来客は突然だった。
「藍染サマ!」
突如勢いよく開けられた扉に、史帆と藍染は揃ってそちらを見遣った。入口には薄い黄緑色の髪をした破面の少女。目をまばたかせる史帆に構わず、少女は慌ただしく藍染に駆け寄って、その裾を掴む。
「聞いてよ、スタークがぁ……」
「またいじめられたのかい、リリネット」
少女の仮面に覆われた頭を軽く撫でながら、藍染がほほえむ。リリネット、と呼ばれた少女が頬を膨らませたと同時、開けっ放しだった入口からまた慌ただしく一人の破面の男がやってきた。顎下まで伸びた茶髪と伸びた無精ひげが、気だるげな雰囲気を感じさせる男。次から次へとやってくる来客に、史帆は目を丸くするばかりだ。
「おいこら、リリネット! 藍染サマのお食事の邪魔してんじゃねぇ!」
「出たなスターク! こっち来るな、あっち行け!」
やってきた男から逃げるように藍染の椅子の後ろに隠れて、リリネットが口を尖らせる。男と少女の喧嘩じみたやり取りを、藍染は楽しそうに眺めてはからかうように笑った。
「喧嘩かな、スターク」
「喧嘩じゃねぇっすよ。こいつが構え構えってあんまりうるせぇから、黙れって言っただけで……」
「そうか。相変わらず楽しそうだね」
「邪魔してすいません。すぐに連れて帰るんで」
ばつが悪そうに眉尻を下げたスタークに、「いや、構わないさ」と藍染が穏やかに言う。その手に撫でられるがままおとなしくしていたリリネットが、ふとその視界に史帆を捉えて、可憐な桃色の瞳を閃くように見開いた。
「こいつが藍染サマのオサナナジミって死神!?」
「リリネット、年上の女性をそんな風に呼ぶものではないよ」
「う、……ごめんなさい」
叱れば首をすくめて謝る、少女はずいぶんと素直だった。当然といえば当然だが、破面にも子どもはいるのか、と物珍しく少女を眺めていた史帆に、藍染が視線を流す。
「改めて紹介しよう。私の幼馴染の四谷史帆だ」
紹介されたので、史帆はとりあえずやってきた二人の破面に頭を下げた。幼馴染の一人称に若干の違和感を抱きつつ。
「はじめまして、四谷史帆です。あなたたちは……」
「リリネット・ジンジャーバック!」
「コヨーテ・スタークだ。邪魔して悪かったな。すぐ帰る」
「ああ、そうだ、スターク」
簡潔に挨拶を済ませ、リリネットの襟首を掴んでそのまま部屋を立ち去ろうとしたスタークを、藍染が呼び止めた。
「ちょうどいい。彼女を部屋まで送っていってくれるかい」
すでにふたりとも食事は終えていて、フォークとナイフは皿の端に揃って寄せられている。藍染に関しては、グラスも少し前から空だった。
「ああ、はい。わかりました」
「あたしも行く!」
「お前は静かにしてろ、馬鹿」
「馬鹿ってなんだよ、スターク!」
言葉を交わすとすぐに喧嘩を始めてしまうたちらしい。しかし、会話の端々には互いの信頼関係や絆深い雰囲気が垣間見えて、史帆にはそれがほほえましかった。
頼んだよ、と言って、藍染が立ち上がる。二人で合わせてボトル一本を空けていたのだが、その足取りにはほんのわずかな乱れもなかった。
「私はそろそろ休むよ。おやすみ、史帆。スタークとリリネットも」
「……おやすみ、惣右介」
「おやすみなさい、藍染サマ!」
立ち去る背中に、全く温度の異なる女声が重なってかけられる。彼の背中が消えてから、控えめに頭を下げてそれを見送っていたスタークが史帆を振り向いた。気だるげに頭を掻きむしりつつ、溜息を吐く。
「悪かったな」
「もう食べ終わってたし、大丈夫。えっと、……スタークさん」
名を復唱するように呼べば、男は頷く。
史帆のグラスにはまだワインが少し残っていたけれど、これ以上飲むにももう完全に満腹だし、藍染も帰ってしまったから、ここで撤退としよう。そう決めて、紙ナプキンで口元を拭き立ち上がった史帆は、瞬間地震が起きたみたいに足元がふらつくのを感じた。え、と思いながら、慌てて掴んだ椅子の背もたれに体重を預ける。
その様子をじっと眺めていたスタークが、呆れたように息を吐いた。
「もしかして、藍染サマの酒のペースに合わせたのか」
「……」
「アンタがどんだけ強いか知らねぇけど、それ、多分自殺行為だぜ」
「……そうだった」
久しぶりだったからすっかり忘れていた。あの幼馴染、あの甘い顔立ちからは信じられないほどに酒に強いのである。それに加えて、今日初めて飲んだあの赤い酒はずいぶんと度数が高いようだった。
ここまで計算してあの酒を出したなら、なるほど、すっかりしてやられた。
ふらつく足取りでスタークとリリネットに案内されながら部屋に戻った史帆は、そのまま誘われるかのようにベッドへ倒れ込んだ。その様を見て、いつの間にやらすっかり史帆を友人か何かと認めたらしいリリネットがけらけらと笑う。
「かっこ悪いの!」
「……あなたも大人になればわかるよ、リリネットちゃん……」
既に頭がガンガンと鳴っている。慣れない酒はもっと慎重に飲むべきだったと激しい後悔に駆られながら、のろのろとベッドの上で身体を起こして、史帆はスタークとリリネットを見遣る。
「……あなたたちは、十刃の人なの?」
「ああ。第1十刃だ」
「スタークさんが? それともリリネットちゃんが?」
「二人でだ」
スタークの返答に、史帆はぽかんと首を傾げた。十刃はその名の通り、上位十体の破面の呼び方だと思っていたが、違うのだろうか。
史帆が何を疑問に思っているかは容易に推測がついたのだろう。どこか面倒くさそうに肩をすくめて、スタークが口を開く。
「俺らは、もともと一つだった魂を二つの身体に分けた。だから、俺らは二人で一つなんだ」
「……そんなことができるの」
史帆が驚愕に目を見開く。破面についてはまだ知らないことも多いけれど、さすがにそんな所業は死神にはできるまい。
また、同時に先ほど感じた彼らの絆のような何かが、やはりたしかにそこにあったのだと史帆は思う。彼らはそもそも心がつながっているのだ。元が一つだったそれを、二人分に切り分けたのだから。
目の前で何やら楽しく騒いでいるリリネットと、それをいさめるスタークを見ながら、史帆は目を細める。なるほど、彼らはきっと、一緒にいるために痛みを感じることなどないのだろう。思考も価値観も能力も、何もかもが同じところから生まれてきたのなら。
黙り込んだ史帆にスタークがはたと気が付いて、わずかに眉根を寄せた。そして、リリネットの頭を大きな手のひらで包むように掴む。
「おらリリネット、帰るぞ」
「えーなんでだよ! もうちょっと遊んでったっていいじゃんか」
「いーから、また今度にしとけ」
駄々をこねるその身体を引きずりながら、スタークは史帆に「じゃあな」とだけ告げて、そのまま部屋を出ていった。壁を通じて聞こえる二人の声も徐々に遠ざかって行き、そうしてやがて完全に聞こえなくなると、部屋は一気に、時が止まったように静かになる。
ベッドにごろりと寝転がって、灰色の天井を眺めながら、史帆は眠りかける脳でぼんやりと考えた。もしも、彼らのように痛みなく一緒にいられたなら、どうだっただろうか。こんな決断をするまでもなく、幸福であることに気が付かぬまま、いつまでも彼の隣にいたのだろうか。
けれどそれは、――一緒にいて痛みがないのは、彼らが同じ存在であるからだ。史帆と藍染は他人で、何一つとして同じところはない。だから史帆は藍染に惹かれ、藍染は史帆に惹かれたのだ。すべて、思想一つまで同じであったならば、きっとお互い興味を持つこともなく、ただすれ違って、そのまま終わっていただろう。
大きく息を吐き出して、史帆は目を閉じる。アルコールでわずかに上気した身体は、眠るには心地よい体温だった。どこか遠くに聞き覚えのある喧騒を感じながら、しかしやってくる眠気に抗うことなく、史帆は眠りについた。
*
夢を見た。
やわらかな日差しのそそぐ昼下がり。五番隊隊舎の庭で、藍染が、彼とよく似た毛色を持つ猫を抱き上げ、撫でている。そのすぐそばでは京楽と乱菊が、覗き込むように身を屈めてその猫を見つめ、穏やかに表情を緩めていた。名前は、と問われた藍染が、困ったように笑い、縁側に座っている史帆を見て肩をすくめる。
ゆめと呼ぶにはとりとめのない。しかし望むには残酷すぎる。
そんな、嫌な夢を見た。