審神者になるよりも前から身体が弱かった。審神者になって、なけなしの霊力を刀剣男士に分け与え始めてからというもの、その傾向はいっそう私を蝕んだ。太陽に当たればすぐさま紙人形のように折れてしまうし、歩くどころか、長い間立っていることももう難しい身である。
 そのため平素より、本丸二階にある自分の部屋に引きこもって過ごすのが私の常であった。食事は交代制の近侍に運んできてもらい、部屋から出ることがあるとすれば、それは厠か湯浴みか、あとは鍛刀用の部屋で新しい刀剣男士を顕現させるときだけである。
 二階から降り立って厨へとやってきた私を見つけ、和泉守が瞠目したのはつまり、そういった背景によるところであろう。私だって彼の立場で今の私を見つけたら、きっと同じ反応を取った。
「なんだ、主。下りてきて大丈夫なのかよ」
「大丈夫。和泉守が、お昼用意してくれてるのね」
「おう。馬も手合わせも、一旦皆昨日のままでやってるぜ」
「うん。今日は、それでいいかな……ごめんね」
「別に構わねぇよ。無理すんな」
 ありがとう、と私は言って、彼のからりとした笑顔に釣られわずかに頬をゆるめた。
「明日は担当変えるね。和泉守、何がいい」
「お、選ばせてくれんのか?」
「善処する」
「それ、聞いてくれねぇときの返答だろ!」和泉守は怒りながら笑っている。
 包丁片手にまな板へ向かう彼の背中が見えるように、私は厨の手前に腰を下ろした。既に火にかけられた釜からはかぐわしい匂いが漂っている。炊き込みご飯だ。朝食を食べていないからか、その香りを知覚した瞬間、身体の内側でぐるりと虫が鳴った。
「米、食えそうか?」
 聞こえてはいなかったと思うが、和泉守はまるで私の内心と空腹を読んだかのように言う。
「難しけりゃ雑炊にするが」
「ううん、大丈夫。食べれると思う」
「そうか、わかった」
 和泉守はもう振り向かないで、まっすぐに作業に向かい続ける。私の視線はぼんやりと彼の背中を刺し続けた。むず痒かっただろうに、それを黙って受け入れてくれたのはつまり、和泉守兼定の器量なのかもしれない。彼は大人だ。
 白い襷が彼の袖を器用にくくりあげ、その縛り目が彼の動きに合わせてゆらゆらと宙を泳ぐ。私は頬杖をついて、それをながめる。
 しばらく、二人とも黙っていた。聞こえるのは和泉守の作業の音と、
「ひでぇ顔してんな、主」
 蝉の声だけだった。
 和泉守がやがてつぶやいたとき、彼は手を止め私を振り向いた。台所に肘をついてもたれかかり、形の良い唇を歪めて私を見る。
「一体どうしたんだ」

 はじかれるように、嘲笑だ、と思った。
 夢の中でわらいながら私の行手を阻んだ太陽の花が、彼のうつくしいほほえみに重なって消えない。わらっている。私を。私の刀が。
 違う。
「和泉守、」
 ここは本当に私の本丸だろうか。
「すこし、調子が悪くて……最近の記憶が、定かでないの」
「そりゃ大変だ。何を忘れちまったんだ?」
 私の目の前で、私を見下ろして、和泉守兼定はわらっている。
「昨日、私、みんなになんと言ったの」
 私は意を決して問いかける。
 本当のところこれは純然たる嘘っぱちで、私は昨日自分が口にした命令など、当然すべて覚えている。近侍は鶴丸国永。食事当番は和泉守兼定と五虎退。馬当番は燭台切光忠と乱藤四郎。手合わせは大和守安定と山姥切国広。
「近侍は鶴丸国永」和泉守が口を開く。私を射抜くように、碧い視線を突きつけたまま。
「食事当番は和泉守兼定と五虎退。馬当番は燭台切光忠と乱藤四郎。手合わせは大和守安定と山姥切国広」
 私の脳内をなぞるように紡がれる彼の言葉は、一言一句、私の記憶と違わない。
 それから、出陣命令。編成は六振り。
「それから、出陣命令。編成は六振り。」
 鶯丸、鯰尾藤四郎、陸奥守吉行、次郎太刀、薬研藤四郎。隊長、明石国行。
「鶯丸、鯰尾藤四郎、陸奥守吉行、次郎太刀、薬研藤四郎。隊長、蛍丸。」

 蝉の鳴き声が聞こえる。

 私ははたと固まった。台本を読むように私の求めた言葉をくれていた和泉守が、その軽やかなほほえみとともに、私の心臓を握り潰す。
「今、なんと言ったの、和泉守」
 私は、私の鶴丸が言った言葉を、ただの言い間違いだと思っていた。それを示したくて、証明してほしくて、そのためだけにこんな馬鹿げたことを問うている。
 それなのに、それどころか、和泉守は、望んでもいない新しいひとつをやさしく私に教えるのだ。
「いずみのかみ、」
 この本丸に、蛍丸はまだ顕現していない。
 私の言葉は引き攣り掠れ、虫の断末魔のような響きをしていた。困ったようにわらいながら肩をすくめる、和泉守の言葉が、もう私を救わない。
「おいおい、顔が真っ青だぜ。こりゃあだめだ。やっぱりあんた、疲れてんだよ。上で休んでた方がいい。何やら記憶が混乱してるみてぇだけど、一休みすりゃそれも多少はましになんだろ。……そうだ、そういや昨日の戦績報告、まだされてなかったよな? あんた昨日、部隊の帰還前に寝ちまったしな。ああいや、嫌味じゃねぇよ、体調悪かったんだろ。後で蛍丸に、報告行くように俺から伝えとくよ。だから安心して一眠りしてくればいいさ。

 なぁ、主」


 


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