T.

 よく晴れた、ある日の午後。

「……ま、」

 雲一つない晴朗な空とは裏腹に、霞凪は暗い顔で、重い空気をまとっていた。
 ため息と共に、言葉を吐き出す。

「迷ったー……っ」

 現在春宮霞凪は、大絶賛迷子中であった。



 蓮祇の家に居候することになり、一夜が明けた翌日である。家にこもりきりというのもなんだし、とりあえず家の合鍵ももらったから、ちょっとだけ一人ででかけてみるか、と踏み出してみればこのざまだった。本来なら誰か知り合いとでかけるのが当然だろうとは思ったのだが、双角は仕事で忙しいようで頼むに頼めず、蓮祇は用事があると言って、先に一人ででかけた。何時に帰ってくるかは言わなかったので待ちぼうけになってもなんだし、と考えて外に出たのだが、今にして思い返せば、素直に蓮祇の帰りを待っていれば良かった。なんで家にいろって言わなかったんですか蓮祇さんー、と八つ当たりを自覚しつつそんな恨み言をちょっとだけ考えもしたのだが、もし一人で外出して迷子になったところで、警察に行けば保護してもらえ、その流れで双角に伝わると思っていたのかもしれない。まあ双角に伝わらずとも、そこにいる警官がおそらく丁寧に教えてくれるだろうことは、霞凪でもおおよそ想像がつく。
 問題は、その交番すらもどこにあるかわからないということだ。

「だめだー……全ッ然わかんねえ……」

 がくりと肩を落とす。辺りを見回した所で蓮祇の家がそこに出現するわけではない、とわかってはいるのだが。
 どうしたもんか、としばらく悩んだ結果、

「……お店とかに行って、店員さんに聞いたら教えてくれるかなー……」

 ややげっそりした表情でそう独りごち、とりあえずは道を訊けそうな店を探すか、という結論に至った。
 幸い、ここはわりと都心部のようで、店舗には事欠かないようだ。ファミレスや本屋のような店も見当たる。だが、こう、大きい店だったり、小さくても客の出入りが多く、忙しそうな店には、なんだか行きづらかった。

「こう言っちゃ悪いが、店の規模が小さくて、暇してそうな店がいいよなぁ……」

 まあもう迷子だし、と開き直って街のあちらこちらを気の向くままに散策しながらそんな店を探すこと十数分、ふと、甘い香りが漂った。
 甘いと言っても、菓子類のような甘さではない、この匂いは、

「……花?」

 なんとなく気になって、香りの元を見つけるべく周囲をぐるりと見渡してみる。と、一軒の建物が目に止まった。
 店、それも小ぢんまりとした店舗だ。ひさしには『芳滝花屋』の文字。実際、店の前にいくつか花を生けた水鉢がある。先ほどの香りはそこの花々だろう。
 ──花屋、か。
 扉は開け放たれており、それとなく中の様子を窺ってみたが、客が出入りしている様子はない。ひとまずここで尋ねてみるか、と霞凪はその花屋に、足を向けた。
 おそるおそる、店内に足を踏み入れる。同時に、新しくふわりと何種類もの花の香が薫った。それでいて、匂いが混ざりあって悪臭になる、ということはない。薫らせる花の種類にも気を使っているのだろう。
 実際、店内にも色とりどりの花が見受けられた。そして、それを手入れしている一人の女性の姿。
 ここの店主、だろうか。

「あの……すみません」

 遠慮がちに、霞凪は彼女に声をかけてみる。
 女性は手を止め、霞凪を振り向いてゆったりと微笑んだ。

「……ああ、すみません……こちらに集中してしまっていて……いらっしゃいませ……」
「あの、えっと……客じゃなくて大変申し訳ないんですけど……ちょっと道に迷ってしまって」

 恐縮しつつも、そう言ってみる。女性は、あら、というように苦笑した程度で、嫌そうな素振りはしなかった。

「それは、大変ですね……どのあたり、でしょうか……?」
「えっと、そうですね……」

 蓮祇の家周辺の特徴を話すと、女性は心当たりがあるように頷いた。

「ああ……そのあたり、ですね……少しそちらで、お待ち頂けます……?」

 そちら、と指された方向を見やると、やや奥行があり、そこに四角いテーブルが一つに、囲むように椅子が四つ、そしてこぢんまりとしたカウンター席も備えつけてあった。小さいですが、カフェも兼業しているのですよ……、と女性が説明する。
 言われた通り、机の方の椅子に座って待っていると、女性が店の奥から何か書かれたメモらしき紙を一枚、一緒に白い陶磁のカップを運んできた。暖かいながらも爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。

「この店特製の、ハーブティーですが……宜しければ、サービスですので……どうぞ……」
「え、本当ですか!? うわあ頂いてしまってすみません、ありがとうございます!」

 嬉しい驚きに顔を輝かせ、霞凪は目の前に置かれたカップに手を伸ばした。さっそく一口飲んでみる。
 ──美味だ。おそらくインスタントのものではない、素材を厳選して淹れられたものだろう。温度も熱すぎず冷めすぎず、ちょうどいい温かさになっている。最後まで休まず飲み進めてしまいたい程だったが、一気飲みもなんだか失礼な気がしたので、三分の二ほど飲んだ所でカップを机に置いた。

「美味しい、ですね。とても」

 後味も変にべたつかず、すっきりしていて余韻が心地よい。それは良かった……、と女性は笑んだ。

「そして、こちらが……一応、この付近の地理をおおまかに描いてみたものですが……」

 差し出された紙を見てみると、流麗な筆跡で見やすく地図が描かれている。意外なことに、蓮祇の家まではおよそ徒歩十分程度のようだった。どうやら似たような場所を行ったり来たりしていたらしい。


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