次の日、吉継の体はだいぶん調子良くなりました。なんとか手を動かすことができるようになったのです。まだ上半身を起こすことはできませんが、手近なものに手を伸ばし、それを掴むことができるまでになりました。
 そういうわけで吉継がまず掴んだのは、狐の男の美しい尾でした。

「貴様、そんなに食われたいのか」

 吉継が勝手な真似をせぬよう床の傍について番をしていた男は驚いて飛び上がり、尖った犬歯を覗かせながら低く唸りました。尾を掴まれたのがひどく気に食わなかったようで、きらきらの光が少し黒くなっております。

「ぬしは人間を食うのか」
「食わぬ。妖怪は力ある限り食わずとも生きられるからな」
「ならば我は安全よ。ほれ、もうちと触らせよ」
「誰が触らせるものか!」

 ぴょんと立ち上がり吉継と間合いを取る男の姿が可笑しくて、吉継はけらけらと笑いました。男は不機嫌そうにそっぽを向きますが、その雰囲気からして怒っているわけではない様子。昨日出会ったばかりだというのに、吉継もこの男もどういうわけかお互いの調子を掴んでいて、少しばかり気に入り始めたのでした。
 と。ふたりが触らせよ触らせぬの問答を繰り返している間を割って入るように、がらりと部屋の襖が開きました。ふたりはそっくりの驚いた表情をして襖の方を振り向きます。するとそこには男と同じ半人半獣の、丸い耳と尾を持つ雄の狸がおりました。
 狸は男の顔を見、吉継の顔を見、そしてもう一度男の顔を見てから、ひどく可笑しそうに顔を綻ばせました。

「珍しく騒がしいと思って訪ねてみたら、なんだ、件の人間か」

 狸がそう言ったのは部屋の外であったか中であったか。ふ、と狸の姿が消えたかと思うと、気がついた時には床の傍へきて吉継の顔をじいっと眺めていたのであります。

「家康!」
「そう警戒するな。少し見るだけだから」

 何故か怒った様子の男を手で制して、狸は吉継の様子を観察し始めました。狸の纏う光は男のそれと違ってお天道様のように眩しく、その眼も真っ直ぐに光っているものですから、吉継は居心地が悪くて仕方がありません。一刻のような一瞬の後、狸は「なるほど」とひとつ納得した声を出し、驚いた表情で吉継を見ました。

「人間、その病でよくこの世へ迷い込めたな」
「病? なんだそれは」「気づいていなかったのか。すまぬな人間、三成は気が利かぬのだ」

 男は今にも狸に噛み付かんばかり。その表情がまた面白かったものですから、吉継は笑いながら「構わぬ」と言いました。すると狸は吉継ではなく宙の言霊を見て「そうか」と返事をします。妖怪は相手の表情ではなく言霊を見て会話をするようでした。
 狸は他にも飯を食うかとか要るものはないかとか言っておりましたが、吉継はすべて否と答えました。狸の心遣いは大変ありがたかったのですが、どうにも光が眩しくて仕方がありません。それに、必要なものはすべて男が用意してくれておりました。つまるところ『余計なお世話』というやつだったのです。
 そうかそうか、と狸はへらりと笑い、男にひとつ耳打ちをして部屋を出て行きました。それがどのような内容であったのか、言霊の見えぬ吉継にはわかりません。
 狸の足音が廊下から消えた後、ふん、と男は鼻を鳴らして、吉継の傍にしゃがみ込みました。それから吉継の顔を覗き込むようにして、ひとつ命令をしました。

「この妖怪の世にいる限り、私の傍を離れるな」

 もとより足の悪い吉継のこと、自由に動き回ることなどできるわけがありません。しかし男がとても真剣に言うものですから、それにどんな意味があるとしても、逆らうことなどできませんでした。

「あいわかった」

 吉継の答えは一言。男は吉継の眼を見たまま、満足そうに腰を下ろしました。その距離は先ほどよりもずっと近く、尾も警戒を解いてふんわりと横たわっております。吉継はふと思いついて、両手を男の方へ伸ばしました。
 伸ばされた人間の両手は、妖怪の白いかんばせに触れました。さすが妖怪と言うべきか、男の肌は水のようにひんやりと冷えております。きらきらの光が吉継の包帯だらけの指にも移って、両手は蝶の鱗粉のように輝きました。男は驚いて目を見開き、吉継も内心自分の行動に驚いておりました。忌々しい病を患ってからというもの、命に触れたのは初めてのことであります。
 ざわりと騒がしい心の内で、嗚呼やはりこの男の光がいい、と吉継は思いました。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -