あるじ、と呼ぶ声がした。
 目を開ける。夜更けに取り残されたような薄暗い居室で、真っ白い男がほほえみ私を見下ろしている。
「まだ寝てたのか。もう昼前だぜ」
「鶴丸……」
 吐き出した声はみっともなく乾き、ひび割れていた。そんな私の有様を、彼はどうやら過眠の代償と面白おかしく捉えたらしい。肩をすくめて苦笑いして、私に手ぬぐいを一枚差し出す。
「ほれ、汗拭いて」
「鶴丸、私、うなされてた?」
「ん? 別に普通だったと思うが」
 ほれ、ともう一度、念押しの言葉を添えて彼が手ぬぐいを押し付けてくる。私はそうとだけ言って、上半身を起こしてからそれを受け取った。たったそれだけの動作でも身体は軋むほどに重たかった。布団の柔らかな布地と離れた瞬間、すうと空気が背を撫でるのが、すずしい。身体中がどうやら激しく汗に濡れているらしかった。
「なんだい、悪い夢でも見たか」
「そう、ね……」
「そりゃあ気の毒に。もうここは現実だから、大丈夫さ」
 と言って、鶴丸はおだやかにほほえむ。
「昼飯の用意、させていいか? あんまり深く寝てるから、朝は持ってこなかったが」
「うん。大丈夫、食べるよ。ありがとう」
「ほいよ。あと、今日の内番教えてくれ。みんなに伝えておくから」
「えっと……」
 渡された手ぬぐいで額や頬を拭いながら、私は曖昧な声を返す。布団の傍らに座る鶴丸の横には小さな桶が置いてあって、中にはつややかに透けた水と、漂流する氷のかけらがいくつか残っていた。
「まだ、考えてないから、……ちょっと待ってくれる?」
「わかった。じゃあ、昼飯持ってくるときにでもまた教えてくれ」
 私はこくりと首肯する。鶴丸が立ち上がろうと片膝を立てる。そのとき、彼の首筋にも玉のような汗が浮いているのを見つけて、私は何の考えもなしにぽつりと言葉をかけていた。
「今日、暑いね」
「暑いな」と、鶴丸。
 私はぼんやりと夢想する。
 夢の中、明石国行は汗をかいていただろうか。
「そういや、畑で西瓜が実ったって、愛染たちが騒いでたぜ」
 立ち上がって腰に手を当て、鶴丸は窓の外へと視線を移す。引っ張られるように私も同じ方向を見遣った。二階にあるこの部屋からは、窓のそばまで行かないと畑が見下ろせない。夜寝入るときには完全に閉め切っていたはずの窓が、いつの間にか少しだけ開けられて、夏の重たい空気を懸命に部屋の中へと運んでいる。
 蝉の鳴き声が聞こえる。
「今日収穫して、菓子の代わりに出してくれるってよ。光坊が」
「それは楽しみね。にしても、西瓜なんて育ててたの? 知らなかった」
「ああ、愛染たちが植えたんだよ。……って、あれ、もしかして主に許可とってねぇのか?」
 私が返事をするより先に鶴丸は声を立てて笑い、こりゃ長谷部にどやされるな、と言った。うっかり何も考えずに口にしてしまったが、言わない方がよかったかもしれない。鶴丸がわざわざ長谷部に密告するとは思えないけれど、生真面目な長谷部のこと、もしも私に言わないで畑を使用した愛染のことを知れば、きっと丁寧に叱ってしまうだろう。私は別に気にしないのだけれど、なにせ彼はそういった面に厳しい。
「ま、西瓜も後で持ってくるよ。とりあえずは昼飯な」
 くるりと身を翻し、部屋を出て行こうとする彼に、ぼんやり窓の外の青空を眺めていた私は慌てて我に帰った。「鶴丸」と呼び掛ければ、襖に手をかけたところで彼の足がぴたりと止まり、振り返る。
「なんだ、まだ何かあったか?」
「昼食、明石に持ってきてもらうよう頼んでもらえるかな」
 鶴丸はぽかんと口を開けてまばたきした。
「ちょっと話したいことがあるの。近侍もしばらく彼に」
「おいおい。何言ってるんだ、主」
 彼は、心底理解ができないという様子で首を傾げる。驚いた様子で見開かれた双眸は、次には可笑しさを堪えるように細められた。
 夏の光を受けて輝く金色が、向日葵の色によく似ている。
「明石国行は、まだこの本丸にはいねぇじゃねぇか」

 蝉の鳴き声が聞こえる。



 


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