は、と息を詰めた音が聞こえた。
 視界が明るくなると同時、何かもわからず飛び起きる。かけられていた布団がぱさりと膝の上に落ちる。
 自室だった。開け放たれた窓からは太陽の光が煌々と射し入り、部屋の中を照らしている。
 荒ぶった呼吸を、音を立てて何度も繰り返しながら、私は辺りを見回す。そうして、きょとんとした顔と目があった。
「どないしはったんです、そんな怖い顔して」
 それは、私の、明石国行だった。
「明石、」
 信じられないものを見るように目をいっぱいに見開いて、私は彼の名前を呼ぶ。私の布団のそばにあぐらをかいている明石は、私の呼びかけには特に反応を見せず、窓の外に視線を流した。
「しっかし、ほんまに暑いですなぁ。やってられまへんわ、こんなん。蝉もがーがーやかましゅうて」
 あんなにも切望した明石の姿に目を奪われながらも、意識だけが引っ張られるように、蝉、と思う。
 私は耳を澄ませる。蝉の声はもう聞こえない。わずかに荒げた息のまま無言を貫く私が、訝しんでいるのだと思ったのだろう。「さっきまでえらいうるさく鳴いとったんですわ」と、明石は肩をすくめて続けた。
「で、お身体はどうですか」
「何、の話……?」
「あれま。まぁた倒れたん、憶えてないんですか」
 明石が呆れたように溜息を吐く。彼の隣には水の張られた木の桶があり、まだ布団に埋もれた私の膝上には濡れた手ぬぐいが落ちていた。
 明石の瞳は気怠い色をして、窓の外の快晴を眺めている。明石、と呼べば、「はい」と、のんびりとした声音が返る。
「どないしました」
 未だどくどくと脈打つ心臓の音が、彼に聞こえてしまうのではないかというほどに、私の身体の中で強く鳴り響いている。
「変な夢でも見たんですか」
「あかし、……あかしが、いなくなる夢を見たの」
 はあ、と、笑い混じりの吐息が聞こえた。当てずっぽうで答えたものが正解してしまったことに、妙な居心地の悪さを感じているように。
「そら難儀でしたなぁ。仕事せんでええなら自分は僥倖ですけど」
「……冗談でも、怒るよ」
「おーこわ。そない本気にせんといてくださいよ」
 けらけらと笑って、明石は足を崩した。片膝を立て、そこに頬杖をつく。
 窓の外からは子どもたちのはしゃぐ声だけが遠く聞こえている。迫り来る叫声はどこにもない。涼やかな風が時折そよぐように部屋の中へ吹き入ってくる。 
 明石の首筋には玉の汗が光っている。

 今近侍だっただろうかと気になって問えば、近侍は鶴丸国永ですよと返答が返ってきた。なんでも喫緊で必要なものがあり、万屋に出ているのだと言う。彼が戻るまでの間代役に捕まったのだと漏らす、明石の声はやはり不満がこもっていた。
 そんな会話を交わした折、ふと、どたどたと階段を駆け上ってくる音がして、はたと気が付いたときには勢いよく襖が開けられた。私と明石は揃ってそちらを見遣り、得意げな笑みを浮かべて立つ少年を見つけては目を白黒させる。
「主さん、おやつだぜ!」
「国俊。もうちょい静かにでけへんの」
「あれ、国行? 何してんだ」
「鶴丸国永の代わりや」
 元気に駆け込んできた愛染の手には小さな皿があり、その上に切り分けられた西瓜が一切れ乗っていた。西瓜、と私はつぶやいて、耳聡くそれを聞いた愛染はああと元気良く頷く。
「畑の空いてるとこ借りて育ててたんだ!
さっき俺も食ったけど、うまいぜ」
「国俊、自分の分ないんやけど」
「だって、国行がいるの知らなかったんだよ。下にはまだ余ってるから、自分で取ってきてな」
 私の枕元に西瓜の皿を置きながら、愛染が口を尖らせる。手を振って、彼らしい軽快さであっさりと部屋を後にする。きっと、下で他の刀たちと一緒に食べているところを、わざわざお裾分けに来てくれたのだろう。
 明石がハアと溜息を吐いて立ち上がり、頭をかきながら部屋を出て行こうとする。その背中に、私は気付いたら声をかけていた。
「明石、」
「なんです」立ち止まり、振り返る。
「私を……倒れてる私を見つけたのは、明石なの?」
「いいえ。三日月宗近です」
 私は数秒沈黙してから、そう、とだけ言った。着物の内側で、かさりと、紙のこすれる音がわすかに鳴った。
 蝉の声はもう聞こえない。向日葵はどこにもわらっていない。
「……だめだからね、明石」
 私の声は、彼に届く。
「いなくなったら、だめ」
 蛍の光の色をした瞳が、そっと細まって私を見る。
 その奥に宿る彼の思いも、願いも、私は、何も知らない。
「善処しますわ」
 だけど、私は、私の明石国行が嘘をつかないことだけを知っていた。

 夏が私を焼き焦がす。
 蝉の鳴き声はもう聞こえない。



21.08.15


 


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