さすがに出身地だけあって、乱菊はずいぶんと花枯に詳しかった。流魂街の一地区とはいえ二人で捜索するには範囲が広いとそれぞれ複数名部下を連れてきたのだが、彼らにてきぱきと指示を出して散らせては、乱菊はあっさり京楽を向き直って、「行きましょう」と言った。京楽と乱菊が一緒にいてはいささか人員に偏りがあるような気がするけれど、折角の機会だと京楽は首を縦に振った。藍染との戦いが終結して以来何かとばたばたしていて、それまでは頻繁に開催されていた飲み会もずいぶんと数を減らしてしまったから、最近は飲み仲間である彼女とゆっくり話す時間もなかったのだ。
古びた小屋が立ち並ぶ砂の道を乱菊と並んで歩きながら、京楽はきょろきょろと周囲に視線をめぐらせる。花枯に来るのは二度目だが、剣呑とした空気にはまだ慣れなかった。ぽつぽつと見かける住人の着物は砂に汚れ、裾もほつれていて、それ自体はもう何度も見た光景だけれども、少しだけ心苦しくも感じた。瀞霊廷に暮らしていると、彼らのことをどうしても忘れてしまいがちだ。
「どうですか、花枯」
迷いない足取りで前へ前へと進みながら、ふと乱菊が口を開く。
「一応、私の故郷なんですよ」
「知ってるよ。結構治安悪そうだよねぇ。女の子ひとりだと危なさそうだ」
その言葉に、乱菊は少しだけ痛ましく眉を下げただけで、返答はしなかった。
「市丸くんとはどこで暮らしてたの」
「お墓があった林があるでしょう? あそこのすぐ近くですよ」
以前にくぐり抜けた林を思い出して、京楽はなるほどと頷いた。あのあたりもいくつか建物が並んでいたから、住宅街のひとつではあるのかもしれない。
ふと、先導していた乱菊が足を止めたので、京楽も立ち止まった。何事かと見れば、彼女の視線は道端にある、小さな甘味処に向けられていた。店とはいえ、瀞霊廷にあるようなそれとは全く違う、小ぶりで廃れた雰囲気の、営業しているかもわからないような店だ。
「報告書、読みましたけど」
「うん?」
「ほんとに、ギンのお墓に史帆さんの霊圧があったんですか?」
問いかける口ぶりはしっかりと疑念が混ざっていた。京楽が嘘を吐いていることを疑っているというよりは、ただ単純に、その内容が信じられないという様子だ。
乱菊の目はずいぶんと遠くを見ていた。甘味処と書かれた看板そのものよりも、たった今その名を呼んだ彼女の友人を、本人の好物だった甘味の店に重ねて思い出すように。
うん、と頷くと、ぱっと顔が振り向いて、京楽を見上げる。何かを言いたげにわずかに開いたその口が、一瞬固まって、すぐに言葉を失ったように閉じられ、うつむいた。
史帆が市丸の墓に来る理由をはかっているのだろう。平子も言っていた通り、史帆は市丸とそこまで関わりが深かったわけではない。
「……」
ただ、平子と言葉を交わした後、京楽はひとつだけ思いついたことがある。
もしかしたら史帆は、乱菊の姿を見たくて、花枯に拠点を置いたのではないか。
史帆の霊圧探知の力は護廷十三隊の中でもずば抜けている。乱菊の霊圧をたどって、偶然花枯に――市丸の墓にたどり着いたのかもしれない。そしてそこにいれば、またいつか墓参りに来るだろう乱菊の姿が見られるかもしれないから。
――けれど、それはきっと、そうであってほしいという京楽の願望に過ぎなかった。すべてを捨てて藍染を選んだ彼女が、それでも自分たちに少しでも心を残していてほしいという、身勝手な。
「……史帆さん、会いたいわ」
ぽつりと、ひとりごとのようにつぶやく。
「別に、護廷がどうとか、藍染がどうとか、そんなのどうだって良いのに。……ただ、そんなの関係なしに、友だちとしてもう一回会えれば、それで……」
こぼれおちる声があまりに頼りないので、京楽は思わず乱菊の背をそっと撫でた。大切な幼馴染と大切な友人を一度に失った、彼女の傷はきっと周りが想像するよりもずっと深いだろう。
「もし、史帆ちゃんに会えたら、」
そこまで言いかけて、京楽は口をつぐんだ。もし、会えたら。そんな可能性の言葉を口にしながら、しかし脳裏に下りてきた直感が、その先を続けることを許さなかった。
どうしてだろうか。もう、会えない気がするなんて。
不自然に言葉を切った京楽に、しかし乱菊も先を促しはしなかった。少しだけ肩をすくめて、行きましょうか、ともう一度声をかける。
そこで、後ろからばたばたと焦った足音がした。振り向けば、二人と同じ黒い死覇装の隊士がちょうど二人の前で立ち止まって、片膝をつき頭を下げた。京楽の部下ではない。十番隊の隊士だろう。
「ご報告申し上げます、京楽隊長、松本副隊長」
「なに?」
ぬかりなく副隊長らしい凛とした声に戻って問う乱菊に、男が顔を上げる。ずいぶんと急いでここまで来たらしく、その額には汗がにじんでいた。
「四谷史帆の、目撃者が見つかりました」
数十年前から花枯に住んでいるのだというその住人は、京楽の口から改めて史帆の容姿の特徴を聞いて、鷹揚と頷いた。
「たしかに、そんな女が最近うろうろしてんのは見たよ。あんたらみたいな黒い服は着てなかったけどな」
「このあたりで見た? なるたけ詳しく教えてほしいんだけど」
「いや、花枯のもっと端っこの方だ。六十一番との境くらいに小屋があんだが、そこに入ってくのを見たことがある」
期待していた以上に具体的な証言で助かった。男が意図している小屋の場所を更に詳しく聞いてから、京楽はいくらかの金を男に手渡し、乱菊とともに足早にそこへ向かった。
十数分程度歩いて、たどりついた先にはたしかに小屋があった。市街地からは少し離れた、どちらかというと自然のあふれた野原のような場所に、小さな小屋がぽつんと立っていた。一軒だけあるとそれはそれで逆に目立つものだと思いながら、わずかに緊張した手のひらで扉を開け、部屋に踏み入る。誰もいないことは気配でわかっていた。
「……ここ……?」
部屋の中はずいぶんと殺風景だった。いや、殺風景どころか、ほとんど何もない。床も壁もむき出しで、家具も小物も荷物も、何も置かれていない。今にも壊れそうな窓の雨戸は閉められていた。
「……何もないですね」
ぽつりとつぶやく乱菊に、京楽もそっと頷く。霊圧探知をかけても、それらしき痕跡はない。史帆の霊圧も、それ以外も、痕跡はなかった。四番隊の隊舎牢から史帆が姿を消したときのように。
「もう、拠点を移しちゃったんですかね」
そうだねぇ、とつぶやきながら、京楽は部屋をぐるりと見回す。乱菊は早々に部屋に足を踏み入れては、何かを確かめるように壁をぺたぺたと触っている。
こんなところにひとりでいたのだろうか。古びたこの小さな部屋に、史帆がひとり座って窓を見上げている光景を想像して、京楽は思わず眉をひそめた。こんな冷え切った、さみしい場所に、ひとりで?
その光景を思い浮かべた瞬間、唯一の光の入口であろう窓さえ閉じられているのが無性に耐えられなくて、京楽は引き寄せられるように窓に近づき、雨戸に手をかけた。今にも朽ちて落ちてしまいそうなぼろぼろの木製の雨戸。壊してしまわないようにそっと開けて、――そのとき、ひらりと足元に何かが落ちた。雨戸に何かが挟まっていたらしい。
視線を落とせば、形容しがたい暗い色の床にひとつ、小さな白い紙が落ちていた。
わずかだけ首を振り向いて、後ろを見る。乱菊はまだ京楽に背を向け、変わらずに壁に手を当てては、霊圧の残滓を探すのに必死になっているようだった。彼女がこちらに気付いていないことを確認してから、そのメモを素早く拾い上げ、目を走らせる。
「……――、」
「京楽隊長?」
少しだけ、霊圧が揺れたかもしれない。後ろから問いかける乱菊の声に、動揺がばれないよう、そっとメモを胸元に忍ばせてから、「何?」と聞き返す。
「どうかしました?」
「ううん。雨戸がだいぶ古びてるなって」
「雨戸だけじゃなくて、どこもぼろぼろですよ」
そう言って、乱菊は溜息を吐く。そっと目を伏せた横顔は、先ほどの京楽と同じような感情をたたえているように見えた。かつてここにいたかもしれない史帆を思って。
乱菊の横顔を見ながら、京楽は懐に入れた手で、その紙をぎゅっと握りしめた。
「……一歩遅かったみたいだね。別場所を探そうか」
京楽の提案に、乱菊は顔を上げてから、少しだけ眉を下げて頷いた。
二人そろって古びた小屋を出れば、既に日が沈み始めていた。もうじきに暗くなりそうだ。花枯は瀞霊廷からそれなりに離れているので、戻るにも相応の時間がかかる。今日はこのあたりが引き上げ時だろう。
「今日はここまでにしようか。いい時間だし」
「はい。……あの、京楽隊長」
いつもの彼女の様子からは珍しく、どこか言いづらそうに口を開きかけた乱菊に、京楽はからりと笑う。
「いいよ、行ってらっしゃい。僕もちょっとその辺散歩して帰るから」
京楽の言葉に安心したようにはにかんで、乱菊は「ありがとうございます」と頭を下げてからその場を去っていった。
幼馴染のお墓に向かうのだろう。献身的なことだ。あんなに良い子たちを悲しませて、誰もかれも男というのは本当に身勝手なものだと嘆息する。
乱菊の背が消えるまで見送ってから、京楽も踵を返した。時間がないとは言ったものの、京楽には一つだけ、確かめなければいけないことが残っていたのだ。乱菊が自ら別れてくれたのは幸いだった。
隠したメモをもう一度取り出して、歩きながら、再びそこに書かれた文字に目を落とす。
『星降 XX-XXX』
それは、すぐ隣にある六十一番地区の名前。そして、その中の座標を示す数字の列だ。まるで誰かがあの部屋を訪れるのを待っていたかのように隠された一枚のメモが、そこに書かれている座標に史帆がいるのだと、京楽は何に言われるまでもなく理解する。
そして、その住所をつづった端正な字が史帆の筆跡ではないことも、京楽は見た瞬間から気付いていた。