと、見詰めていた。

音もなく、煙草は地面へと、着地する。と同時に、下駄を履いた大きな足が、思いきりそれを踏みつけた。

あまりの衝撃に自分を失っていた渡邊であったが、ゆっくり、自分を奮い立たせるように、その足の持ち主の顔を見てやろうと、顔を上げる。


「よかったばい…これでオサムちゃんのこつ、守れたと!」


そこにいたのは、満面の笑みを浮かべやり切った!という表情を見せる、恋人の姿があった。



「何がよかったじゃボケ!俺の貴重な楽しみを…!!!」


常日頃であれば溺愛している相手のことを、こんな風に罵ったりなんて絶対しない。だがこのご時世、増税やら嫌煙ブームやら健康志向やらでただでさえ肩身の狭い愛煙家が、ようやく、ようやく職場の傍で見つけた喫煙ブースで、吸い始めた頃に比べて値段の跳ね上がった一本をやっと、やっと吸えると思ったというのに。だと言うのに。

目の前にいる恋人…千歳千里はまるで親の仇の首でも取ったような顔をして、何がそんなに憎いのだと思わず問いかけたくなるくらいの勢いで、踏みつけた煙草を地面と同一化させるかの如く、踏みつぶし続けている。

そんな千歳に思わず、綺麗な右ストレートを入れてしまった。
突然のことに避けられなかったのか。小さく呻くと千歳は頬を抑えながら、その場に座りこむ。

勢いついてしまったとはいえ、手が出たことはこれが初めて。手を出した張本人である渡邊でさえ、呆然としてしまって。そして急いで千歳を立ち上がらせようと、手にしていたライターをポケットに突っ込むと空いた右手を差し出した。

が、千歳はそれを思いきり払い。



「…ひ、酷いったい…オサムちゃん、こういうん何て言うか、知っとっと?」
「な、なんて言うんや」
「でーとでぃーぶい!!」


キッと、半分涙を浮かべた大きな目で、こちらを睨んでくる。
いつもなら自分よりも高い位置にあるその顔が、低い位置にあることに何だか新鮮な気になりながらも渡邊は、数回頭を掻き。


「あー堪忍堪忍。せやかて自分かて悪いんやで?いきなり人の煙草捨てやがって…」


恨みがましく、ジト目で言ってやる。未だに千歳の下にあるのであろう、煙草に想いを馳せながら。
そんな渡邊の様子に少しだけ悪いことをした気になったのか、千歳は眉を下げるが。それも一瞬のことで。


「だからって暴力振るうんは最低ったい!それに、俺はオサムちゃんこつ、守っただけとよ!」


素早く立ち上がると渡邊を、いつも通り高い位置から見下ろした。自分の行為への自信からか、思いきり胸を張り踏ん反り返っている為、その視線は日頃のものよりも高圧的な印象を、渡邊に与えた。
何度言って自分は悪くないの一点張りである千歳の言い分に、


「大体、自分は何から俺を守ったっちゅーねん!訳分からへんわ」


わざとらしい溜息と一緒に、渡邊は言葉を吐き捨てた。そんな態度に、握り締めた両の拳に力を入れ下を向き、暫く黙りこんでしまった千歳に、言いすぎたかと思ったその瞬間。


「煙草には有害物質が200種類も含まれています!」


顔を上げると渡邊よりも高い位置を見つめ、大声で叫んだ。


「煙草の害で1分間に世界では約5人の人が亡くなっています!喫煙を続けることによって寿命が約10年縮むのです!これを単純に計算してみますと、煙草1本吸う毎に約14分寿命が縮むことになるのです!」


そのまま、普段の訛りはどこへ行ったのだ?と問いたくなるような勢いで、標準語をぺらぺらとしゃべり出した千歳を、渡邊はただ呆然と見ていることしか出来ず。


「俺、オサムちゃんに早死にしてほしく、なかよ…」


そして最後に紡がれた言葉に、ようやく合った目に。思わず笑みが零れた。



***



「千歳ーさっきの一体、どこで習ってん?」


可愛い恋人の気持ちにせめて今だけでも応えようと、煙草を吸うことを諦めて学校へと戻る途中。隣を満足そうな表情で歩く千歳へと、問いかける。


「んー保健体育で講師の先生が、言っとったと。んで、ビデオ観たら喫煙者の肺はタール塗れで真っ黒で、毛細血管なん簡単に潰れてしもうて、だばーて血が出てきて……あー思い出しただけで、気持ち悪くなってきたと……」


そう言えば今日、3年は全体で喫煙指導だったなと、思い出す。そしてその場に愛煙家である自分がいると都合が悪いだろうからと、出席しないように学年主任に言われていたことも。

自分も学生時代、嫌と言う程煙草やら薬物の害について説明を受けたし、恐らく千歳が観せられたような映像も多々観てきたはずなのだが。今の自分は子どもたちに道を示す立場にあるくせに、ポケットの中身を手放せずにいる。


「そんで、オサムちゃんがそないなことになってしまったらって、思って。そしたら、いてもたっても、いられんかったと」


そして千歳は少し眉を下げて、照れくさそうに笑った。
あぁ、ここが公道でなかったら、自分のテリトリーの中だったら、思いきり抱きしめてしまうのに!

そんなことを思いながら。ポケットに仕舞われた箱を握り絞めた、この箱を手放さない限り、彼はこのようなことを繰り返してくれるだろうか。それともその前に愛想を尽かして自分の前から消えてしまうのだろうか。


「俺、オサムちゃんとずーっとずっと、一緒にいたか。やけん、オサムちゃんには長生きしてもらわなかと、困るったい」


さてさて、自分がこの箱を手放す日と、千歳のこの想いが消えてなくなってしまうのと、どちらが先にやってくるのか。


答えはもう、分かり切っているような気がした。



「…いきなり禁煙はキツイから、取り敢えず量は減らすよう、努力するわ」
「ん。応援しとっと!」



決して自分は世間の健康ブームに乗ったんじゃない。可愛い恋人と一日でも長く幸せな時間を過ごす為だ。
そう言い聞かせながら渡邊は、ゴミ箱へとポケットの中の煙草を、投げ入れた。


そんな渡邊の行動に、千歳はまた満足そうに、幸せそうに笑った。




End.






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