すさんだ市街地から少し離れれば、木々が生い茂る深緑の林があった。その中を、案内する七緒の後に続いて京楽は歩く。時折伸びた枝が袖をひっかけようとするので、袂を握って慎重に、気に入りの羽織が破けないように注意して進んだ。かろうじて地面はそこだけ獣道のように土が覗いていて、よく見れば人ひとりが通れるように木々も隙間をあけている。誰かの隠し道なのかもしれない。この場合、誰かというのは考えるまでもなかったのだが。
京楽隊長、と前を行く七緒が小さく呼んだ。見れば、どこまでも緑だった前方がわずかに青を混ぜている。どうやら出口らしい。うんと頷いて先へ進むことを促すと、七緒はまた歩き始める。そうしてその後を京楽も追って、二人は緑に覆い隠された道を抜けた。
開けた空には、崖がまっすぐに横線を引いている。その中にぽつりと、一つの墓石が立っていた。簡素ながらも、しっかりと技術を伴って建てられた、立派な墓のように見える。
「これ?」
「そのようです」
確認のための短い会話を交わしながら、京楽はひたひたと歩いてその墓へ近寄る。死者の名前は書かれていない。無機質な黒灰色の石の前には、ただ鮮やかな色の干し柿が添えられているだけだ。そういえば、昔から干し柿を好んでいるようだった。百年前の少年だった姿を懐かしむように思い返しては、目を伏せる。
そっと墓石に手を触れると、ひんやりとした冷たさの中から、確かに覚えのある霊圧を感じ取ることができた。手を触れたまま、後ろで神妙な顔つきで待機している七緒を少しだけ振り向いて、京楽は肩をすくめる。
「ありましたか、藍染惣右介の霊圧」
問いかける七緒の口調は随分と硬い。そんなに緊張しなさんなと笑うと、緊張しているわけではありませんとつんけんした様子で返してくる、その生真面目さが好きだった。墓石から手を離して、冷たさを空気に逃がすようにひらひらと振ると、手に残った霊圧の残滓も一緒になって霧散していく。
「あるね」
七緒が警戒に顔をしかめる。京楽の隣までつかつかと歩いて、同じように指先を触れ、更にぎゅっと眉根を寄せた。
「わかる? だいぶ薄いけど」
「……はい。たしかに……」
自身の感覚がまだ信じられないのか、七緒の言葉は不安げだった。それでも、七緒と京楽のどちらもが確認しているのだ。隊長格が二人そろって、知った霊圧を間違えることなどない。
「しかし、この墓が立てられたときには、藍染惣右介は無間にいたはずです」
「そうだねぇ」
ぼんやりと相槌を打ちつつ、添えられた干し柿に視線を落とす。竹ざるの上に整然と並べられたそれは、ずいぶんと上手に干されていて、京楽の食欲を誘った。きっと、この墓を立てた幼馴染の彼女が、定期的に供えに来ているのだろう。
この霊圧が本当に藍染のものだったとしたら――京楽は考える。それはすなわち、今彼がどこにいるかにかかわらず、彼が一度は無間から脱獄したことを意味する。普通ならばまずありえないことなのだが、今や処刑することすらできない存在になってしまったあの男ならば、もしかしたら本当にできなくはないのかもしれない。もしそうだったとしたらあまりにも厄介で、可能性を考えただけでも頭痛がしてきそうだった。
けれど、彼が市丸の墓にやってくる理由があるだろうか? 自ら手にかけた部下の墓参りだなんて、そんな感傷的なことをあの男がするはずがない。
長年部下としてともにいたとはいえ、市丸の目的が藍染への復讐だったことは京楽も浅くながら聞いている。だからこそ市丸は最後の最後で彼に刃を向け、そうして彼に殺されたのだ。
溜息を吐いてから七緒の名を呼べば、優秀な副官ははいと正しく返事をした。考えたくはないが、とはいえ可能性は潰しておかなければいけないだろう。
「無間の看守に、ここ一か月の定時記録を確認しておいてくれる?」
「はい。確認しておきます」
「あと看守本人の情報も一緒に見てもらえると助かる。怪しい子がいたら教えて頂戴」
「わかりました」
ぴしりと返事をする七緒に頷いて、京楽はまた墓に目を遣った。
ふと、一つの干し柿の上に枯葉が落ちているのを見つけて、何とはなしに手を伸ばす。すぐそばには木はないが、今通ってきた林から飛んできたのだろうか。葉をよけてやろうと干し柿の一つに手を触れたそのとき、指先にほんのかすかにぬくもりを感じた。
「……、え、」
それは、先ほどのものとは違う霊圧の残滓。本当にたった一滴だけが残されたような、しかしたしかにあたたかいその霊圧が誰のものであるか、京楽は知っていた。
「……京楽隊長?」
目を見開き固まった京楽に、七緒が遠慮がちに声をかける。それでも京楽は返事ができなくて、ただ触れた指先を、信じられないものを見る目でじっと見つめた。
――どうして。
「京楽隊長、大丈夫ですか」
様子がおかしい京楽に、七緒が早足に駆け寄る。片手を上げて大丈夫だと伝え、京楽は深く息を吸ってから、顔を上げた。
「これは、参った」
「どうかなさいましたか」
「あの子、干し柿なんて作れるんだねぇ。知らなかったよ」
「松本副隊長ですか?」
首を横に振る。七緒が訝しげに眉を寄せる。
その名前を呼ぶのは、ずいぶんと久々な気がした。
「史帆ちゃんだよ」
七緒の目が驚きに見開かれる。京楽は肩をすくめて、かぶっていた編み笠をつまみ、引き下げる。七緒の動揺を受け止めてやる余裕が、今の京楽にはなかったのだ。
ただ、痛くもないはずなのに、触れた指先が火傷したみたいにじんじんと、霊圧の余韻にしびれていた。