W.




「…………………」

 沈黙。静寂。
 ……あ、なんか頬が冷たい。
 意識が戻ってから霞凪が初めに思ったのが、これだった。

「……痛ててっ、と……くそ……何がどうなったんだ……?」

 何故か痛む体のあちこちに顔をしかめながら、霞凪は立ち上がった。だがしかし、まだ万全の体調ではなかったようで足がよろめき、ふらりと近くの建物の壁に寄りかかる。
 ……建物?壁?

「……あれ?オレ、何やってたんだっけ……」

 違和感を覚え、霞凪は首をかしげた。
 自分は肝試しに来ていたはずで、それで何故か本物の化け物が現れて――

「…………っ!」

 そこまで考えてから、やっと霞凪は何が起こったかを思い出した。
 確か自分は喰われたのだ。あの妖怪に。

「ってことは、ここはあいつの胃の中……って感じもしねェよなぁ、どうにも……」

 状況を再確認したはいいのだが、どうしても記憶の先と今のこの状況が結びつかない。どうやらここも夜らしく、月明かりこそあるものの辺りは暗い。そして、誰もいない。誰も来ない。周りを見渡すと、どこか洋風な街並みが並んでいる。倒れていた時に頬が冷たかったのは、地面が石畳みだったからだ。
 ……何故、妖怪の腹の中に、こんな街が広がっているのだろう?

「……ああ、つまりアレかな……死んだのかな、オレ……」

 一人、風に消える程の声で呟く。まあ、妖怪に喰われて既に死んでしまったというのなら、それも納得できる気はしなくもないが。だとしたら、ここは天国と地獄のどちらなのだろう。生前、自分はそんなにいい人物ではなかったと思うので、地獄の方だろうか。

 (まさに、ここは地獄の一丁目……ってとこかよ……。どうでもいいけど、誰か案内寄越しやがれ)

 独り言は何か虚しかったので、今度は心中で呟くにとどめた。
 と、その時──

「……!」
「…………追え、早く捕まえろ!!」

 ばたばたと、なにやら人のざわめきが聞こえて来た。
 ――地獄の案内人? にしちゃあ、随分と慌ただしいな……。
 ぼんやりと霞凪がそんな事を思った、その瞬間、
 微かな風切り音がして、月明かりが一瞬、遮られた。ふっと霞凪が上を見上げると、走る人影があった。家々の屋根伝いに。

「なっ……!?」

 呆然として見上げながら立ち尽くす霞凪と、ふと下を見たその人物の視線がかち合う。次の瞬間、謎の人物は屋根をとんっ、と跳躍すると、そのまま音もなく霞凪の横に着地した。

「っ!?」

 霞凪は驚きのあまり、思わずまじまじとその人物を凝視してしまう。肩ほどまでの長さの髪。目元を隠すマスクの向こうの瞳は、戸惑いの色こそ見え隠れするものの、悪意や邪心といった負の感情は全くない。服装は、中世を思わせる上着に、ズボンの膝から下をブーツに入れていた。
 その謎の人物が、霞凪に問う。

「こんな所でどうしたんだい、少年。迷子かな?」

 柔らかい、男の声だった。霞凪は、少し混乱しながらも答える。

「えっと……ここは地獄ですか?」

 我ながら、間抜けた事を聞いているなと思った。
 男は、戸惑った様子で答える。

「地獄……ね。まあ今の状況は私にとっては、ある意味地獄と言ってもいいかもしれないが……」

 男の言葉が途切れた。再び訪れた空白の中に、ざわめきと足音が大きくなる。

「おや……追いつかれたか」

 軽く眉を上げ、だが地獄というわりには楽しそうに、男は言った。

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