※R18注意
時折、吐息のような嬌声がこぼれた。どこか感覚がぼんやりとしていて、その音さえも遠くに聞こえる。
石の冷たさをした部屋で、触れ合う肌だけがぬくくて心地よい。鎖骨を甘噛みする男の髪が首筋を撫でて、くすぐったさに目を細めると、絡めていた指に力が込められた。男がかすかに笑う気配。
「身体がこわばっているよ」
「うるさい、な」
からかうように囁く声に噛み付いて、史帆は顔をそらす。仕方がない。何せ異性と肌を重ねるのは随分と久々のことだった。それを口に出すのは無粋だとわかっているから、小さく溜息を吐くだけにとどめたけれど。
「怖がることはない」
「……っ、」
首筋に歯を立てながら、藍染の空いた手がそっと胸に触れる。筋張った手のひらが揉みしだくようにふくらみで遊び、先の尖りを指でいじる。自分の肌よりも彼の手の方が冷たくて、そのひんやりとした感触が一層触れられている感覚を鋭敏にした。
やがて藍染の顔が下がり、胸の尖りを軽く噛む。瞬間走った、些細な痛みにも似た感覚に、思わず息を詰める。直後にあたたかい舌が癒すように同じところを舐めて、与えられる快感の変動に頭がくらくらした。
胸で遊ぶ男の髪をぼんやり見つめながら、そういえば彼に抱かれる想像をしたことはなかったと、史帆は昔のことを考える。史帆にとって藍染は、間違いなくずっと特別な相手だった。一秒たりとも、そうでなかったことはない。それはきっと、周囲に対して否定し続けてきた感情に相違なかったのに、それでも今この瞬間のように、いつか彼の手がいつくしむように自分の身体に触れるのを想像したことはなかった。
「どうした?」
聡い男は、史帆が他のことに気を散らせているのに気がついて、そっと問いかける。少しだけ顔をそむけながら、何も、と史帆は返す。
「……ただ、こうなる想像をしたことがなかったなって」
「ふむ」
「あなたに、抱かれる日が来るとは思ってなかったよ」
藍染が身体を起こし、シーツの上に投げ出されていた史帆の手を取る。そのまま自分の頬に当て、どこかうっとりとした様子で目を細めた。
「僕は、ずっと考えていたよ」
見慣れた鳶色の奥に滲む歓喜に、ああ、と史帆は遠く思う。吐き出した息は諦観の溜息だった。
藍染は史帆に選択を許し、けしてどちらにも導こうとはしなかった。けれど、最後にはこうなることがわかっていたんじゃないだろうか。
そこまで考えて、史帆は思考を放棄した。ただ肌に触れる他人の温度にたゆたいながら、目を閉じる。
――そんなの今更、どちらだっていい。
瞬間、前触れなく下肢の付け根に手を触れられ、反射的に身体が大きく跳ねた。わずかに聞こえた水音に、顔が熱くなる。無意識に足を閉じようとすると、こら、と男の手が止めた。
「ま、って、惣右介……」
「大丈夫だから、楽にして」
大丈夫じゃないから言っているのに、男は少しも顧みようとしない。傲慢、と罵ってやりたかったが、口を開けばまたおかしな声が出てしまいそうで、断念するしかなかった。静かな部屋に響く音があまりに恥ずかしくて、たまらずに空いた手で顔を隠すと、男が小さく苦笑する。
「君は本当に気丈がすぎるな」
「あなた相手、だけ」
「それは光栄だね」
くすくすと笑いながら男がそう言ったとき、突然中に割り入ってきた何かに、またぐっと息が詰まった。惣右介、と諌めるように名前を呼ぶと、男は首を傾げる。
「いれるなら、言ってよ……」
「指一本だぞ」
「そういう、問題じゃ、なくて」
久々に異物を受け入れた胎内は思いのほか苦しくて、史帆は圧迫感を吐き出すように息をつく。
「もう一本いれるよ、力を抜いて」
「……ん、っ」
増やされた指は、先ほどより明確な痛みを連れてきた。眉を寄せる史帆に、その苦痛を察したのか、労るように藍染がその頬を撫でる。
「苦しいかな」
「ちょっと、だけ」
「そうか」
しばらくの間、彼は押し込んだ指を本当に緩慢に動かしながら、史帆の身体が慣れるのを待っていた。時折苦しげに息を吐きながら、史帆はその合間にふと、自分を見下ろす男の頬に手を伸ばした。触れた頬は陶器のようにすべらかだったが、そこには確かに温度がある。史帆が彼に分け与え、史帆に彼が分け与える体温がある。
「惣右介、」
「なんだい」
「さみしく、ない?」
それは無意識にこぼれ落ちた問いだった。なぜそんな質問をしたのか、自分でもわからない。
史帆の言葉に、藍染はまるで何かの痛みに耐えるように、少しだけ目を細めた。
「寂しくはないよ」
「そ、か」
「君も、寂しく思う必要はない」
ゆっくりと中を掻き回していた指が引き抜かれる。頬に触れた手に自分のそれをやわらかく重ねると、そのまま枕元に押し付けて、指を絡めた。どこかぼんやりとしていた史帆は、ふと、屹立した熱量が押し付けられていることに気付いて、我に返る。
「僕がいる」
名前を呼ぶより先に、割り裂くように押し入ってきたそれに、史帆はたまらず短く悲鳴を上げた。先ほどとは比べ物にならないくらいの圧迫感に呼吸さえ苦しくて、男の胸を空いた方の手で殴る。力なんて少しも入らなかったけれど。
「ば、か、……いれるなら、言えって、いった……」
「ああ、そうだったね。すまない」
溢れんばかりの恨みを込めて睨みつけると、藍染は肩を揺らして笑った。
驚いて声を出してしまったが、散々慣らされた身体は案外従順に彼を受け入れた。痛みがないことは史帆の様子で察したのだろう。握った手のひらに少しだけ力を込めて、藍染はゆっくりと動き始めた。快感と苦痛とが重なって襲ってくる感覚に、耐えきれずに目をつむると、その端から涙がこぼれて落ちていく。
どうしようもなく、苦しかった。愛する男に抱かれて、それは幸せなはずなのに。
どちらを選んだって、苦しかっただろう。それはわかっているつもりだった。選べた道は、どの苦しみを受け入れるかという分岐でしかなかったのだ。
だけど、だけど、選ばなければよかったとは思わない。床に脱ぎ捨てた黒い隊服に、もう二度と袖を通せないとしても。
ただ、目の前の男が大切だと、好きだと言いたかった。それが叶ったのだから、もう、それでいい。
それだけでいい。
「大丈夫だよ、史帆」
かけられる声は信じられないほどやさしくていとしい。胎内から身体が揺さぶられるのに身を任せ、泣きながら、頷く。
「大丈夫だ」
何度もかけられる同じ言葉に、史帆もそのたびに頷いた。うん、とつぶやく声は最早言葉にならず、意味のない音をつくるだけだった。
律動がはやめられても、痛みはない。奥を暴かれる感覚に、指先にまで痺れが走る。
そうすけ、と掠れた声でなんとか呼べば、答えるように絡めた手のひらに力がこもった。
もう片方の手を震わせながら伸ばし、男の首に腕を回す。唇が触れ合いそうな距離にまで顔を近づけたら、ぶつかった吐息がお互いあつくて、驚いた。
「あり、がと、惣右介」
――これで、さよならだ。
史帆のこころを、藍染が理解したのかはわからない。しかし彼は確かに、その言葉を受け取って、そっとほほえんだ。
高められた熱の塊が破裂するみたいに、ひときわ強く奥に打ち付けられた一瞬、身体中が信じられないほどの快さに震えた。自分の中でまだどくどくと脈打つそれの、拍動さえも心地よい。男の首に回した腕から力が抜けて、そのままベッドに落ちた。そうして意識までもが、ゆったりと暗くなっていく。
遠のく感覚の中で、史帆は、落ちた自分の手が、何かあたたかいものにまた握られたのを感じる。しかし、それを握り返す力はもう残っていなかった。ぼやけていく視界で、何よりも愛しい男が、穏やかにほほえんで自分を見つめている。
その唇が、何か言葉を象った気がしたけれど、もう、聞きとることはできなかった。