半年という月日は、予想以上に長かった。

今まで土方が熟していたものは近藤をはじめとする他の上役に振り分けられた。
沖田へも勿論、その負担は来た。
いや正確に言うと、本来近藤が見るはずの書類や隊士ら本人が書くべき始末書を、今まで土方が全て請け負ってくれていただけで、個々の仕事がきちんと回ってくるようになってしまったと言ったところだ。

サボったら追いかけてくる人物がいない。
居眠りしても怒鳴り散らす人物がいない。
唯一沖田と互角の口争いをしてくる人物が、いない。
本来ならば清々するはずなのに、どういうわけか沖田の心はそのことに物足りなさを感じていた。
更に隊内で職務中に煙草を吸うような度胸のある者や、それ以前にそれほどのヘビースモーカーなどあまりいないせいで、毎日嗅ぎ慣れていた煙草の匂いも最近ではめっきりだった。副流煙がどうだと彼を馬鹿にしていた時が懐かしく思えるほど、その事実が余計に心寂しい気分にさせた。

こんな気分になるのはおかしい。
そう思うのだけれど、やはり土方がいない日々は落ち着かない。
虐め甲斐のある存在がいないだけで気が滅入るとは、自分の性癖を少し見直さねばならないかもしれない。

「さみぃ」

こんな季節の巡回は本当に嫌だ。
愛用中のマフラーを巻いているだけでは事足りず、沖田は悴む手に昨日箱買いしたホッカイロを握りしめていた。それでも寒い。もう理屈じゃない。寒いものは寒いのだ。
せめて温かいお茶の一杯でも体に流し込みたい。

「あ、ねぇ土方さん。あそこで一服……」

横を向いて言い掛けて、ハッと我に返る。
慣れとは恐ろしい。
沖田は冷たくなった唇を噛み締めた。
ぴり、と瞬間痛みが走ったのは、カサついた唇が切れたからだろう。

今土方は、いないんだ。

目の前には、土方と巡回の度に入りたいとせがむ茶屋。
奢らせるだけ奢らせて、その後サボりに出かけるのが土方との巡回における通例だった。
習慣とは恐ろしい。
いるはずもない相手に話をかけるなんて、滑稽以外の何物でもない。
そんなものただの独り言だ。
でも今はそれを笑ってくれる人もいない。
今日の巡回パートナーなどとっくに巻いている。
なんでこんなにも惨めな気持ちにならねばならないのか。
……全ては彼のせいだろう。
彼がいないのが悪い。
沖田は勝手にも責任転嫁して苦々しく舌打ちした。

「ちくしょー土方……」

ぽそりと呟いた言葉は、白い息とともに寒空へと消えて行った。












.....


夜、やりたくもない書類と向き合っていた時。
丁度時刻は21時を迎えた頃だった。
沖田の携帯が、鳴る。
こんな時間に誰だろうと、筆を片手に差出人も確認しないまま通話ボタンを押した。

「へぇ、今忙しいんですが」
『……総悟、か?』
「え……?」

機械越しの声は、少し遠慮がちだ。
それでも誰かなんて、すぐにわかった。

「ひ、じかたさん……?」
『おう。……あー……忙しいんならいいんだ。また後でかける』
「いやいや後でかけられる方が鬱陶しいんで今でいいです」
『オィイイイ!ひでぇなお前!』
「ぶっ」

いつもの調子の土方に、沖田は思わず笑ってしまった。
受話器の向こうでは、てめぇ何笑ってやがると喚く声が聞こえる。
ほう、取り敢えず元気らしい。

「なんの用でぃ」
『いや……上手くやってんのかと思ってな』

……あぁ、なるほど。
この人は誰でもよかったのだろう。
隊の様子を知りたかった、ただそれだけ。
沖田は手に持っていた筆を置いて、小さく唇を噛んだ。
彼の目的が隊のことだとわかった途端、なんでか面白くなくなった。

「なんなんでぃ。屯所の様子が知りてぇんなら屯所の電話鳴らしなせぇ」
『あ?そしたらお前が出るかわかんねーだろうが』
「……別に俺が出なくてもいいだろぃ」
『なんでだよ。お前に用があって電話してんのに、お前が出なきゃ意味ねぇだろうが。……まぁ、屯所の近況は近藤さんからだいたい聞いてる。あの人とは頻繁に連絡取り合うようにしてっからな。今日はお前がちゃんとやってんのか気になって電話したんだよ』
「……っ」

きっとその言葉に、他意はない。
それでも嬉しいと思ってしまう自分はなんなんだ。
こうして仕事以外の用件で土方が沖田の携帯を鳴らすことなんてまずない。
いきなりこんなことを平然とやってのける彼が、恨めしい。

『……迷惑、だったか?』
「そうですねぇ、珍しく集中して書類に向き合ってたんでねぇ」
『う……すまん』
「いえいえお気になさらず。時間ロスした分はアンタが帰ってきてからやらせやすんで大丈夫です」
『いやいや自分でやれよちゃんと!!』

言外に早く帰って来いと言っているのだと、彼は気付かない。
それでもいい。それでこそ彼だと、沖田は心の中で苦笑した。
自分も大概単純だ。落ちていた心が一気に上昇していた。

「まぁ取り敢えず俺ぁ元気ですぜぇ。アンタがいなくて生き生きしてまさ」
『失礼だなお前!!ホント可愛くねぇ!!……まぁなんつーか、元気ならよかったわ。お前寒いの駄目だろ?最近マジで寒くなったきたから、ちゃんとあったかくしてんのかとか気になってよ……』

なんだよそれ。
そんなの、反則だ。
これ以上舞い上がらせてくれるなよ。

「……心配されずとも元気でさ。少なくとも地下に閉じ込められて風邪引いちまうような弱っちい身体じゃないんで」
『なっ、思い出させんじゃねぇよ!本当に腹立つなお前!』
「ほんとのことでしょうや。つーかアンタこそマヨと煙草ばっかでおかしくなってやせんかぃ」
『あ?あぁ。出される食事もこっちは格段にいいしな。大した仕事するわけじゃねーから疲れねぇし。規則正しい生活ってのを送ってるよ』
「そうですかぃ」

その言葉に偽りはなさそうだ。声を聴けば、土方の具合などある程度はわかる。
隠すのが上手い人だけれど、こちとら伊達に彼と時間を共にしてきたわけではないのだ。

『でもよ……』
「なんでぃ」
『やっぱ少し物足りねぇな。せめてお前も一緒にいりゃあよかったんだがなぁ』
「っ、」
『まぁ俺の勝手で誰か連れてくとかそんなこと、できるわきゃねーんだけどよ。やっぱよぉ、なんか怒鳴る相手がいねぇっつーのは―――』

その後も何やら言っているが、よく頭に入ってこない。
沖田の脳内には、土方が述べた先刻の言葉で埋め尽くされていた。

物足りない。
お前が一緒だったなら。

そんな言葉をさらりと言ってしまえる土方。
なんて狡い人だ。

『まぁそもそも俺とお前がいなかったら真選組は、』
「ねぇ土方さん」
『あ?どした』
「俺もねぇ、からかう相手がいねぇとどうも調子狂うんですよ」
『……おう、そうか』
「で、なんかむかむかするからそのまま死ね」
『あぁ!?なんだそりゃ!!!どこまで俺に殺意抱いてくれちゃってんだよてめーは!!』

楽しい。
言い合ってるだけなのに。
なんでこんなに心が満たされるんだろう。

欲しいままに、望む言葉を返してくれる土方。

あぁ、なんて虐め甲斐がある。
でもやっぱり面と向かって嬲る方が楽しい。



早く、早く。

帰ってきたらいいのに。








・・・




どれだけ話をした頃か。
土方のいる部屋にお呼びがかかったらしい。
どうやら酒の席に呼ばれたようだ。
沖田は先日目の前で繰り広げられた光景を思い出し、酒はほどほどにすることを教え込んだ。
酔ってエロ上官にでも襲われたらと思うと気が気ではない。
土方は沖田の言葉に渋々ながらも電話越しに頷いて見せた。
お前に酒のことでとやかく言われるのは釈然としねぇけどな、などと小言を言っていたが、そんなのは知らない。
注意されるような一面を沖田に見せた土方が悪いのだ。
結局次の日には前日のことを何一つ覚えていなかった土方のお気楽さには怒鳴りたくなる。
何か事が起きてからでは遅いんだ。

「わかりやしたね?飲み過ぎんじゃねーですぜ」
『おうおうわかったよ。まぁまた電話すっから今日は切るぜ』

土方はまたしても小さな爆弾を落とした。
また電話を寄越すだなんて、そんなの。

『総悟?』
「電話、ねぇ」
『あ……やっぱ、迷惑か?』
「あ、いえ。でもんな暇あったら、早く帰ってきなせぇ。こちとらアンタがいなくて厄介ごとが全部回ってきてんですよ。一秒でも早く戻ってこいコノヤロー」
『……おう、そうだな』

嫌味だったつもりだが、土方はどこか嬉しそうな声を出して通話を切った。
話す相手がいなくなり、部屋がしんと静まり返る。
時計を見れば、最後に時間を見た時から一刻以上過ぎていた。
終わらせなければならない書類があると言うのに、とんだ時間ロスだ。
けれども沖田は尚も、時間を無駄にする気でいた。

書類をそのままに立ち上がり、ここ最近めっきり足を運んでいないそこへ向かった。

通い慣れたその部屋の戸を、開く。

“おう、なんだ”

そう言って出迎えてくれる人は、今いない。
まるで死人のことを想っているようだと、思わず苦笑する。

誰もいない、副長室。
それでも彼の匂いは染みついている。

ぶわりと香る煙草の匂いが、沖田を知らず安心させる。






恋しい、だなんて。
あほらしい。






握り締めた携帯がまた鳴ることを切に願っている自分に、あぁもうこりゃあ誤魔化せねぇなと苦笑しながら、寒々しい畳に転がって目を瞑った。

「はやく……かえってきなせぇ」













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