運命の意味をご存知でしょうか。……いや、失敬。決してあなたを侮っているわけではありません。辞書を開けば運命について何行か意味が書いてありますが、このお話の中での『運命』とはそういうお決まりのものとは全く違うのです。では何という意味を持つのか、などと野暮なことは問われませぬよう。お話はまだまだこれからです。
 吉継が目を覚ますと、そこは夜霧の中ではなく畳の敷かれた和室でありました。揺らぐ視界に良い色をした檜の天井が見えます。きっと大層立派なお屋敷の一室なのでしょう。
 しばらく目を閉じたり開いたりして、このようなところが天国かと思い始めた頃、吉継の視界の端にさらりと銀の光が目に入りました。霧の中で見たものと全く同じ光です。驚いてそちらを見ると、月光のような柔い光を纏った男がじっとこちらを見つめておりました。
 男、と書きましたが、その容姿は普通の男とは全く違うものでした。日本人が絶対に持たぬ銀の髪から、狐のような銀の獣耳がひょこりと覗いているのです。耳だけではありません、その袴の尻の辺りからは立派な銀の尾が生えております。しかし吉継は男の奇妙な容姿よりも、その鋭い眼に目が離せなくなってしまいました。その瞳は深く暗く、まるであの夜霧の中のようだったからです。

「目が覚めたか」

 ふん、と男は鼻をひとつ鳴らして吉継の傍へと寄ってきました。暗闇で見れば眩しかった銀の光ですが、こうして明るいところで見れば近くとも問題はない、どこか弱々しい光でありました。光に包まれるその銀の姿は、まるで稲荷神の使いのよう。

「我は死んだのか」

 吉継が病で引きつった喉で問いますと、男はまた鼻を鳴らして「死人を部屋に置く趣味はない」とだけ言いました。なるほど死んでいないのか、と吉継は己の体を動かそうと体の節々に力を入れてみましたが、どうにも痛くてうまくいきません。病のせいかと溜め息をついた吉継に、男はしれっと言いました。

「あれだけの高さから落ちたのだ、今日は動けぬだろう」
「動けずとも命はあるというのか。我は幸せ者よの」

 ひひひ、と声帯を震わせて笑った吉継に、男は眉根を寄せました。その眼は吉継ではなく、吉継と天井の間の宙を睨みつけております。そして今にも唸りださん勢いで言いました。

「それは嘘か、真か」
「……言っている意味がよくわからぬが」
「貴様の言霊はいちいち奇妙な色形をしていて判別がつかん」
「言霊?」
「人間には見えぬ」
「ぬしは人間ではないのか」

 男は吉継の言霊を見て、それから吉継の大真面目な表情を見て、ぴくぴくと両耳を震わせました。なんともわかりにくいのですが、どうやら笑っているようです。その顔をじっと見れば、口端も右側だけが微かに震えております。

「面白いことを言う。貴様にはこの姿が人間に見えるのか?」
「ぬしこそどうして我を見て人間と言う。妖怪の類やもしれぬだろう」
「貴様はどこからどう見ても人間だし、同類の匂いがわからぬわけがなかろう」

 同類、という言葉に、吉継は男の姿をまじまじと見つめ直して「ぬしは妖怪なのか」と言いました。男は今度は尻尾まで震わせて笑い、「ここは妖怪の世だ」と声だけは平坦に返事をします。あの日の夜霧も崖も、妖怪の世と人間の世の境だったのです。

「怪我が治るまでは私の部屋に置いてやる。怪我が治れば、すぐに人間の世へ帰れ」

 それだけ言って男はしゃんと立ち上がり、きらきらの尻尾を揺らして部屋を出て行きました。その後ろ姿を見送り、吉継は目を閉じます。一体これはどういう夢なのかと暗闇の中で考えましたが、目蓋の裏に浮かぶのは、さきほどの男の鋭い眼の色だけでありました。


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