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単に買い物から帰ってきただけのわりには上機嫌な霞凪を、蓮祇は不審そうに見やったが、特に何も言わなかった。そして霞凪はその後も何かと口実を作り、夜な夜な不良たちを叩きのめしていた──のだが、
そうそう何回も上手く行かないのが、世の理である。
「ただいまー……っと、蓮祇さん、帰ってたんですか」
ある日の昼間、最近入り浸っている芳滝花屋から霞凪が帰ってきてみると、自分よりは早く家を出ていたはずの蓮祇が既に家におり、ソファーに座り込んでいた。それだけならいいのだが、なんとなく彼の雰囲気から機嫌の悪さが窺える。これはあまり関わらずにさっさと自分の部屋に戻ろうかな、と思っていると、
「……霞凪」
口調もいつもの五割増しくらい不機嫌な声で、呼ばれた。
「……はい、なんでしょう」
とりあえず、おとなしく向かいのソファーに座る。蓮祇は、淡々と霞凪に質問した。
「……おまえ、最近夜に出かけて何やってんだ」
ああ、とうとう来たか……と、やや気まずさを覚えつつ、一応はぐらかしてはみる。
「何って、買い物に行くって言ってるじゃないですか」
その返答に、蓮祇は深くため息をついた。
「……じゃあ、質問を変える。おまえ、何で一日に2リットルも牛乳を飲むんだ? というかいくら好きだとしても、どうやったら一日に2リットルも牛乳を飲む気になるんだ?」
牛乳2リットル、というのは、近日霞凪が『牛乳を買いに行く』という名目ででかけられるようにするべく、せっせと消費に取り組んでいる内容である。
元々牛乳は好きで、どんな料理でも牛乳で胃に流し込めるくらいには飲むことに抵抗はないとはいえ、正直2リットルはきつかった、というのが実情だったりする。しかし、不良との喧嘩にでかけることを考えると、やはりきつくてもなんとか飲みきってしまいたくなるのだった。
夏、という季節柄も手伝って、牛乳をがぶ飲みする様子は今までは看過されてきたのだが、そろそろ誤魔化しきれなくなったらしい。うーん、と霞凪は少し考える。
「あれです……成長期って事で」
「何が成長期だ……おまえ、幻術師がどういう職業か、きっちり覚えてないだろ」
呆れた様子の蓮祇に、「そりゃ、他人に幻覚を見せる人って」と霞凪は即答しかける。が、そこでふと、あることを思い出し、言葉を止めた。
初めてこの家に来た時、何故霞凪は誤認逮捕を免れたのだったか。
「……あー……」
流石に答えに窮し、霞凪の視線が泳ぐ。そうだった。幻術師は人の嘘がわかるのだった。
追い打ちをかけるように、蓮祇は言葉を続ける。
「それに、幻術師が入用な相談事ってのは大概、事件かそのなりかけみたいなもんだからな。情報網の広さがものを言うようになるからその伝手ってのは大切だ。つまり」
「……ハイ」
今度こそ、核心を突いた疑問が突き付けられた。
「そこらへんの不良どもを、しばき回してるらしいな」
「あ、バレましたー?」
「バレましたじゃねーよ!!」
開き直っていっそ爽やかな笑顔で言い切った霞凪に、蓮祇はだんっ! と拳で机を叩く。
「なんでおまえは厄介事を持ち込んで来るんだ? 世話してやってる恩をあだで返す気か?」
「心外ですね、オレもそこまで図々しくないですよ。むしろ蓮祇さんも含めてこの街への恩返し的な」
霞凪の言葉に、蓮祇は言い返したい文句がたくさんあるようだったが、一つため息をつくと、一旦口を閉じた。そして、霞凪に言い聞かせるように、ゆっくりと説明し始める。
「……あのな。不良ってのは大抵が群れだ。これはわかるな」
「……はい」
霞凪は、蓮祇の言葉の真意が読めなかったが、とりあえず神妙な顔で頷いた。
「で、不良ってのはやたらと執念深い。これもわかるな」
「はい」
「そんな不良どもが大量に集まっておまえに報復しようとしたらどうなる?」
「全部ぶちのめします」
「バカか!! 五、六人とかそういう単位じゃねェんだよ!!」
眉間の皺を深くして声を荒げる蓮祇に、おそるおそる霞凪は申し立ててみる。
「でも、十人程度なら昨日も倒してきましたけど……」
流石に素手では倒しきれなかったので、敵の一人が持っていた棒を奪い取ってから、全員叩きのめしたのだが。
そんな霞凪の様子を見て、蓮祇は片手を額に当てた。最早やる方なしという表情だ。
「……もういい。今日から三日間、おまえは外に出るな」
「……えぇー……」
「ええーじゃねえ、自業自得だ」
霞凪はがっくりとした声を上げたが、蓮祇は当然のように聞く耳を持たない。
仕方なく霞凪が、部屋の窓から脱出でもしようか、と考え始めた時、
――ギンゴーン、とインターホンが鳴った。
その音に霞凪は立ち上がって玄関に行きかけたが、
「いい、俺が行く」
先に蓮祇に制される。行き場をなくした霞凪はソファーに座り直した……が、見ているとどうも蓮祇の動作がおかしい。数歩前進しては立ち止まって玄関の様子を窺い、また数歩進んでは玄関を窺っている。
「……何やってんですか?」
何回目かの小休止の時、流石に見かねて霞凪は蓮祇に訊いた。蓮祇は仏頂面で答える。
「もし硝子だったら、玄関蹴倒されるからな……そうそう何回も巻き込まれたくねえし」
それを聞いて、霞凪は蓮祇との初対面の時を思い返してみる。……あの時なかなか出て来なかったのは、これが原因だったようだ。
──つーか、下手に警戒せずに、さっさと出れば双角さんにも蹴倒されないんじゃ……?
そんな霞凪の考えと同調するかのように、再びインターホンの音が響いた。途端に蓮祇は普通に歩き出し、がちゃりとドアを開ける。どうやら双角の場合だと、連続でインターホンが鳴らされる事はないらしい。
「……はい?」
ドアの向こうの相手に、蓮祇が短く問う声が聞こえた。
霞凪は客が誰なのか見ようとしたが、蓮祇の姿に隠れてしまい、よくは見えない。
「えっと、幻術師の二条会蓮祇さん……ですよね」
来訪者と覚しき声は、少しおどおどとした、若い女性のものだった。
「そうですが。……依頼かなにかで?」
蓮祇の問いに、どうやら女性は頷いたようだ。「……こちらにどうぞ」と蓮祇がドアの隙間を広げる。ここに通されるんだろうな、と霞凪は推察し、邪魔にならないよう再びソファーを立ち上がり、そのまま自室に戻ろうかと思ったが、ふとある事を思いつき、台所へと紅茶セットを取りに行った。
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