野花の咲きわたる丘で、草のやわらかさに尻もちをついて、少女は膝を抱えて空を見上げていた。世界を覆いつくす夜の紫紺は深く、どこまでも遠い。その中にぽつりぽつりと浮かぶ小さな星の粒だけが、光の頼りだった。
ふと後ろから足音がして、少女はゆるりと振り返った。数メートル先が不明瞭なほどの夜闇で、そのひとがたはどうしたってぼやけて見える。
「何をしてるんだい、こんなところで」
静かで冷たい声だった。ちょうど今日は見ることのできない、月の光にも似ている。
「空を見てるの」
「月が出ていないのにか」
「出てるよ。新月だから、見えないだけ」
名前も知らない、顔すらはっきりと見えないというのに、初対面相手にまるで旧知のように、少年と少女は言葉を交わす。ふうん、と納得したのかしていないのかわからない様子でつぶやいた少年から、少女はまた視線を前に戻して空を仰いだ。
「あなたは、空を見に来たわけじゃないの」
「星を見に来たんだ」
「……同じじゃないの?」
「同じじゃないさ」
くすくすと静かに、風のささやきのように、少年が笑う。一体何が違うのかわからなくて、少女は首を傾げた。
「今日は月が出ていないから、星がよく見える」
「どういうこと?」
「月が明るいと、星の光がかき消されて見えなくなるんだ」
なるほど、と少女は言った。月が出ていないのに、とからかうように言った先ほどの発言は、自分に向けた皮肉だったのだろうか。よくわからないけれど。
「だから、星を見るなら、月が出ていない夜がいい」
「出てないわけじゃない。見えないだけだって」
「強情だね」
少年が笑う。愛想笑いというよりは、こらえきれずに吹き出してしまったような、そんな小さな笑いだった。少年がまた草を踏みしめる音が聞こえて、見上げた少女の視界に、少年の顔が映りこむ。
「まあ、君がそうと言うなら、それでいいよ」
自らを覗き込むように見下ろす少年の顔を、少女はそこで初めてしっかりと見た。鳶色の瞳と、やわらかな茶髪。端正な口元はやさしい笑みをかたどっていた。
「なんか、よくわからないけど……そうだ、あなた、名前はなんていうの」
そういえばまだ名前を聞いていなかったとようやく思い出して、少女は問いかけた。少年の顔がにっこりと笑みを深める。
「僕は藍染。藍染惣右介だよ」
「藍染くん。わたしは、四谷史帆です。はじめまして」
名乗るとき、敬語になるのは少女の癖だった。今まではずいぶんあっさりと言葉を崩していたのに、突然丁寧な言葉遣いになったのが面白かったのか、少年がまたくすくすと笑う。
夜の風がひっそりと、二人の間を流れていく。肌を撫でるそれは思ったよりずっとぬるくて、ずいぶんと心地がよかった。