「「最悪だ……」」 被った呟きに、二人で顔を見合わせまた溜息を吐いた。 数日ほど前、真選組が前から目を付けていた攘夷浪士の一派に関する、有力な情報が手に入った。 規模としてはかなり小さい一派だが、なかなかその全貌を掴ませないやり手の集団だったため、今回の討ち入りには気合いが入っていた。 念入りに相手の人数や潜伏場所、その他諸々を調べ上げ、彼らが会合によく使っている屋敷へ突入する日がやってきた。 山崎曰くアジトの場所を雲隠しするために、普段からアジトではなく様々な場所で落ち合っているらしい。 土方が立てた作戦は完璧だった。 計画通りに事は進み、殆どの浪士達を捕らえることに成功した。 しかし今回の本題はそこではなかった。 彼らの検挙も勿論だったが、真の目的は彼らのアジトそのものにあった。 他の場所での密会をしている時にアジトへ乗り込めば、アジト自体の敵の人数は手薄と考えられた。 上もこの一派には手を焼いていて、前々からアジトを押さえることを提示してきていたので、今回の任務は気は抜けないものになっていた。 そこで会合に使われているとされた屋敷突入組と分かれアジト突入という重要任務にあたったのは、沖田を始めとする一番隊数名と、この作戦の指揮を執っていた土方だった。 予めアジトの場所は山崎が凡そ調べていて情報はある。 屋敷に潜伏しているであろう人数を考えるとアジト乗り込みに人員を割くわけにはいかず、土方の独断と偏見で腕のいい者を取り敢えず数人、ということで選ばれたのが沖田らだった。 そこまではまぁ、よかった。 「情けねぇ……副長と隊長が揃って軟禁状態かよ」 いつの間にやら敵アジトの地下に、仲良く閉じ込められた沖田と土方。 しかしこれは敵の策略なんかではなく、二人が勝手に閉じ籠ったと言った方が正しい。 今回の一派は、火薬やそれを使った爆撃に関する知識に長けた人間が多くいたことがわかっている。 故に過去爆破テロといった類を数度繰り返していた。 その火薬の一部に使われている薬品が非合法のものである可能性も出ていて、その出所や薬品を格納している場所ーーーアジトを突き止める必要があった。 それこそが今回の真の目的である。 念入りに山崎が調べた情報を頼りに行ってみれば地下深くにアジトが存在していて、なるほどこれでは今までなかなか見つからないわけだと納得した。 予想通り敵の姿は殆どなかった。 数人いた見張りらしき者など、一太刀でどうにでもなった。 爆発などの万が一を考えた土方は一人で地下を探ることを決め、他の隊士は上で待たせておくことにした。 しかし沖田は面白そうだと言い、危機感ゼロの顔でついていく気満々だった。 『くれぐれも暴れんなよ。バズーカなんてかましたら大爆発だぞ』 『へぇへぇ』 土方はめんどくさそうにしながらも、そんなやり取りをした後は大した文句を言わなず、同行することに異議を唱えることはかった。 『うえぇ……っ、なんつー臭いでぃ』 最初こそ上機嫌だった沖田だが、地下に入るなり鼻を突く火薬類の臭いに不快さを露わにした。 沖田はあまりの異臭にくせぇくせぇと連呼し、土方もまた頷きながら顔を歪めていた。 やがて薬品庫を発見し、山崎が収集した情報を頼りにその扉の暗証キーを解除して中へ入った。 中にはびっしりと爆薬制作のための諸々があり、その光景はいっそ吐き気さえ催させるほどだ。 この時までは順調だった。 場所は特定できたのだから、後は処理班に連絡して片付ければいいだけだった。 しかし一先ず上に上がるかと二人で話していた時に、特定の時間で発動するらしい防犯装置が起動し、あっという間に扉が閉まってしまったのだ。 特定の暗証番号を入力しない限り、中から外へと脱出するのは不可能らしい。 試しに先程中に入る際に使った番号を打ち込んだりもしたが、すげなく弾かれた。 薬品を多数取り扱う場所とあり、重厚な壁と扉で覆われているため刀一つでどうにかなるものでもなかった。 それよりもこの時代にこれほどまでに精密な施錠が可能なシステムを持ち得ていることが問題だった。 やはり天人の類と深く繋がっている一派なのかもしれない。 ますます厄介なことになった。 それでも取り敢えず今は、地上で屋敷組が上手くやりこの一件自体は片がついているはずだから、此方はこちらで、落ち着いて自分達の身の保全をどうするか考えねばなるまい。 しかし地下ということで開いた携帯は役立たずで、遅い帰りを怪訝に思った仲間が様子を見にくるのを待つ以外の選択肢などなかった。 (敵の陣地でじっとしてろなんて自殺行為もいいとこだぜィ) 恐らく上の隊士達若しくは土方命の山崎辺りがすぐさま姿を現すだろうが、居心地が悪過ぎてあまり長居はしたくないのが本音だった。溜め息を吐きながらふと土方を見やれば、彼も仕方ないとさっさと諦めたらしく、落ち着いた様子で胸元から煙草を取り出し、それを口に咥えてライターに火を灯し出した。 「ん……火ィ点くな。空気は通ってるみてぇだから、酸欠なんかで死ぬこたぁねぇだろ」 火薬に囲まれた場所で暢気に火を扱う男の肝っ玉には恐れ入る。 沖田は土方から距離を取った位置に腰を下ろし、今日は殆ど可愛がってやれなかった刀をゆっくりと腰から引き抜いて地面へ落とした。 まさかの土方と密室に二人きりとは、なんとも居心地が悪い。 普段は構い倒すが、いざこうして面と向かってしまうと、どうしたらいいものかわからない。 沖田はポケットからガムを取り出し、口の中へ放り投げた。 包んでいた銀紙をその辺に放り、口内に広がるグレープを堪能する。 もともとあまり食事を摂る方ではないので、多少の空腹を感じてもガムがあれば1、2日は余裕で耐えられる。 万が一という状況になっても、恐らくは生き延びることがきでると思う。 問題はそれよりも、この寒さだろう。 激しい殺り合いが見込まれる任務において、戦闘の妨げになるだろう防寒着を身に着ける馬鹿はいない。 ともすれば土方と沖田は、平生通りの隊服姿である。決して薄い生地でできているわけではないが、冷気は面白いくらいに肌を突き刺している。 「っくしゅ、」 思わず出たくしゃみは、我ながら相当控えめなものだった。 それでもこの小さくて物音一つしないような空間では、同じ場所にいる者に聞こえないはずはない。 「……こっち来い馬鹿。さみぃだろうが」 土方はこちらを見ることなく、煙を吐き出しながらなんでもなさそうに言った。 敢えて素気なさを装うそれこそが土方の優しさなのだと、沖田は悔しくも知っている。 そのさり気無い気遣いに、今まで何度助けられたことだろう。 「嫌でさァ。アンタに近付いたら煙草とマヨ臭くなりますぜ」 「この状況で文句言ってんじゃねーよ」 土方は億劫そうに立ち上がると、こちらへ近づいてくる。 決して広い空間ではないので、すぐさま土方は隣までやってきた。 「俺がさみぃんだ。我慢しろ」 「……」 土方は沖田の隣に腰を下ろす。 だがその距離は、肩が触れるか触れないかの位置だ。 彼なりにくっついては沖田が本気で嫌がるのではないだろうかという懸念があるからなのだろうが、これでは離れている時と大差ない。 沖田は焦れて、その肩をぐっと肩を引き寄せた。 トン、と当たった土方の肩に嫌悪するかと思ったのに、実際は安心感だけがじわりじわりとそこから伝わって来た。 「ちっ、俺の服がマヨったらアンタのせいですぜぇ」 「……うるせぇ。つかなんだマヨるって。変な造語考えてんじゃねぇ」 「えへへ、それほどでも」 「褒めちゃいねぇよ馬鹿」 土方はどこか気まずげに言葉を発するが、嫌ではなさそうである。 沖田は沖田で、口は残念ながら悪態しか吐いてはくれないが、心と体は芯から温まるような感覚を覚えていた。 こうして触れるなど、いつ以来だろう。 記憶にある頃から既に、土方との差は厭と言うほど感じていた。 そしてそれは今でも変わらない。 肩幅の違い、掌の大きさの違い、身長の違い、包み込める温かさの、違い。 全部全部、土方の方が大人なのだと思い知らされる。 多分触れることで余計にそれを感じてしまうから、無意識の内に接触する機会を減らしていたのだと思う。 どんな時でも土方は、沖田の上を行く。 いつだって彼の方が大きい存在だ。 例えこうして、沖田が抱き寄せていたのだとしても。 「ねぇ、震えてますぜ。そんなにさみぃですかぃ?」 「あぁ?……気のせいだろ。武者震いだ」 「阿呆かアンタは」 「お前こそ震えてんぜ」 低俗すぎるやり取りに苦笑せざるをえない。 でも寒さに弱いのは仕方ないことだ。 真冬になると着膨れする沖田は、酷く寒がりなことで知られていた。 以前そんな沖田を見兼ねた山崎に貰った湯たんぽや、近藤がくれたふわふわソックスを、実はこの時期相当重宝していたりする。 そして同じくらいに土方が寒がりだということも知っている。 今でこそ強がってあまり防寒対策をしない土方だが、武州時代の土方を知っている者ならば彼が寒さに弱いことは把握済みだろう。 「くそ、さみぃでさ」 「情けねぇな」 「うるせぇぞこのやろー」 口は元気だが、それでも寒い。 ぶるり、と身体を震わせると、土方は自分だって寒いくせに自らの上着を沖田の肩にかけてきた。 瞬間香る、土方の匂い。 煙草臭い、それでいて優しい大人の男の匂い。 「……ニコチンくせ。なんの真似ですかぃ。つかマヨるんで余計なことはよしてくだせぇ」 「うるせぇ。黙ってあったまってろや」 「けっ」 そう言いつつも、上に掛けられた温もりを突き返せない。 不意にアンタが風邪引きやすぜ、と言い掛けて、でもなんだか彼を心配してるみたいなその発言を口に出すには気が引けた。 勝手にやっていることなのだから、患うなら患えばいい。 沖田はフンと鼻を鳴らしてそれきり黙り込んだ。 ・・・ 「くぁ……」 一時間ほど経過した頃だろうか。 不意に隣から小さな欠伸が聞こえた。 疲れているんだろう。 一時小さな案件ばかりだったために、それの反動なのかここの所大きい捕り物が多くて、この人は碌に休んでもいないのだ。 もともと食事も睡眠も思い出した時に摂るような馬鹿だ。 放っておいたら死人同然の顔をしていることも珍しくなくて、山崎が茶に睡眠薬を含ませて無理矢理寝かせることもよくある。 今もどこか虚ろな目が酷く痛々しくて、沖田は土方の頭を引っ掴んで無理矢理に自分の膝の上に押し込めた。 「ぶへっ!いてぇぞてめぇ!何すんだ!!」 「寝なせぇ土方さん。さみぃがちょいと眠ったって凍死しやしやせんぜ」 「……」 沖田はそっぽをむいて、それだけを告げた。 なんだかんだでこの人に倒れて貰っては困るのだ。 上に立つ者なのだから、自覚して欲しい所である。 起こさせないとばかりにその体を固定すると、土方が小さく笑う気配がして、それきり静かになった。 ゆっくり下を見やれば、長い睫毛が下りている。 沖田はサラリと流れる黒髪へ、無意識に手を伸ばした。 長さは違えども昔と変わらない、その髪質。 サラサラとした、綺麗な黒髪だ。 「……欲求不満なのかねぃ、俺ァ」 ぼそりと呟いたその一言は、既に微睡んでいる土方の耳に届くことはない。 こうしてどうとも思っていない上司の熱を感じたぐらいで、こんなにも胸が高鳴っているなんて信じたくない。 きっと久し振りにこうして触れあったからなのだろう。 そうでなければこの想いの説明がつかない。 「……おやすみなせぇ」 控えめに立てられ始まった寝息に、沖田は酷く安堵するのを感じる。 その安心は何からくるものだろうか。 この男が漸く睡眠をとってくれたという事実からか。 それともなんだかモヤモヤしたこの想いを悟られないで済んだという事実か。 はたまた彼が自分の膝の上で気を許してくれたのだという、その事実と信頼にか。 何にせよ悪い気はしないから困る。 でも彼が心を開くのは、決して自分だけでないのだということもよく知っている。 「アンタは誰にだって、ちょいとばかり心を許し過ぎる……」 その呟きは、やけに切なく響いた。 沖田は肩に掛かっている土方の上着、そして自らの上着の2枚を、眠りについた土方の体へ掛けてやった。 瞬間感じた寒さは、膝の上にいる湯たんぽで凌げるだろう。 最悪潰れるくらい抱き締めて暖を確保すればいい。 沖田は山崎らが助けに来て土方が起きるまで、その寝顔を飽きることなく見つめていた。 |