黒田官兵衛は文字を書くことを生業としている。古びた原稿用紙に壊れかけの万年筆を走らせ、近頃流行りの短編小説や三文記事などを書いて日々食い繋いでいた。尤も彼に文才はなく、運に至っては皆無に等しいため、食うと言っても自分ひとりでさえ飢えで夜中に目を覚ますほどである。その割には良いがたいをしているものだから、周囲はこぞって労働することを彼に勧めた。
 それでもいつかは名を上げて有名な小説家になるのだと励んでいた官兵衛だが、ここ最近では一日に一度飯を食えるか食えぬかというところまで落ちた。さすがに働くべきかと思ったが、彼は文法以外のものを知らぬ。文字を書くことしかできぬ不自由な人間であったのだ。まるで両手に枷をはめられているようだと己の不自由を恨みながら、次こそはと新しい小説の材料を探すことにした。
 そこで舞い込んできたのが古い知り合いの噂である。妖怪の世へ行き、人間の世へ帰ってきた時にはすっかり狂ってしまっていたのだという。格好の材料であった。その知り合いというのが『再会するぐらいなら死んだ方が良い』と思うぐらい苦手とする男であったのだが、実際目の前に餓死と再会とが転がっていれば、選ぶはひとつである。官兵衛は埃まみれの財布をひっくり返して汽車に乗り、知り合いが入院していると言う精神病院へ見舞いに行くことにした。
 知り合いは名を大谷吉継といい、官兵衛に言わせれば性の曲がった悪漢であった。吉継との思い出は悪いものばかりで、小説の登場人物になどしたくはないが、次の小説だけは絶対に外せぬ。官兵衛は病院へ行く前に吉継についての情報を集めたが、どの人に訊いても返ってくるのは『不気味』という評価ばかりだった。それは多分、吉継が全身を包帯で覆っているからだろう。吉継は重い病を患っていて、足が利かぬ上に全身の皮膚が崩れている。車椅子に乗って戯れ言を吐くその姿は、なるほど木乃伊か化け物のように見えるのだろう。
 しかし吉継の病室へ見舞いに訪れた官兵衛が見たのは、悪漢でもなければ化け物でもない、ただの弱った病人の姿であった。寝台に横たわるその包帯面には生気がなく、病室に入ってきた官兵衛の方をちらりとも見ようとしない。その眼はただ虚ろを見つめていた。

「ざまぁねぇな、大谷」

 その姿が何故か面白くなくて、官兵衛は挨拶抜きに吐き捨てた。吉継は何も言わず、虚を見つめたまま動かない。眼前で手を振ってみても反応がない。こりゃあ完璧に狂ってやがると官兵衛が諦めかけたその時、「暗か」と吉継は掠れた声で小さく答えた。しかし相変わらずその目は官兵衛の方を見ない。一体どのような妖怪に心を食われればこうなるのやら。

「何用か」
「別に大した用じゃない。小生は話を聞きにきた」
「話?」
「妖怪の世の話だ」

 官兵衛がそう言い終わるか否かの瞬間、ひ、と吉継は笑った。ぐるんと勢いよく首を回して官兵衛の方へ顔を向け、官兵衛の長い前髪の奥にある眼を血走った眼でじっと見つめる。官兵衛は背筋が粟立つのを感じた。決して短くはない時を生きてきたが、このように真っ暗な瞳を持つ眼を官兵衛は知らない。
 ようかい、ようかいと繰り返して、吉継は急に饒舌に話を始めた。

「妖怪の世の話か。ぬしが何を考えて話せと言うのか見当もつかぬが、よかろ。ぬしとは一期一会の仲ではないが、これが最期やもしれぬし、一伍一什すべて話そう。けったいな話ゆえ、いつもの戯れ言、嘘だと思うならそれで構わぬ。ぬしの自由よ、ぬしほど自由という語が似合わぬ男もそういないがなァ。だがこの話を聞けばぬしは不幸になろうぞ、ひひひ、これは不幸の話であるゆえにの――」



 ここから先は官兵衛が無い文才で必死に書いた小説である。狂人の話を意訳し、そこに独自の解釈を加えた内容であるため、事実とは大きく異なっている可能性が高い。また現実と虚実との区別がついていない面もある。その辺りは官兵衛の未熟さに免じて許してやってほしい。
 許せぬという読者諸君は大谷吉継に直接話を聞きに行くといい。場所は××村の××精神病院だ。その際は不幸にならぬよう細心の注意を払いたまえ。



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